敵は、滅ぼさねばならない。 それを教えてくれたのは、誰? ナチュラルとの協調を重んじていた父様。 穏健派の兄様。 その二人の死が、私にそれを教えてくれた。 貴方たちでしょう? 貴方たちナチュラルが、それを教えてくれたんでしょう? 鋼のヴァルキュリア #17 円舞曲〜後〜 Nジャマーの影響で、地上では電波を介した通信を行うことが難しくなった現在、二人はなかなか、カーペンタリアの基地本部と通信を取ることができないでいた。 しかしだからと言って、アスランはさほどその点を心配してはいなかった。 一人で無人島に取り残されたならば、さしものアスランも不安を感じただろう。けれどアスランは一人で取り残されたわけではなく、と一緒で。 それにすぐに、基地本部から救援が来るだろうことは疑いようもなかったから。 イザークの、に対する想いを思えば、彼はすぐにも救援を出すだろう。 イザーク=ジュールという男の想いを、アスランは正確に把握していた。 を愛してやまない彼が、みすみすを危険かもしれない場所に放り出しっぱなしにすることは、あるまい。 もおそらく、その心配はしていないだろう。むしろ彼女は、イザークは必ず助けに来てくれるものと、確信すらしていたかもしれない。 コックピットに収まり、それでも通信を試みるアスランの視界に、尺取虫のように這いずりながら逃げようと必死になっている少女が映った。 そうこうしているうちに、遠来が轟き、空の一隅を占めていた黒雲が急速に広がり、辺りを支配する。 やがて激しい雨が、地上に叩きつけるように降り注いできた。 ……雨が降ったら、綺麗になるだろうか……? 激しく降り注ぐ雨に打たれながら、は愚にもつかぬ事を考えた。 ナチュラルの血で穢れたこの躯。 血の匂いしか、おそらくしないだろう。 ……雨が降ったら、この躯も綺麗になるだろうか? (でも、この躯に染み付いた血を全て洗い流そうとしたら、洪水が起こるくらいの水が必要だろうな……) あまりにも、罪を重ねたこの躯。 それを悲しいなんて、思わない。 自ら選び、自ら下した決断を、後悔したりはしたくない。 けれど時折、思ってしまうのだ。 自分は決して、兄と同じところへは逝けはしまい。 それだけの罪、重ねた故に……。 「。風邪を引くぞ」 コックピットからそれを見たアスランは、思わずに対し注意を促していた。 確かにコーディネイターは発病することも稀だが、それでももしもの場合がある。 アスランの声にも顔を上げ、アスランに向かって声を張り上げる。 「アスラン……。連絡、取れた?」 「いや。やはり難しいようだ。まぁ、この辺りまでくれば、救難信号をキャッチしてくれるとは思うが……」 「まぁ、いざという時は、“ワルキューレ”で“イージス”を抱えてカーペンタリアを目指す手もあるけど……」 同じ形態ではあるが、地球軍が秘密裏にオーブのコロニーで開発した]ナンバーとは、の機体は作り手が異なる。 の機体を作ったのは、かの――コーディネイターにおいて知らぬ者はないと言われる――=、その人で。 彼が自ら開発したZGMF−X 08A“ワルキューレ”は、大気圏内での単独の飛行も可能なのだ。 「あまり無理はしないでくれ、。大丈夫。イザークたちならきっと、俺たちを見つけてくれる」 「うん。その点に関して言えば、私も確信している」 イザークは、優しい。 そんな人だからきっと、たちを見つけてくれるはず。 見つけようとしてくれるはず。仲間思いの、彼だから――……。 はまだ、イザークの想いを完全には理解していなかったのかもしれない。 彼女にとってイザークは、何においても守りたい対象とはなったが、それでもそれは、恋愛感情から発生したものではなく、単に兄を思うが自らの保身のために願ったことだったから。 とイザークの考えのベクトルは、異なる。 だからはまだ、イザークの気持ちを完全には理解することが出来ていなかった。 「そんなことより、アスラン」 「何だ?」 「彼女、溺れかけてる」 の指差したほうへ目をやると、窪地にはまり込み、溺れかけているのが見えた。 「まったく」 アスランはイージスの腕を動かし、沖に向かってソノブイを投下する。 それから、溺れかける少女の上に、イージスのシールドをひさしのように掲げてやった。 「おい、お前。何をやっている」 「見て分かんないのかよ!動けないんだよ!」 コックピットを降りて尋ねると、溺れまいと必死になりながらも偉そうに少女は答えた。 「何やってんだよ!突っ立ってないで、早く助けろよ!」 「偉そうに言える立場か?」 「いいから!早く助けろって!」 腕組みをしながらそれを眺めているに、助ける意思はないらしい。 アスランは水から少女を引き上げた。 「大丈夫か?」 案じるように尋ねると、少女の肩先からアスランの腕を磯ガニが伝い、落ちた。 何ともなしに、アスランは吹き出す。 「カニがそんなにおかしいかよ!」 「いや、失礼。あまり経験がないんでね……こういうことは」 「プラントにはカニはいないのか?」 憮然としながら少女は立ち上がり、縛られた足でぴょんぴょんと跳ねるように砂浜を移動する。 「おい……どこへ行く!?」 「丁度いいから洗うんだよ!砂だらけなんだから!」 少女はそう言い、天に向かって顔を上げた。 と同じ仕種。けれどそこに、彼女にあったような悲痛や、悲壮感はない。 何故、それをしようとしたのか、それはアスランには分からなかった。 しかしアスランは、次の瞬間には少女の戒めを、ナイフで断ち切っていた。 驚いた顔で少女は振り返り、もまた、驚いた顔で組んでいた腕を解いてアスランを凝視していた。 毅い漆黒の瞳が、アスランを責めるように見つめる。 アスランは言い訳のように呟いた。 「こちらは二人だし、武器のないお前が暴れたところで大したことはない」 「何だと!」 「服の中にもカニがいるようだぞ」 「えっ!?うわ!ホントだ!」 アスランの言葉に、少女は服の裾を捲り上げる。 胸のふくらみさえも殆ど露わになり、アスランは思わず赤面し、背中を向けた。 真っ赤になって歩き出したアスランは、足を滑らせて溝に落ちた。 少し離れた場所では、がそれを呆れた顔で眺めていた――……。 火の爆ぜる音に、は顔を上げた。 狭い洞窟内には、三人しかいない。 「ほら」 非常用パックから食料を取り出し、アスランはカガリにそれを差し出した。 カガリが反応しないのを見ると、それを足元に置く。 「電波の状態が酷い。今夜はここで夜明かしになる可能性が高いぞ」 「電波の状態が悪いのは、お前たちのせいじゃないか」 「先に核攻撃を仕掛けたのは地球軍だ」 カガリの指摘に、アスランは呟くように答えた。 確かに、そのとおりだ。反論することすらも、カガリには出来ない。 アスランは自分の分のカップを取り上げ、中身を口にした。 「ザフトのものでも食料は食料だ。自分の分はパックごと流されたんだろう?」 敵の情けなど、受けられる筈もない。 カガリは突っぱねようとしたが、その時彼女の腹が音を立てた。 カガリは、アスランが差し出した食料に手を伸ばした。 その様を、アスランが微笑ましい思いで眺めていると、横合いから声がかけられた。 「アスラン、足りないでしょ?あげる」 「いや、俺は大丈夫だ。はしっかり食べたほうがいい。ただでさえそんなに細いんだから」 「隊長の食料削らせて、隊員が食べるわけにはいかないでしょ?それに、元々そう食べれるほうじゃないから」 「なら……有難う」 礼を言って、アスランはの好意を受け取った。 確かに、はあまり食べない。 甘味は好きなようだが、食事量が少ないのだ。ミゲルが存命だった頃、何度か食堂で彼の小言を聞いたことがある。 ――――『食事はしっかり摂れって言ってるだろうが!飯食えないなら菓子を食うな!』―――― ――――『ちゃんと足りない栄養はサプリメントで補ってるもの!ミゲル兄さんの意地悪!小姑!』―――― ――――『誰が小姑だ、誰が!いいからもうちょっとちゃんと食え!』―――― ……云々。 「ちょっと、アスラン。何笑ってるのよ!?」 「いや、昔のことをちょっと……」 「何よ、昔のことって!?思い出し笑いをするなんて、アスランてムッツリだったのね!」 「誰がムッツリだよ、誰が。……いや、ミゲルをちょっと……ね。思い出した。例の、『ヴェサリウス名物・食堂での小言』を」 「……懐かしいなぁ……」 アスランの言葉に、は愛しげに漆黒の瞳を細めた。 戻らぬ過去。喪われた優しい想い出。 あまりにも幸せだった時間。 を喪って初めて、漸く手にした優しい場所。 兄の親友の傍ら。優しい人。 膝を抱えて踊る炎を眺めながら、もう遠いその人の優しい笑顔を、は思い出していた。 沈黙が、洞窟内を支配する。 とアスランにとってそれは、決して嫌な沈黙ではなかったのだけれど。 その空気に耐えられなくなったカガリが、焦ったように声を張り上げた。 「わ、私を縛っておかなくていいのかよ」 「ん?」 「隙を見て銃を奪えば、形勢は逆転だ。そうなったらお前ら、馬鹿みたいだからな!」 カガリの言葉に、アスランとは笑う。 本当にこの少女は、何も分かっていない。 武器を持つと言うこと。戦うと言うこと。何も分かっていないのだ……。 「何で笑うんだよ!」 「いや、懲りないやつだと思ってね」 「本当に懲りないのね、貴女」 ほぼ同時に、アスランとは同じような言葉を紡いでいた。 「……銃を奪おうとするなら、殺すしかなくなる……」 「アスランの銃を奪うなら私が、私の銃を奪うならアスランが、貴女を殺すわ。……私はアスランほど甘くないし、ナチュラルに寛容でもないもの」 小さく呟くアスランと、淡々と語る。 それが余計に、二人の本気を物語っていた。 思わずカガリは、息を呑む。 「だからよせよ、そんなことは。ヘリオポリスでもここでも、せっかく助かった命だろ。ヘリオポリスは……俺たちだって、あんなことになるとは思ってなかったさ」 「え?」 「モルゲンレーテが開発した地球軍のモビルスーツ……それだけ奪えればよかったはずだった……」 「何を今更!どう言おうが、コロニーを攻撃して壊したのは事実だろうが!」 アスランの言葉に、カガリは声を荒立てる。 くすくすと、は微笑った。 「中立だと言っておきながら、オーブがヘリオポリスであんなモノを作っていたのも事実でしょう?」 「……」 「俺たちはプラントを守るために戦っているんだ。あんなモノを見過ごすわけにはいかない」 「それは地球だって同じだ!私たちだって、お前たちが攻めてきて地球をメチャクチャにするから……」 三人の異なる色彩を有する瞳に焔が踊る。 相手の言葉を、そのまま黙って聞いているわけにはいかなかった。 そうしたなら、砂漠で死んでしまった仲間たちに、申し訳ないような気がした。 しかしカガリの言葉も、続くアスランの言葉には一切の価値をなくしてしまう。 「俺の母はユニウスセブンにいた……」 「!」 「ただの農業プラントだった。何の罪もない人たちが、一瞬のうちに死んだんだぞ。……子供まで。それで黙っていられるか!?」 「私の友達だってたくさん死んだよ。お前たちの攻撃でな!」 「へぇ……。ずいぶんたくさんのお友達がいること」 「何だと、貴様!?」 「赤の他人同然の人間に、貴様なんていわれる筋合いはないわ。……だってそうでしょ?貴女のお友達が何人いたか知らないし、そんなこと私は興味もないけど、どうあってもユニウスセブンで亡くなった人たちよりその数が多いことにはならないじゃない。貴女はただ、その責任全てをザフトに押し付けているだけ。死にたくないなら、最初から戦わなきゃいいのよ」 戦う意思がないなら、死ぬ覚悟がないなら、初めから戦わなければいいのだ。 睨み合うように、とカガリは互いを凝視した。 あまりにも似ていて、あまりにも違いすぎる二人。 その違いを、両者はこのとき背負っていた。 だからこそ余計に、二人は相容れないのかもしれない。 も、カガリも。お互いを認められないのかもしれない。 「先に核攻撃を仕掛け、同胞を虐殺したナチュラルが、よく言うわ。『地球をメチャクチャにする』?先に私たちの住む宇宙(そら)をメチャクチャにしたのはどちらよ。結局、自業自得じゃない」 「何だと!?」 「」 窘めるように、アスランはを呼ぶ。 それでも、言葉は止まってなどくれない。 「戦うって決めたのなら、死ぬ覚悟もあるはずよ。そうでないなら、戦わなきゃいいのよ。死ぬ覚悟もないのに戦うなんて、結局ただのお遊びじゃない」 「何だと……!ただ殺すだけの『ヴァルキュリア』に、一体何が分かる!お前なんて、ただの人殺しじゃないか!」 「お前!?」 カガリの暴言に、アスランは言葉を失う。 「……私、“ワルキューレ”の様子を見てくる。何か、あるかもしれないから」 「。……気にするなよ?誰も……俺たちザフトは誰も、そんなこと思っていないから」 「……私は、大丈夫だよ?」 大丈夫そうになんて、見えない。 顔色が、変わっている。その蒼い顔色はとても、大丈夫そうには見えなくて……。 華奢な後姿が暗闇に消えるのを、アスランは痛ましい思いで眺める。 同胞のために、兄の仇を討つために、戦うことを決めた少女。 その少女の気持ちを思えばとても、先の暴言は許せるものではない。 「何だよ、あいつ。事実じゃないか」 「……言葉の暴力だ」 「何!?あいつの言葉のほうが、よっぽど暴力だろうが!!」 「彼女の両親は、地球軍の騙し討ちにあって彼女が子供のときに殺された」 「え……?」 淡々と、アスランは語りだした。 別にそれを話したからといって、何を期待するでもない。 ただ、何も知らずにを悪し様に言われるのが、許せなかったのだ。 「それ以来、7歳年上のお兄さんに育てられた。その人も、血のバレンタインで死んだ……」 「そんな……」 「まぁ、こんなこと、お前に話しても仕方のないことだけどな」 そう言って、アスランは横になった。 バツが悪くなり、カガリは立ち上がる。 『ザフトのヴァルキュリア』。砂漠で出会うより以前から、その名前は知っていた。 カガリはこのとき初めて、知ったのかもしれない。 世の中に明確な意味での善悪の差などないということ。 己が正義のために戦うなら、敵も己の正義のために戦うということ。 このとき初めて、彼女はそれを知ったのだ――……。 「言われちゃったよ、兄さん……」 分かっていたこと。他人に指摘されるより以前から、認識していたこと。 けれどそれでも、改めて言われると、その言葉に傷ついてしまう自分がいた。 “ワルキューレ”のコックピットに納まったは、そのまま座席で膝を抱え、丸くなる。 悲しいまでのそれは、自己防衛本能。 そのまま、パイロットスーツの下からペンダントを出した。 ロケットペンダントの中に納まっている、優しい兄の微笑。 「兄さん……。兄さんは私を、赦してくれる……?兄さんを殺した私を、赦してくれる……?」 それだけがあれば、いい。 兄が赦してくれるのなら、他に何もいらない。 (だって私には、もう何もないもの……) そう思った瞬間に、脳裏にイザークの姿が蘇る。 優しく頭を撫でてくれた。 甘えろ、って言ってくれた。 (私、変だ……) 何で兄の姿ではなく、イザークの姿を思い出すのか。 今まで、目を閉じれば浮かぶのは兄の優しい笑顔だったのに。 今、目を閉じて浮かぶのはイザークの、少し皮肉気な微笑で……。 (私、変だよ……) 頬が、熱を持っているのが分かる。 (私、どうしちゃったの……?) 胸が、苦しい。 痛いくらいに早鐘を打つ心臓を、必死に宥める。 「おかしいよ、私……」 その感情の名前を、少女はまだ知らなかった――……。 それはまだ、誰にも分からない。 それでも運命の輪は、巡り続ける。 大河を流れる水のように。 一時も、淀むことなく――……。 +−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+ ……今回のあとがきは、何を書こうか迷ってしまうのですが。 まずはこれですかね。 カガリファンの皆様、ごめんなさい。 この時のカガリって、結構矛盾があったと思うんです。 中立の国にいたのに、ほいほいとザフトと戦うって、やっぱり矛盾じゃないかな、って思うんです。 ザフトと地球軍。二つを相手取って戦うならまだしも、相手はザフトでしたから。 それにしても。早くちゃんとイザークをくっつけたいです、私は。 ここまで読んでいただき、有難うございました。 |