『慈悲』という感情。 それは一体、どこから来る感情なのだろう? 「敵と相対すれば、必ずその敵を滅ぼす『ヴァルキュリア』」。 私は地球軍から、そう呼ばれているらしい。 慈悲の心を持たず、逃げる敵も容赦なく殺す。 冷たい殺人者。 ザフトにおいて士気高揚に役立つこの名が地球軍にもたらすのは、憎悪と畏怖。 別にそれを、悲しいとか。辛いとか思うのではなくて。 ただ、こんな風にして生きてきて、そしてこれからもこんな風にしか生きられない私は、どこか人間としておかしいのではないか、と。 ただ、そう思う。 それが確かに、私の選んだ道なのだけれど――……。 鋼のヴァルキュリア #11 綺想曲〜[〜 硝煙の立ち込める、その場所。 鼻をつくのは、血の匂い。 耳を打つのは、苦痛に呻く声。 その渦中にあって、笑みすらも浮かべて立つのは、いまだ少女の域を出ない、幼い少女。 「……さん……」 呆然と、キラは呟く。 そしてキラは、表情を改めた。 男が一人、物陰に隠れ、銃を構えている。 狙いは、分からない。キラたちと同席していた男かもしれないし、その延長線上に立つ少女かもしれない。 考えるよりも先に、躯が動いていた。 ブルー=コスモスの誰かが落としたのだろう拳銃をキラは掴み、投げつける。相対する男の銃が衝撃に暴発した。ひるんだその隙に、キラは助走もなしに飛び上がり、蹴り倒す。キラの蹴りを顔面に受けた男は、そのままあっけなく昏倒した。 キラは、少女のほうへと振り返る。 そして、瞠目した。何時それを受けたのかは分からない。しかし少女の白い頬に、赤いものが一筋、伝っている。 ――――血だ。 「さ……」 「大丈夫か!?!!」 キラの言葉をさえぎるように、誰かが彼女の傍に駆け寄る。 キラと大して年の変わらない、少年のようだ。 「大丈夫か?」 「大丈夫よ。心配しすぎだわ」 「そう言って、生傷の絶えない奴は、どこのどいつだ?貴様は女なんだぞ。もっと気をつけろ」 そう言って、少年は少女の頭を軽く小突く。 心底呆れたと言いたげなその口調には、その仕種には、少女への愛しさが溢れていた。 「ったく。嬲り殺しなんてやるからだぞ」 「仕方ないわ。私、ナチュラルはなんとか許容できても、ブルー=コスモスだけは許容できないんだもの。あいつらの存在が、世の中の害悪よ」 吐き捨てるような、口調。 「私の父様も母様も兄様も、あいつらに殺された。『青き清浄なる世界のために』なんてくだらないお題目のために……ね」 「気持ちは、分からんでもないがな。俺の父上も、あいつらのせいで殺された。だが、やりすぎは禁物だ。それで自分に隙を生じさせるなど……!!」 呆れたように、イザークは言う。 確かに、敵を嬲るのに夢中になって防御を疎かにするなど、武人としてあるまじき失態だ。 「次からは、気をつけるわ。それでいい?」 「是非ともその言葉、忘れないでいただきましょう。=嬢」 「素敵な嫌味をどうも有り難う、イザーク=ジュール殿」 ニコリと、は笑みを浮かべる。 それはキラを、そしてイザークを捕らえてやまない、あの微笑みで。 切なさが、キラの心を刺す。それは同時に、当たり前のように彼女に笑顔を向けられる男への嫉妬に、形を変えていく。 「……人が集まってきたな。そろそろ移動するぞ」 「異議はないわ」 「だが……少し待て」 イザークは言って、の躯を抱き上げる。それは俗に言う、『お姫様抱っこ』という奴で。 「イ……イザークっっ!!何するのあんたはぁぁぁ!!」 「傷の手当てだ。本当は、立っているのも辛いんだろう?」 イザークに言われ、は渋々頷いた。 爆風やらなんやらの影響で、スパッツが裂けて血が滲んでいる。掠り傷は掠り傷だが、数が多ければ痛みも倍増するわけで。 イザークはの躯を抱いたまま、近くの椅子へと歩く。そのまま少女の躯を、椅子に座らせる。 「手当てって言っても……」 「ちゃんと簡単な応急処置のキットは持ってきている。それくらいの準備もなしに、護衛は勤まらんだろう?」 イザークの言葉に、は頷くが。 それはもう、やけっぱちというか、自暴自棄というかで。 手早く、イザークはの傷の手当てをする。 さすがは軍人とでも言おうか。実に手馴れている。 「宿舎に着いたら、きちんと消毒しろよ。女なんだ。放って置こうとするな」 「そんな念を押さなくても、分かってますって」 言って、は立ち上がる。 キラは、少女に目をやったまま。身動ぎさえ、できない。 焦がれた、少女。焦がれて、でも、敵同士で……。 の瞳が、ちらりとキラを見る。 けれどもう、そこには、先ほどのような驚愕の色はなかった。 はキラを、そこら辺にある石ころのように黙殺している。 (さん……) キラにはその名を、呼ぶこともできない。 キラにその権利は、ない。と敵対することを選んだそのときに、その権利は失ったのだから。 「」 帽子のせいで顔の判別のつかない――しかしおそらくキラと同年代の少年と思われる――が、の名を呼ぶ。 呼ぶことのできる少年に。呼ぶ権利を有している少年に、嫉妬すらも覚える。 「ここまでで、いいよ?ここからは、私一人で行けるから。もう、平気。有難うね、イザーク。あ、そうそう。もしもヘリなかったら、このホテルに来るといいわ。“砂漠の虎”が宿泊しているホテルよ」 はそう言って、イザークにそのホテルの名を伝える。 愛しい、少女。 ここまででいい、と彼女は言ったのだけれど。それは当然、イザークにとって承服できる内容ではなくて。 だって、そうだろう?ついさっきも、軽傷とはいえ怪我をして。少女はいつも、そうだ。いつも、生傷が絶えなくて……。愛しいと思えば余計に、そんな少女が心配で心配で、堪らない。 「私は、大丈夫。ここからは、私一人で行くよ」 はそう言って、笑う。 少女とはまだ、短い付き合いだけれど。 それでもイザークは、知っている。こう言い出したら少女は、決して引かないことを。 一途で、そしてどこまでも純粋な、『ヴァルキュリア』。 それが、彼女。イザークを捕らえた、彼女の本質。 「……分かった。じゃあ、またな」 「イザークにも、見せてあげるわ。兄さんの作った私の剣――私の、ワルキューレを」 「『ワルキューレ』……『ヴァルキュリア』の、『ワルキューレ』か……。それは是非とも一度、見てみたいものだ」 「すごく綺麗な機体よ。イザークにも、見せてあげる。『鋼のヴァルキュリア』を」 少女は、笑った。その笑顔は、どこか歪んで見える。 どこか、それは禍々しく見えて……。 「あ、そうそう。イザーク、これあげる」 少女は紙で包まれたものを、イザークに投げてよこした。 イザークの脳裏を、疑問符がちらつく。 しかし少女はそれに答えず、くるりと踵を返した。 仕方なしに、イザークはそれを、見送る。 不意に視線を感じて、彼はそちらに目をやった。そこにいるのは、派手な格好をした男と、気弱そうにすら見える少年。 イザークは眉間に、皺を寄せた。 厳密にいうと、少年のほうに。 それは、直感だった。ただ、思った。同類だと。彼もまた、少女に捕らわれたのだ、と。 二人は同時に、警告を発した。 冷笑すらも滲ませて、イザークは踵を返した。 ふと、足元のものに目がいった。 そこにあったのは、コンタクトレンズのケース。 「何だ、これは?」 何故、こんなものが、ここにある?少女が、落としたのか……? だが、コーディネイターに近視はいない。生まれたときより、望ましい遺伝子を得ている彼らに、それは有得ない。 大方、その辺のナチュラルのものなのだろう。 そのまま捨ててしまうことも、できた。けれど何故か、イザークはそれを躊躇ってしまった。躊躇って、それを手に取った。 何かが、引っかかった。それはまだ、形にはなっていないのだけれど。何か……そう。喉に小骨が刺さったような……。そんな不確かな、引っかかり。 イザークはそのまま、バナディーヤを後にした……。 キラとカガリはバルトフェルドに招かれ、彼の宿舎となっているホテルに訪れていた。 「さぁ、どうぞ」 「いえ。僕たちは。もう……」 「いやいや。お茶を台無しにした上に助けてもらって……。彼女なんか服、ぐちゃぐちゃじゃないのそれをそのまま、返すわけにはいかないでしょ?ねえ?僕としては」 はっきり言って、冗談ではなかった。バルトフェルドは気づいていないのかもしれないが、彼らは敵同士なのだ。 下手なことをして、正体が知られたら、困る。 しかしこうまで言われると、これ以上断るのも、逆に怪しまれるような気がする。 キラは仕方なく、バルトフェルドの招待に応じることにした。 玄関に足を踏み入れると、美しい女性が立っていた。 「この子ですの〜?アンディ」 甘えた口調で、女性はバルトフェルドに語りかける。緑なす黒髪に、同色の瞳。 髪の一房に金のメッシュが施されている。 顔立ちは甘やかであると同時に、妙な色香を感じさせる。 「ああ。彼女をどうにかしてやってくれ。チリソースとヨーグルトソースとお茶をかぶっちまったんだ」 「あらあら。ケバブねえ」 女性はカガリの顔を覗き込み、優しくその肩を抱いた。 「さあ、いらっしゃい 「カ、カガリ」 キラと離されたカガリが、不安そうな顔をした。 思わずキラは、そちらに向かっていこうとする。 「大丈夫よ、すぐすむわ。アンディと一緒に待ってて」 「お〜い。君はこっちだ」 バルトフェルドに呼ばれて、キラは一室に足を踏み入れた。 むっとするほどの香気を、感じる。コーヒーの香りだ。 案の定、バルトフェルドはコーヒーを淹れているところだった。 「僕は、コーヒーにはいささか自信があってね。まあ、かけたまえよ。くつろいでくれ」 そう言って、バルトフェルドはクイッと、ソファのほうへ顎をしゃくる。 「くつろいでくれ」といわれても、平均的は家庭で生まれ育ったキラにとって、その部屋の内装はとても「くつろぐ」ことのできるものではなくて。 なんていうかその部屋は、キラの主観でいくとあまりにも豪勢な内装を有していた。 ふとキラは、暖炉の上に飾ってあるものに目を奪われた。 何かの化石……その、レプリカだ。 その実物はプラントに存在し、その名前は……。 「『エヴィデンス=ゼロワン』実物を見たことは?」 「いや……」 キラがもしも、普通一般のコーディネイターのようにプラントに住んでいたなら、この実物を見る機会もあっただろう。 けれど現実にキラはプラントに住んだことはなく、必然的にそれを見ることもなかった。 「どうしてこれを“クジラ石”と言うのかねえ。これ、クジラに見える?」 「いや、そういわれても……」 コーヒーの入ったカップをキラに差し出しながら、男は問う。 彼が何を言わんとしているのか。キラにはそれが分からなかった。 「これ、どう見ても羽じゃない。普通、クジラに羽はないだろ」 「ええ、まぁ……。でも、それは外宇宙から来た、地球外生命の存在証拠ってことですから……」 「僕が言いたいのは、何でこれが“クジラ”なんだ?ってことだよ」 「じゃ、何ならいいんですか?」 キラが逆に男に問うと、彼はう〜んと考えた。 キラはカップに、口をつける。 ……苦い。 「何ならといわれても困るが……。ところで、どう?コーヒーの方は……」 男が問うと、キラは困ったような顔をした。 「美味しい」といいたいのは山々なのだが、そのコーヒーはキラには苦すぎた。 キラの言いたいことを、その表情から察したのか、彼は苦笑した。 「あっ。君にはまだ分からんかな。大人の味は」 そのとき、だった。 なにやらひどく、騒がしくなった。 「だ……駄目ですよ、今は……」 「いいじゃない、ちょっとだけ。着任の挨拶をするだけよ。すぐすむわ」 「しかし……」 どうやら、揉めているらしい。 「今、客人が……」 「そんなの、私の予定にはなかったもの。早く挨拶済ませて、カークウッドとシミュレーションするのが、私の予定なんだから」 「しかし……!!」 押しとどめる声は、おそらく自分の副官のものだろう、とバルトフェルドは思った。 そしてその相手は……。 ばぁん、と扉が開いた。 現れたのは、自分の予測の通りの人物。 深紅の軍服にその華奢な躯を包んだ、少女。 ――――だった。 「アンディ、久しぶり!!」 「やぁ、。君もどうだい、コーヒーは?」 「頂くわ。でも、その前に。――――アンドリュー=バルトフェルド隊長。クルーゼ隊、=。着任いたしました」 ピッと、ザフト式の敬礼をする。 それに、バルトフェルドも返礼した。 突如乱入してきた人物に、キラは瞠目する。 彼女は、バルトフェルドの指揮下に入ったのだ。それはすなわち、キラたちと敵対することで……。 「まぁ、。君もかけたまえ。君にも聞いてほしいことがある」 「客人がいるのに?非礼にならない?」 「いや、乱入してきた時点で既に非礼だからね。いまさらどうっていうこともない。カークウッドとのシミュレーションは、後でもいいだろう?」 「……分かりました。失礼します」 一礼して、はバルトフェルドの向かいに腰掛けようとするが、それはとめられた。 「。彼には同行者がいる。だから君は、こっちにかけたまえ」 「……アイシャ。私の本意じゃないからね。恨まないでよ」 呟いて、少女は腰掛けた。 まっすぐでひたむきな、その眼差し。 思わず胸が、痛くなって……。 二人の間にあるのは、圧倒的なまでの断絶。 仲間のために同胞を撃つことを決めた少年と、同胞のために戦う道を選んだ少女。 二人の思考はねじれの位置の関係にあり、近づくことはない。 それは一体、どちらがより不幸だったのだろう? 出逢ってしまった。 そのことが、互いにとっての不幸だったのだろうか……。 +−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+ 久しぶりの更新です、お待たせしました……って待っていてくださった方がいるかどうかも謎なのですが。 漸く更新することができました。 今回までがデート篇だったのですが。 ……あんまり甘くないですね。 でも微妙にイザークが王子チックになってよかったなぁと。 何で姫抱っこまでさせたかは、謎ですが。 ここまでさんに惚れてたら、怪我をしたらやってくれそうじゃないですか、姫抱っこ。 それも自然に。 ……天然タラシの素質ありますね、イザークさん。 それでは。ここまで読んでくださって、有難うございました。 |