どうして、君が死ななくてはならなかったの?

どうして、君が死んでしまったの?

どうして、それは私ではなかったの?

どうして、私から何もかも奪っていこうとするの……?






#26   魂曲2






爆散する“ブリッツ”に、海面から姿を現した“デュエル”、“バスタにー”に搭乗するイザーク、ディアッカも目を奪われた。
鮮やかな……鮮やかすぎる魂の軌跡。
その瞬間に失われてしまった命をも呑み込んでなお、赤々と燃え上がる炎。
渦巻く光の濁流が、その炎さえも巻上げ空を焦がす。


<二……ニコル?>
<バカなぁっ!>


それぞれが、驚愕から醒められずにいた。
目の前の光景が、信じられない。
これが夢なら、これほどの悪夢はない。
これが夢ならどうか、今すぐにも醒めて欲しい。

しかしこれは、夢ではないのだ。
その眼前で仲間を喪ったその事実は、決して夢ではなく、現実なのだ。
その苦い現実が、のしかかる。
それぞれの心に、傷跡を刻む。

憎悪に、アスランはその瞳を輝かせた。
目で人が殺せるならば、殺してしまいたい。
目の前でニコルを殺した、この『敵』を。


<貴様がぁぁぁぁぁっっ!!>


怒りが、の脳裏を赤く熱く染め上げる。
その怒りがそのまま、攻撃へとその行動を導いた。
“ストライク”は、呆けたように動かない。殺すなら、今だ。


<くっそぉ!ストライクっ!!>
<アスラン!>


ビーム兵器を掲げた二機のモビルスーツが、飛び上がりながら“ストライク”に攻撃を加える。
殆ど反射的に、キラはその攻撃をかわした。
二機のモビルスーツは、アスランとを庇っているようだった。
そう。今この場で、最も『敵』に近い二機を。

更に攻撃を加えようとした二機だったが、それを“ストライク”の上空に滑り込んできた“アークエンジェル”が阻む。
激しく降りそそぐ“イーゲルシュテルン”がスコールの激しさで撃ち付け、牽制していた。


<ヤマト少尉、何をしている!戻れ!深追いする必要はないと、言った筈だ!>


鞭打つように激しいナタルの声に、キラは我に帰った。
そのまま機体を、“アークエンジェル”に向けて離脱させる。


<逃がすかぁっっ!>


激昂したイザークがビームライフルを掲げるが、激しく降りそそぐ銃弾に、なす術もない。
シールドで、攻撃を防ぐのが精一杯だ。


<よせ、イザーク!今は下がるんだ!>


言って、ディアッカが砲を撃ち艦を牽制する。


<アスラン!も!>


ディアッカに従い、4機は離脱した。
それぞれの心に、消えぬ傷を負ったまま――……。




“ストライク”を回収した“アークエンジェル”はそのまま、戦闘空域を離脱した――……。



**




「くそっ!」


まだパイロットスーツを着たままのイザークが、力任せにロッカーを殴りつける。
その隣で、アスランとディアッカは黙りこくったまま軍服に袖を通した。
は……いない。


「くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!くっそォォォォォ!!」


イザークの足が、ロッカーを蹴りつけた。
弾みで開いたロッカーに、イザークが恐ろしいものでも見たような顔をする。

吊り下げられた、赤の軍服。
もう、着る者のない、それ――……。


「イザーク!」


咎めるようなディアッカの声に、一層イザークの顔が強張る。
着る者のない……着る者の喪われた、その軍服。
堪らない気持ちになって、イザークは喚き散らす。


「何故あいつが死ななければならない!?」


喚き、イザークはアスランに詰め寄った。
どうしようもない憤りが、彼にその行動をさせたのだ。
「こんなところで!ええ!?」


するとそれまで無表情だったアスランが表情を変えた。
怒りを露わにしたまま、逆にイザークの胸倉を掴み上げると、ロッカーに叩きつける。


「言いたきゃ言えばいいだろう!?俺のせいだと!俺を助けようとしたせいで死んだと!」
「アスラン!」


思わずディアッカが仲裁に入った。
イザークの端正な顔が歪み、その眸に涙が滲む。
それを押し隠すようにして、イザークはアスランを睨みすえた。


「イザークも、もうよせ。ここでお前らがやりあったってしょうがないだろう!?俺たちが撃たなきゃならないのは“ストライク”だ!」


ぶつかり合う二人を引き剥がし、確認を促すようにディアッカは言う。
それさえも、イザークを余計に堪らない気持ちにさせた。
いつもなら、ここでやりあう二人を諌めるのは、ニコルだった。
ディアッカとはまた始まったと言いたげに、二人を見ていたり、面白がったりしていた。
それが、彼らの『日常』だった。
その『日常』を、壊されたのだ。


「分かっている、そんなことは!ミゲルもあいつにやられた!俺も傷を貰った!次は必ず、あいつを撃つ!」


宣言するように言い放つと、イザークはきつい目でアスランを見据えた。
そのまま、ロッカールームを飛び出すイザークを、ディアッカが追う。



痛々しさに歪むアスランの眸が、ニコルの軍服の上で止まる。
温もりを探すように、その指が軍服をなぞった。
そして零れた、大量の楽譜。
それを目に入れて、アスランの眸が恐怖にも似た激情に染まった。


「くぅっ……うっ……くっそぉ……!」


抑えきれない激情に、ロッカーを殴りつける。
温もりさえ残らない、その軍服。
確かについさっきまで、これに袖を通すものは存在していたというのに。
けれどもう、どこにもいない。

……それが、『死ぬ』ということなのだ。


「撃たれるのは俺の……俺の筈だった……!ニコル……!」


もっとたくさん話がしたかった。
もっと、あの音楽を聞いてやればよかった。
こんなにも早く別離が訪れるのだと知っていたなら、あの音楽を、一音たりとも逃さず聴いていたのに。
けれどもう、いない。
どれだけ後悔しようとも、死者は還らない。


「俺が……今まであいつを撃てなかった俺の甘さが、お前を殺した!ニコル……」


甘えがあった。
本気で戦っているつもりで、本気で戦っていなかった。
その甘さが、ニコルを殺した。

クルーゼにも言われていたのに。撃たねば次に撃たれるのは、と。その言葉が、皮肉めいた予言のようにさえ響く。
撃たなかった。撃てなかった。
その甘えが、ニコルを殺した。

ピアノが好きだった、まだ幼いあの少年を、殺してしまったのだ――……。

よすがを偲んで抱きしめた軍服。
床に散らばった、楽譜。
放心したようにそれらを眺めるアスランの眸が、次の瞬間堪え切れない憎悪に歪んだ。


「キラを撃つ。今度こそ、必ず!」


そうすることでしか、失われてしまった命に、報いきれない気がしたのだ――……。



**




艦のどこにも、の姿が見当たらなかった。
あの後軍服に着替えたイザークだったが、不審に思い艦内を歩き回る。
そして格納庫で、騒動が起こっているのを目の当たりにしたのだった。


「どうした?」


整備兵に話しかけると、当惑したように彼は答えた。


「出てこないんですよ、彼女」


その指が指したのは、“ワルキューレ”のコックピットだ。
コックピットは、開いてはいた。
ということは、損傷により出てこれない、ということではないらしい。
ラダーを伝い中を覗き込んだイザークの視界に映ったのは、虚ろな眼差しのまま涙を流し続ける少女の姿だった。


……?」


名前を呼んでも、返答が返らない。
否、イザークを視界に収めることすら、しない。
虚空を見つめる漆黒が、ただただ涙を溢れさせる。


!」
「……ニコル……ニコル……ニコル……」


死した少年の名を、呟き続ける唇。
たまらなくなって、イザークは少女を抱きしめた。
そのまま、コックピットの外に引きずり出す。


その頬を数度叩くと、漸くその眸は焦点を結んだ。


「イザー……ク?」
「そうだ、。ほら、服を着替えて。少しは休まないと、お前も……」


呆けたように小首を傾げる少女に、余計に堪らない気持ちになった。
抱えあげ、ロッカールームへと運ぶ。
そうやって世話を焼くことが、間違いなくイザークの心理的負担を少し軽くした。
忙しければ、気を紛らわせることが出来る。
世話を焼いていれば、心が冷えるその感覚を、忘れることが出来た。



服を着替えさせ、彼女の部屋に宛がわれている一室に連れて行く。
ベッドに腰を下ろして、少女はピクリとも動かない。
ただ、カタカタと小刻みに震え続ける。


?」
「わ……たしの……」

「私のせいで、ニコルは死んだ……!!」


血を吐くような、声。
血も滲むような、慟哭。
震えながら、それでも少女は叫ぶ。――喚く。


「どうして、どうしてニコルが……私が死ねばよかった。ニコルの代わりに、私が……どうして?ニコルには、帰る場所があった。
父様も母様もいた。守るべき人たちが、ニコルの身を案じる人たちが、いた。なのに、何で?何で、私が生きてニコルが……」


「それは違う!」
「違わない!違わないわ……私が……私がニコルを……私が、ニコルの代わりになれば……ニコルは死なずにすんだのにっっ!!」


深い嘆きが、少女の眸には、在った。
その嘆きが、その唇が紡ぐ言葉が、何よりも哀しい。
ニコルが望むはずがないのだ、そのようなことを。
自分の代わりに少女が死ぬことなど、あの優しい少年が思うはずがない。願うはずがない。

けれど生き残ったものは、そうは考えられない。

命は、貴重なものであり。
決して贖いのきかないものであり。
だからこそ、貴重なものであるから。
嘆けど、還らぬものであるからこそ、執着せずにはいられない。


「どうしてニコルなの!?どうしてニコルでなくてはいけなかったの!?そんなに兄様は、私が赦せない!?兄様を殺した私が赦せないの!?だから奪うの!?だったら……だったら一思いに、私を殺してくれればよかったのに……!!」
?」
「奪わないで。もう、奪わないで、兄様。奪うなら、私が赦せないならいっそ、私を殺して!!」
!」


抱きしめる腕に、力を込める。
抗うこともせず、愛しい少女は、彼の腕の中に抱かれた。
それ以上、その唇が、紡ぐ言葉を、聞きたくなかった。
自らを傷つける言葉を繰り返す、少女。
どうしても、聞きたくなどなかったのだ。

これ以上、傷つける必要は、ない。
これ以上、傷つかなくてもいいのだ。


「貴様のせいじゃない。貴様のせいじゃないんだ、。貴様のせいじゃない。自分を……自分をそれ以上、責めるな」
「違う!」
「違わない。貴様のせいじゃない。それは、貴様がそう思うことは、ニコルに失礼じゃないのか?」
「ニコル、に……?」


茫洋とした眼差しが、そう尋ねる。
長い睫毛に、コンタクトレンズが引っかかっていた。
恐らく泣き続けて、外れてしまったのだろう。
なんだか間抜けだな、と思いながら、それを外してやる。


「レンズ……?なんか、間抜けね」


イザークと同じ感慨を抱いたのだろうが、そう言って微かに笑った。
漸く、微かに。


「ニコルは、お前を守りたかった。助けたかったんだ。お前と、アスランを。なのに助けられたお前が、それでどうする?」
「でも……幾らニコルがそう思っていても、そう思ってくれていたんだとしても、ニコルは……!!」


ニコルは、死んでしまった。
たちの目の前で。
何もしてやれなかった。あとほんの数秒早ければ、ニコルは死なずにすんだのかもしれなかったのに。

悔やむのは、そんな事実があるからだ。
何故もっと、と。
何故もっと早くに、あのパイロットを殺してしまえなかった?
機会は、いくらでもあった筈だ。
そして、は殺せなかった。
敵を知ってしまった。
自分が殺すものを知ってしまった。それゆえに、彼女は躊躇した。
それが、その甘えがニコルを殺した。


「私が、甘かった。私が、非情に徹せなかった。私が……私が……」
「それ以上、言うな。それ以上……その言葉は貴様自身を傷つける。貴様自身をズタズタにしてしまう言葉だ」
「だって、私が……私があの時“アークエンジェル”で捕虜になった時にでも“ストライク”のパイロットを殺せていれば、こんなことにはならなかった!イザークだって、ディアッカだってそう思ってるに決まってる!私が……私がもっと……何が『ヴァルキュリア』よ。私のこの手はいつも、大切な人を守れないのに!!」


嗚咽が、響く。
抱きしめても、少女の気配が希薄な気がして、心が冷える。
このまま、このまま自分を責め続けて、少女はその命さえも絶ってしまいそうな気がして。それだけは、何としてでも止めたくて。
それなのに、慰めの言葉ひとつ浮かばぬ自分が、もどかしい。
ニコルが、望むはずがない。
ニコルが望むのだとしたらそれは、の幸せであり、約束を果たせなかったことに対する謝罪であっただろう。
ニコルが、を恨んだりするはずが、ないのだ。

それでも、生者は死者に対して呵責を抱くのだ。
誰かの命を犠牲にして繋ぎとめた命であるならば余計に、その死を悼み、自らを憎悪する。
その、無限に続くループ。


「そんなに傷つきたいなら……傷つけてやろうか?」
「イザーク?」
「忘れさせてやろうか?肉体の傷で、精神(ココロ)の傷を潰してやろうか?」


何を言われているのか、分からない。
言わんとしていることが分からない、と。
異なる色彩を宿す眸に疑問符をちらつかせる少女に、溜息を吐いた。

こんなにも傷ついている少女に、何を言っているのか。
自分で自分を、撃ち殺したくなった。
ここに銃さえあれば、間違いなくこめかみに突きつけていただろう。
生憎というか幸いというか、銃がなかったためそれは叶わなかったが……。


「……嘘だ。忘れろ。今俺が言った言葉は、忘れるんだ」
「……いい、の?」


小さな声が、大気を……鼓膜を震わせた。
甘やかな響きさえ、伴って。

イザークの腕の中に抱きしめられたまま、顔を伏せる少女の頬に、手を添える。
途端に、ぴくんと返る反応が、痛い。

それなのに、その手が。
その腕が、縋りつくようにイザークの頸に回されて。
その温もりが、涙が出るほど愛しくて、恋しくて。


……?」
「忘れさせて、くれる……の?」
?」
「傍に、いてくれる?ずっと、傍に。いてくれる……の?」


その言葉だけで、十分だった。
今、求められているのは、自分なのだ、と。
『兄』ではなく、少女の死んだ兄である=でもミゲル=アイマンでもなく。
求められているのは、自分なのだ、と。
求められているのは、今まさに少女が求めているのは、『イザーク=ジュール』なのだ、と。
それだけで、イザークは十分だったのだ。

だから、抱きしめる。
だから、その腕に力を込めて。
吐息も何もかも、押しつぶすように、抱きしめて。

懺悔を呟くその言葉さえも、声さえも掻き抱いて。


「ゴメンね……ゴメンなさい……」
「黙ってろ」
「ゴメンね。でも、もう無理なの。もう、立ってられないの、イザーク……。寒い……寒いよ……。この世界は、寒くて。寒すぎて、私……私……」
「いいから。何も言わなくていいから。お前が悪いんじゃない。お前が悪いんじゃないんだ、。悪いのは……悪いのはこんな状況のお前に付け入る俺だ。だから……」


優しい声が、そう言う。
誰よりも厳しい彼が、そう言う。

ゴメンね。
ゴメンなさい。
利用してしまう私。
貴方の気持ちを知ってしまったのに、こうして貴方を利用して縋る私。

どうか、私を赦さないで。






涙に濡れた眸が、イザークの視界に入る。
美しく煌く漆黒と蒼穹。
黒い瞳の彼女。
黒に染まりきれないその片方の眸は、彼女の冷徹に徹しきれない弱さをそのまま表すのだろうか。
慕わしいのに、弱くて脆い。
染まりきれないのだ、彼女は。
彼女は、何ものにも属せない。
彼女は『』でしかいられない。
この世界で、他の何に属するでもなく、彼女はその異質さゆえに孤立していく。

だからこそ、こんなにも愛しいのだろうか。
だからこそ、守りたいと願うのか。
それは存在を所有したいとか、そんな浅ましい感情ではなく。この手の内に留めて。言ってやりたいのだ、おそらく。
此処がお前の居場所だ、と。
此処でなら、弱さを見せても誰も咎めない。だから泣いてもいいのだ、と。何があっても一緒にいるから、と。
そう言って、そして守りたいのだ。
この腕の中で。どんな風も当たらないように。大事に、大事に。何者も彼女を傷つけないように。
それが彼女の本質を歪めるものと分かっていても、傷つきすぎてきた彼女に、そうしてやりたい。そう、願ってしまったのだ。


「傍にいる、。俺はずっと、お前の傍にいる。お前より先に死んだりしない」
「傍に、いて。お願いだから、ずっと一緒にいて。傍に、ね?イザーク。お願いだから、一人にしないで」
「あぁ。一人になど、しない。ずっと一緒にいてやる。俺がお前を守ってやる。離れたりは、しない」


囁きに、顔を上げる。
絡みつく一粒の漆黒と、三粒の蒼穹。
染まりきれず孤立する。
誰にも属せず、何者にも染まれない彼女。
その存在を、強く抱きしめる。

背骨が、折れてしまうほど抱きしめて。
何度も何度も、その耳に囁きを落とし込む。
それだけがきっと、今は彼女を救えるのだ、と。彼女を守ることに繋がるのだ、と。そう、信じて。


「愛してる、
「……」
「愛してる。ずっと傍にいる。離れたり……死んだりはしない」


だから、泣くな。
泣かないで、欲しい。
その心が上げる悲鳴を、聞きたくはないから。

見上げてくる、潤みを帯びた眸に、その瞼に口付ける。
そのまま、誘われるようにその唇へ。
















哀しみのレクイエム。
涙の葬送曲。
歌うその唇に、イザークはそっと口付けた――……。



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石を投げられそうな展開その一。
次回は裏です。

スミマセン、スミマセン。
こんな展開ありかなと思うのですが……思うのですけど、これが一番しっくり来るな、と。
しっくりというか、戦場で一番有得る展開じゃないかな、と。
逃避のための行為っていう、何かどこぞのキラフレを彷彿とさせる様な展開でアイタタなんですけど……。
石と剃刀とクレームだけはご勘弁くださいますと助かりますです。

ここまでお読みいただき、有難うございました。