見慣れた風景が、目の前に広がっていた。

風景というよりもそれは、情景というべきだろうか。

温かい日差しの差し込むサンルーム。

真っ白なカバーに包まれたソファ。

レースのテーブルクロス。

その上に置かれているのは、マイセンのティーセット。そして目の前の女性お手製のクッキー。

「幸せ」というものを形にするなら、それはこんな形をしているのかもしれない。

――――『次の子は、女の子がいいわね』――――

――――『何故?男の子でもいいではないか。今度は、あいつに似た男の子でも』――――

――――『一人ずつ、欲しいのよ。男の子と女の子、一人ずつ。だから今度は、女の子が良いわ』――――

グレイの瞳を細めて、女性は微笑った。

優しいその、微笑み。

湛えた笑みはそのままに、彼女はそっと、己の腹部に手を触れた。

一つの命の宿った、己の腹部に。

それを見ながら、ふと、思いついた。

それはとても、楽しい思い付き。目の前の女性もきっと、受け容れてくれるに違いない。

――――『ならば、どうだろう?もしも生まれてくるその子が女の子だったら、私の息子の嫁にしないか?』――――

――――『まぁ!素敵ね。是非、そうしましょうよ』――――

目を輝かせて、彼女は喜びを露わにする。

その微笑が、好きだった。

彼女の喜ぶ顔を見るのが。

本当に、好きだったんだ――……。



嗚呼。どうして、喪われてしまったものは。

それがもたらす記憶はどうして。こんなに胸に、切なくも甘い痛みを引き起こすのだろう――……。





ヴァルキュリア
#14 






一人の女性が、いた。女ながらに片意地を張って生きていた自分を受け容れてくれた、それはただ一人の存在だった。

愛した人がいなくなったとき、もしも彼女が生きていてくれたなら、自分のこの痛みは、少しは和らいだのだろうか?

自分のこの胸の痛みは少しは、癒されたのだろうか?

それを考える自分の愚かしさを知っていながらも、願わずにはいられないほど。

その存在を焦がれる自分を、彼女は知っていた。

だからこそ、許せない。彼女からそれを奪ったナチュラルが。

彼女に遺されたものは、僅かのものだった。

愛する人との間に生まれた、子供。そして友人の遺した、子供。ただ、それだけ――……。

だからこそ、彼女は容赦をする気もない。断罪の声をやめる気も、ない。

奴らはそれだけのことをしたのだから。

そして彼女のたった一人の息子は今、戦場にいる。恐らく、主戦派である彼女の立場を慮って。

そして大切な友人の子供は、今どこにいるか分からない。

分からないまでも、彼女は祈らずにはいられなかった。

どうか幸せであるように、と。

祈るしか出来ない自分が、歯痒くて仕方がない。けれど彼女の戦場は、ここだ。

銃を取り、戦場に立つだけが戦争ではない。彼女の戦いはここで、より良い道を探すことなのだから。

だから、祈る。その無事を。戦場に立つ我が子と、大切な友人の遺した者のために――……。



**




――――『早く帰ってきてね、兄さん!!』――――

――――『分かっているよ、。いい子で待っていなさい。すぐに帰ってくるから』――――

――――『きっとよ、兄さん。待ってるから。待ってるからね』――――

シャトル発着所まで、兄を見送りにいった日のことを、今でも昨日のことのように思い出す。

滲む涙で、兄の顔が良く見えない。それでも、アイスブルーの双眸を細めて兄が微笑むのが、見えた気がした。

――――『兄さん!!』――――

何がこんなに悲しいのか、には分からなかった。

兄が仕事で外出するのは、良くあることで。それが一月に及ぶのもまた、よくあることだった。

それなのに何故、こんなにも悲しいのだろう。こんなにも涙が、溢れてしまうのだろう。

――――『笑いなさい、。お前の笑顔が、私は好きだ。このままでは、私はお前の笑顔を忘れてしまう。大丈夫だよ、すぐに帰ってくるから』――――

微笑みながら、兄がその涙を拭う。男の人にしては細いその繊細な指が、優しくて。

微笑むその笑顔が、何よりも変えがたく思われた。

大好きだった。

――――『じゃあ、行ってくる。今回は、マイウス市とマティウス市、そしてユニウス市に滞在だな。詳しい日程は、デスクの上にプリントアウトしておいてある。それを見なさい』――――

――――『うん』――――

頷いて、微笑む。

兄が微笑んで。





――――それが、兄の最後の姿になるなんて、思ってもみなかった――……。

あの笑顔が、もう見れなくなるなんて。本当に、思っても見なかった。

だからこそ、誓った。願った。それが兄の想いとは対極に存在する願いだったとしても――……。



**




全ての物事に始まりがあるとするのならば、それはある一つの事象に、それぞれ収斂されるのかもしれない。

この戦争の原因は、『血のバレンタインの悲劇』。

しかしそもそもの根源は、ある一人の男の存在にあった。

男の名は、ジョージ=グレン。

彼こそが、人類初めてのコーディネイターだった。

あるとき彼は、木星探査ミッションにより、自らが設計した宇宙船で片道7年間の旅に出た。

その際に、地球の衛星軌道上で、彼は言ったのだ。

「自分は、人の自然のままに、ナチュラルに生まれたのではない」

と――……。

彼は、告白した。

己のその出自を。

「僕は、受精卵の段階で人為的な遺伝子操作を受けて産まれた者。その詳細な技術のマニュアルを今、世界中のネットワークに送る」

そして、彼は言った。

自分は自然に産まれた者たちより、多くの力を持てる肉体と、多くの知識を得られる頭脳を持っている。

自分をこのような人間にした人物は、こう言っていた。

『我々人には、まだまだ可能性がある』

それを最大限に引き出すことが出来れば、われらの行く道は果てしなく広がるだろう

と。

「今、この宇宙空間から地球を見ながら、僕は改めて思う。僕はこの母なる星と、未知の闇が広がる広大な宇宙との架け橋、そして人の今と未来に立つもの。“調整者・コーディネイター”このようにあるものなのだと……」

「僕に続いてくれるものがいることを切に願う」

それだけを言い残し、片道七年の旅に出た。

そして地上に残されたものは、彼の残したマニュアルと、混乱……だった――……。

コーディネイターとは、生まれながらに遺伝子を弄り、生まれたその存在。それに生理的な嫌悪を感じる人は、勿論いた。

為政者たちは当然、遺伝子操作を禁じた。

しかしそれでも、我が子に遺伝子操作を加える人間は、後を絶たなかった。

僅かな金銭で、手にはいるのだ。

自分が望むものが。自分の遺伝子を継承するものに、残せるのだ。自分の望むものを。容姿すらもまるで、アクセサリーの一種であるかのように。

勿論、表立って遺伝子操作を賞賛するものはいなかった。しかし裏では、誰もがそれを望んだ。

自らの血統の上に立つものに、自ら望んだものを残すために。

それは、罪であったのかもしれない。

願ってはならないことだったのかもしれない。それでも……。



そして十四年後、ジョージ=グレンは地上に戻ってきた。

新たな火種を抱えて――……。

それは、『エヴィデンス01』

外宇宙からもたらされた、地球外生命体の『存在証拠』。

「僕たちは、この外宇宙からの贈り物を調査するため、宇宙へと出る。僕たちの研究プラントはまた、資源・技術・様々な宇宙の恩恵を、地球へともたらすだろう」

ジョージ=グレンのその言葉は、彼の望みであり、希望であったのかもしれない。

しかし、そうはならなかった。

様々な『違い』を抱える人類に彼がもたらしたものは、『新たな違い』だった。

異質は恐怖を生み、恐怖はまた、新たな騒乱の火種となる。

それを、彼は身をもって知ることとなった。

ジョージ=グレンは死亡する。己では決して宇宙へと出ることは出来ないと、絶望した少年の手によって。

そして地上では、コーディネターへの迫害が始まった。

ナチュラルよりもはるかに宇宙環境に適応できたコーディネイターは、母なる惑星を飛び出し、宇宙へとその生活の場を求める。

そしてそれはやがて、破局を迎え……。





持つ者に、持たざる者の思いは分からない。

持たざる者は持つ者を妬み、持つ者はその異質さゆえに孤立する。

違うもの。己と違うもの。だが……。

だが、愛せようもあるはずのもの……。それが互いに争いあう、その現実――……。





それが、戦争だった――……。



**




それは、罪、だった。

如何に言葉を用いようとも、決してしてはならない。

そんな、罪、だった。

けれどそれでも、彼は願ってしまった。

祈ってしまったのだ。

だから、彼は決めた。

彼自身が、決断した。

罪は、彼にある。

自ら、罪人となる道を選んでもなお、その存在に焦がれてしまったのだから――……。

そして今、焦がれた存在が目の前にある。

それにどうしようもない喜びを感じる自分を、彼は知っていた。

彼の目の前で、ゆっくりと『彼女』は目を開けた。

左の瞳は、闇よりもなお濃い漆黒。それは、濡れて輝く黒曜石を思わせる。

右の瞳は、碧玉。それは、深い水底を思わせる色彩。

焦点の合わない瞳が、彼に向けられる。

ゆっくりと、彼は微笑んだ。

そして、囁く。

「おはよう、。よく眠れたかい?」







彼の罪はその時、確定した――……。





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う〜ん。今回、これで今後の展開が読めてしまった方、かなりいそうですよね。

まぁ要するに、そういうことです。

展開読めた!!って方は、恐らくそれが正解だろうと思われます。

私の文才のなさが如実に出てますね、すみません。

ただ、これは避けては通れない設定だったんです。

そう思って寛大な心でいてくだされば助かります。



ここまで読んでくださって、有難うございました。

今後もよろしくお願いします。