『幸せか?』


君が、尋ねる。

幸せだよ、俺は。

今でも俺は、君を愛している――……。






〜Epilogue〜






地球プラント間で行われた戦争に終止符が打たれ、終戦がなされてから16年の歳月が流れた――……。
大西洋連邦を始めとする理事国側とプラント側は終戦と武装の縮小で合意し、世界は平和に向かって歩み始めていた。

しかし、いまだ武装の放棄には至っていない。
世界にはいまだ、紛争の火種が転がっており、予断を許さない状態であった。

特に、大西洋連邦他かつての地球連合とプラント間で結ばれた同盟の一端に、その原因はあったといっても過言ではなかっただろう。


「地球連合、ならびにプラントは、オーブへの食料輸出他エネルギー資源の輸出を認めない」


両者は、その一点において合意し、敵を作ることで結びついた。

モビルスーツを開発し、戦争の火種を広げていく中で中立国として自国の権益を追求し続けた彼の国を、両者共に潜在的な敵国として認識していた結果だった。
他者に血を流させ、他人の血の果てに自国の金を贖う。
その行為を、両者共に許しがたく感じていたのだ。
まや、国を治める代表がその器でなかったことも大きかっただろう。

高圧的な態度で他国を恐喝し、現在の平和に貢献したのは自国であると主張し、両国の架け橋であると自称する彼の国彼の元首への不満は、かつてないほどの高まりをみせていたのだ。

火種はまさに、そのような世界のありようにこそあった。


軍人を養成するアカデミーもまた、そのような理由で規模縮小には至らず、今日もまた、職業軍人と化した優秀な軍人を輩出していた。










それがこの世界の、ありようであった――……。







**




電光式の掲示板の前では、ざわざわとした人だかりが出来ている。
先日行われた試験の、結果が発表されるのだ。
アカデミー卒業前の、それは最後の試験。
この試験の結果如何で、配属先は愚か纏う軍服の色も決まるとあって、皆真剣な顔で結果を待つ。

掲示板に光が点り、次々と名前が表示されていく。
首席の名は、今回も同じだった。
それに皆、一様に溜息をつく。


「首席は今回もミゲルか……」
「あいつ、配属先どこになるんだよ。この成績じゃ、選り取りみどりじゃん」
「えぇ?あいつ、使い物になるのかよ?この成績だってどうせ、親の七光りだろ?」
「議長誑かした女の子供だもんな……ぐはっ!」


めいめいが好きに囃し立てていると、その内の一人が吹っ飛んだ。
視線を転じると、冴え渡る美貌に冷然とした侮蔑を漂わせた少年が、そこに立っている。


「好き勝手言ってくれるじゃないか。俺の母が何だって?」
「なっ……ミゲ……!?」
「俺の母が何だって?」


もう一度、同じ問いを重ねる。
すると先ほど彼に吹っ飛ばされた男が、咳き込みながら言った。


「けっ。みんな知っていることだろうが。お前の母親が議長誑かしたことくらい!」
「誑かしたんじゃない。母は誰よりも美しかった。だから父上と父さんと、二人もの最高の男に愛されただけの話だ。それを……その母を愚弄する気か、貴様!!」


怒声と共に、彼は再び攻撃を仕掛ける。
周りにいた金魚の糞連中が拳を振り上げるが、そんなものは児戯に等しい。
身を沈めて攻撃をかわし、鳩尾に一発叩き込む。
背後から仕掛けてきたものには裏拳を食らわし、正面の敵には膝蹴り。
その足を下ろして軸にし、回し蹴りを食らわせると、あっという間に数人の生徒が床に沈む。
一人で多勢を薙ぎ倒し、大して息が上がる素振りを見せない。
圧倒的なまでの実力の差でもって他者の追随を許さず首席であり続けた彼にとって、同世代の少年の攻撃など子供騙しの極致だった。
まして、現役を退き文官としてプラントに君臨する育ての父親は、伝説のエースとまで呼ばれた男だ。
実の母はアカデミー次席の才媛。
父親は、赤は許されはしなかったが、二つ名を取るほどの男だった。

要するに彼もまた、高い能力を生まれながらに享受する者だったのだ。

だからこの程度のことなど、彼にとってお話にもならぬのだ。
その事実を教えてやった上で、更に挑発的に彼は唇を吊り上げた。
冷たい美貌と謳われた母の美貌に、精悍さを加味したらしいその面に、冷笑を刷く。


「俺はミゲル=アイマンとイザーク=ジュール、それにアスラン=ザラの息子だぜ?その程度でこの俺に、勝てるわけないだろ」


わざとらしく埃を払う真似をすると、苦痛に呻く連中など一顧だにせずに、彼は掲示板に目をやった。
そこには、彼の名前が首席の場所に点灯している。


1st : Miguel J Zala


点灯している自分の何、彼はほっとしたように笑う。

誰よりも美しく誇り高かった人は、喜んでくれるだろうか。
彼女が届かなかった場所に今、こうして名を連ねる自分を、誇らしく思ってくれるだろうか。
誰よりも美しく、何人よりも誇り高く、そして自分を愛してくれた人。


『私の息子なら、これくらい当然だな。――よく頑張った、ミゲル』


表情も口調も、想像できてしまって。
ふっと、彼は笑みをその口元に刷いた――……。



**




「これは、議長。今日は一体、どのような御用でこちらに?」


アカデミーの門扉をくぐると、すぐさま教官がやってきた。
若い議長は口元に笑みを刷く。
昔から落ち着いた風貌とたとえられるとこの多かった彼ではあるが、最近はそれに更に磨きがかかり、議長としての貫禄を備えるようになっていた。


「これといって、特別な用事では……。今日はひと月に一度の面会日ですから、息子に会いにきただけです。
ミゲルを呼んでもらえますか?」


彼の言葉に、教官は慌てて駆け出す。
あの様子ならば、さして時間を要することなく息子はこの場に姿を現すだろう。
面会室のソファに身を沈めると、彼はそう考えた。

視線を窓の外に転じると、アカデミー生たちが訓練に明け暮れている。
Tシャツに迷彩姿の生徒たちに笑みを向け、襲いくる痛みに溜息を吐いた。

あの時、確かにいた女性は今もう、この世のどこにもいない。
その事実は、何よりの痛みを彼にもたらした。
もしも運命を選び間違えなければ、彼女は今も、こうしてこの世に存在していたのだろうか。
傍にいて、笑ってくれたのだろうか。
例え傍にいてくれなくとも、存在していたのだろうか。この世に。


「イザーク……」


囁く声が、痛みに揺れる。
ややもして、扉がノックされた。
顔を上げると、借りてきた猫のような……対社交用の笑みを刻んだ『息子』が、敬礼をして立っている。


「お久しぶりです、父上。……いえ、議長閣下」
「父上でいい、ミゲル。今日は父として、お前に面会にきただけだ」


父親の言葉に、息子はくすりと笑う。
いたずらっぽく笑うその顔など、実の父親に生き写しだった。


「お前は年々父親に似てくるな、ミゲル」
「そう?教官には、父さんと母上に似ているって言われるけど」


不思議そうなミゲルに、あぁと彼は頷く。
確かに、対社交用の笑みを浮かべているときなど、昔の自分のようだと思えなくもない。
案外、全員に似ているのかもしれない。
普段は彼。キレればイザーク、ノリはミゲル。
それが、何だかおかしい。


「それにしても、今日は来るのが遅かったな、ミゲル。何かあったか?」
「あ〜……教官に説教されてた」
「説教!?お前、何をしたんだ!?」
「端的に言うなら、喧嘩?」
「いや、疑問符つきで言われてもな?ミゲル。それにしても、よりにもよって喧嘩なんて……」


青褪めるその様は、新米の父親のようで微笑ましい。
泡を食ったような父親とは対照的に、問題を起こした息子はふてぶてしく笑っている。
イザークに似ていると言うのは、あたっているのかもしれない。
この喧嘩っ早さなど、イザークそっくりではないか。


「何だってまたそんなことを……」
「俺が悪いんじゃないよ、父さん。あいつらが、母上を侮辱したのが悪い」
「何?」
「母上が父さんを誑かしただなんて……ただ単に父さんが、報われないと分かっていても母上に迫っただけなのに……」
「ミゲル〜?」


真実であるが故に、息子の言葉がいちいちグサグサと突き刺さる。
ちろり、と胡乱《うろん》な眼差しを向けるが、この少年はそれくらいで堪えるような、柔な子ではない。


「何だよ。事実だろ?」
「いや、事実だが……」


もう少し、言葉を選んで欲しいと言うか……気を遣って欲しい。
そう沈む父親に、ミゲルはけらけらと笑った。


「気を遣っても仕方ないだろ。父さんが母上に振られたのは、事実だ」
「何でお前はそうやって傷跡をゲシゲシ抉るような言動をするんだ、あぁ?」


親子漫才のようなやり取りを繰り返す二人だったが、まもなくして父のほうが表情を改めた。
若くして議長に就任した彼であるが、それを危ぶむ者など……疑問視する者など一人もいない。
それは時として彼が、冷徹な判断を下すことも辞さぬその姿勢に、定評あってのことだ。


「まだ、そんなことをいう奴がいるんだな……」
「ま、半分以上は俺へのやっかみだろ?顔よし、成績よし、声よし。父さんと違って歌も上手いとくれば、完璧すぎてやっかみたくもなるって」
「ミゲル……お前な?」


自画自賛する息子に、脱力した。
この必要以上の自己陶酔っぷりなど、まさしく父親譲りと言えないこともない。
妙に自信家だった彼に、似ている。
眩しい想いに捕らわれて、彼は目を細めた。

思えばあの日々こそが、彼の人生で最も彩を持っていたときであったのかもしれない。


「それで?父さんは一体今日は何の用があって、ここにきたわけ?」
「お前の顔を見たかった、ではいけないのかい?ミゲル」
「そんな気持ち悪いこと言うなよ、父さん」


真顔で返されて、更に力が抜ける。
それでも怒る気がしないのは、人徳ゆえか。
苦笑しながら、彼は一枚の封書を取り出す。
相続関係の、それは手続き書だった。


「もうすぐアカデミーを卒業だろう。そうなれば、お前ももう一人前だ。法的成人年齢をこえて、社会的にも成人として認められる。相続関係の手続きをする必要がある。今のところは俺の養子ということになっているが、ジュール家を継いでもいいんだ、ミゲル。お前の母親の家と姓を」
「そのことなんだけど、父さん。俺はこのまま……ミゲル=ジュール=ザラのまま、ジュール家とザラ家を継いじゃ、駄目かな?」
「ミゲル?」
「俺と父さんに、血の繋がりがないことはわかっている。でも、俺は父さんのこと、本当の父親だと思っている。父さんが、お祖母様《おばあさま》に土下座してまで、俺を育てるって約束してくれた時から……」


ミゲルの言葉に、アスランはあぁ、と溜息を吐く。
12年。
気づけば、それほどの月日が流れた。
幼い子供だったミゲルは成長し、アスランは年を重ねていく。
彼女がいなくなっても、変わることなく営まれていく命のサイクル。

それは無情で、それでいて彼の心に安寧をもたらす、そして同時に残酷な現実だった。


「継いでくれるのか?俺の家を……俺の姓を、継いでくれるのか?お前が?それがどれほどの重責か分かった上で、それを望んでくれるのか?ミゲル」
「分かっている。どれほどの重責か。どれほどの責任を負うものであることか、分かっている。でも俺は、それを望みたい」


震える声で尋ねる父親に、力強く頷く。
30もようやく半ばに達しようかと言う、若い父。
血の繋がらぬ彼を育ててくれたのは、そんな父親だった。
母のことはもう、朧気にしか覚えていない。
それでも、美しかったことは覚えている。
それでも、あらん限りの愛情を注いでくれたことは、覚えている。
自らの命と引き換えに、彼を守った美しい女性。

イザーク=ジュールと言う名であった、人。


「俺は、貴方の背中を見て育った」
「ミゲル」
「だから俺に、継がせて欲しい。貴方の名と、貴方が愛した女性の名を……」


真剣な顔で話す息子に、彼は頷いた。
嬉しそうに、その顔を綻ばせる。


「そう言ってくれて嬉しいよ、ミゲル」
「……許してくれるのか?」
「あぁ。共に、プラントを守ろう、ミゲル」


もしも彼女がここにいたならば、おそらく彼女こそが彼の右腕となりプラントを支えたのだろう。
けれど彼女は、いない。
しかし彼女の息子が、それを為すと言う。

それは、なんて喜びなのだろう。


「そうと決まれば、忙しくなる。マティウスの方には、その旨を報告しているのか?」
「一応。……お祖母様には、ばれていた。俺がそう望むことを、分かっていたみたいで……」
「女性は、勘が鋭いからな」
「マティウスの市議会を傍聴させていただいている。お祖母様の、孫として。お祖母様の後を継ぐものとして」
「そうか。ならば問題はないな」


はきはきと必要と思われる事柄を述べる息子を、アスランは目を細めて見つめた。
父親似だった息子は、母親の美貌をも併せ持つ、そんな青年に育ちつつあった。

日光を紡いだ金の髪は、母の性質を受け継いだのか真っ直ぐで。
その生き様も、苛烈な精神も、母親のものを受け継いでいる。
もっともそこに柔軟性も見られるのは、父親の方に似た結果なのかもしれない。
例え父親の顔を知らずとも、子は親に似るものらしい。

頼もしささえも感じて、彼は息子の頭を撫でた。
不意のことにきょとんとする少年に、笑って。


「大きくなったな、ミゲル」
「……父さん」
「イザークも、見たかっただろうな。お前がそうやって成長した姿を。あいつは、お前を誰よりも愛していたから」
「……知っているよ、父さん」


知っている。
理解している。
あの人は、誰よりも美しかった。
誰よりも美しく、誇り高く。そして、誰よりも彼を愛してくれた。
それを、知っている。

自分を庇って、目の前で冷たくなった母を、忘れない。


「そろそろ帰るよ。面会時間も終わりだから」
「じゃあ、門の所まで送るよ、父さん」


辞去の旨を告げる父親に、息子はそう答える。
耳が隠れる程度に伸ばされた金の髪が、さらりと流れた。

外は、快晴。
気候の調整がなされるプラントならではの、本当に天気のいい日だ。


「父さんは……」


父親の前を歩く息子が、ふとそう父を呼んだ。
父親が先を促すと、彼は尋ねた。


「父さんは、『Misericorde』って知っている?」
「いや……なんだ、それは」
「クルセイダーは知っているよな?」
「……馬鹿にしているのか?ミゲル」


クルセイダーならば、知っている。
人類がまだ地上の重力に縛られていたころ、とある一神教の宗教が起こした国土回復運動。
聖地奪還のために派遣された、十字軍《クルセイダー》


「十字軍騎士の持ち物の中に、それがあったらしい。小振りの、短剣」
「それが……?」
「うん。それが、『Misericorde』だよ」
「ミセリコルデ?」


聞きなれない音の連なりを、唇に乗せてみる。
そもそも息子が何故そのようなことを言い出したのか、それさえも彼にとって定かではなかった。
わけが分からず、とにかく先を促す。


「意味は、『慈愛の剣』」
「慈愛?」
「そう。戦って瀕死の重傷を負ったものを楽にしてやるための剣。だから、『慈愛の剣』と呼ばれたらしい……」
「それで、何が言いたいんだ?」


息子が語ろうとしている、言わんとしていることが掴めなくて、父はそう尋ねる。
息子はそんな父親に、かすかに笑った。


「母上のこと」
「うん?」
「あの言葉が、母上からの『Misericorde』だったんだよ、きっと」
「イザークからの?」
「母上は父さんのこと、愛していたと思う」


その言葉が、すとんとアスランの心に落ちてくる。
父親の動揺に気づかず、息子は淡々と話し続けた。


「愛していたと思う、父さんのこと。そして父上のことも、俺のことも。だからあの人は父さんに、それを言わなかったんだ……」


綺麗に微笑んで、『愛したことなどない』と。
そう囁いた人。
美しい笑顔で、アスランの心に止めをさした。
イザークに惑い続けるアスランの、その執着に。
彼女は誰よりも美しく、優しい人だったから。
アスランのためならば笑顔で、悪者になったのだろう。
美しい笑顔で、全てを欺いて。
それでも、彼女は確かに愛したのだ。アスランを。
それだけは、忘れないで欲しかった。


「それだけ。それだけ、父さんに知っていて欲しかったんだ」
「そうか……」
「うん。じゃあ、俺はこの辺で。身体に気をつけて、父さん」
「お前もな、ミゲル。……次の休暇にはまた、一緒に墓参りに行こう」
「ああ」


父の言葉に、息子は笑顔で答える。
手を振って、別れの挨拶に代えた。
湿っぽいのはお互い、性に合わないのだ。


そして、踵を返す。
彼の在るべき場所に戻ろうとして、もう一度、彼は後ろを振り返った。
輝かしい思い出が、眠っている場所。
彼女と過ごした、場所。
それを、もう一度振り返って。


「忘れないよ、イザーク」


君という女性がいたことを。
君という女性を愛したことを。
君という女性に、かすかでも愛してもらったことを。
決して、忘れない。

鮮やかに微笑んで、全てを欺いて。
泥を被ることで、その執着に彼女は止めを刺した。
美しく微笑んで。
傷つけることに泣いて。
それでも、それが彼の幸せのためだ、と。
人のために、自らを犠牲にしながら。
それでも、笑って旅立った人。


「忘れない……」


風が、吹いた。
アスランの呟きも何もかも攫ってしまうくらいの、一瞬だけの突風。
しかし、それはどこか温かくて。
まるで笑いさざめいているように思われたから。
そしてアスランは、確かに聞いたのだ。


――――『幸せか?アスラン』――――



風に乗って確かに、そう声が聞こえた。
聞き間違いであったのかもしれない。
所詮幻聴に過ぎぬモノであったのかも知れない。
それでもアスランは確かに、そこに彼女を感じたのだ。
だから、囁く。


「俺は幸せだよ、イザーク」









俺の心を攫って。
この心に止めを刺した。
誰よりも残酷で美しい。
そして、優しい君。

幸せだよ、俺は。













ねぇ、この声が、聞こえているかい?