その暖かさが、愛しい。 だからこそ、喪うことが怖かったんだ――……。 #28 間奏曲7〜前〜 ぎしりと軋むスプリングに、先ほどまで腕に抱いていた少女が、寝惚け眼で尋ねてくる。 「ん……もう、朝?」 「いや、まだ夜明けは遠い。もう少し寝ておけ」 「イザーク……は?」 「一人の方がゆっくり休めるだろ?俺は部屋に帰るよ」 努めて優しく言えば、ゴメン、とが言う。 言う必要など、どこにもないのに。 謝る必要など、どこにもないのに。 「気にするな。……躯の調子は?その……痛むか?」 「ちょっと……」 「悪い」 初めての少女相手に、自分が抑制してやらなくてはいけなかったのに。 抑えることが、出来なかった。 腕の中に抱いているだけで、心は、歓喜に震えそうになった。 バツが悪くて謝ると、少し少女は笑う。 寝起き直前の、だからこそ警戒心が希薄で、無垢な笑みを。 「鎮痛剤、持って来てやる。それ飲んで、もう少し寝てろ」 「……ゴメン」 「馬鹿が。気にするなと言っているだろう?」 イザークが言うと、は、ん、と頷いて。 それでも、は気にし続けるのだろう。 いくらイザークが言葉を紡ごうが、は聞きはしないのだろう。 その精神その根本的部分の有様が、イザークの言葉を否定し続ける。 弱くて、臆病で、だからこそ強い、不器用な『ヴァルキュリア』。 だからこそ、愛した。 「すぐ戻ってくる。待ってろ」 「ん」 頷く眸が、見る見るうちに瞼の下に閉ざされる。 愛しさをない混ぜて笑顔を作って。 そのこめかみに、口付けを送った。 カプセル状の薬を一錠、それに水を持って再び少女の部屋に戻る。 アラートが鳴ればすぐ起きるくせに、それ以外の場合では意外と寝起きが悪いらしい少女に、苦笑して。 名前を呼んで、揺り起こした。 「ほら、薬。飲め」 「ありがと」 「礼には及ばん」 顔をやや顰めながら、躯を起こす少女を手助けしてやる。 寝起きで体温の高い掌に、薬を一錠置いて。 その口元に、水の入ったコップを宛がう。 錠剤を口に含むと、コップを傾けてその口内に水を流し込む。 こくん、と上下する喉に、薬が嚥下されたことを知る。 「寝てろ」 「ん……」 頷いて、異なる色彩の瞳が閉じられる。 それに、優しい眼差しを送って。 漆黒の、その髪を梳く。 「……おやすみ」 今は、寝ていたほうがいい。 これから始まることなど、知らないほうがいいのだ。 「お前はきっと、怒るんだろうな……」 顔を真っ赤にして、怒るのだろう。 見縊るな、と。何故何も言ってくれなかったのか、と。 それでも、こうする以外の手を考えられなかった。 これが、最良の方法だと思った。 だから、薬を……。 鎮痛剤ではなく、睡眠薬を、盛った。 「赦せ。それでも俺は……俺はお前を、喪いたくなかったんだ……!」 今もしも“ストライク”を目にしたなら。 考えるだけでも、恐ろしい。 その力及ばなくなるや否や、自爆してでも諸共に殺す道を選ぶであろう少女の激しさが。 「赦せ……」 いや、赦してくれなくてもいい。 赦しなど、必要ない。 これは所詮、イザークのエゴなのだから。 赦しなど、いらない。 真っ白なシーツの海に、埋もれるように眠る。 シーツを換え、躯を清めて情事の痕跡を拭い去ったその姿は、痛いほど白いシーツと比べても儚く思うほど、白い。 守らなくては。 この少女を。 傷つきやすい精神(ココロ)をひっくるめても、守ってやらねば。 だからどうか、今は目を閉じていて。 傷つく現実を、どうかどうか見ないで。 ……今の俺はこうする以外に、お前を守る道を知らないから――……。 「は?」 艦橋に入ったイザークに、アスランが声をかける。 目が、赤い。 恐らく彼も、眠れていないのだろう。 無理もない。 尋ねてくる彼に、錠剤の入っていたビンを見せる。 瞬間、目を見開いて。 それから、彼も頷いた。 「それが一番良かったと思う、イザーク」 「あのままでは“ストライク”に突っ込んでいって自爆もしかねなかったからな」 「確かに。 こんなところで死なせるわけには行かない。俺たちの『ヴァルキュリア』を」 「あぁ」 アスランの言葉に、イザークも頷く。 こんなところで、死なせるわけには行かない。 を巡って対立していることになっている二人だが、それはお互いに一致した考えだった。 焦がれた少女は、ただ一人。 それは絶対に替えのきかない存在で。だからこそ、彼ら二人は同じ地平線上に並び立つ。 彼女は、選べないから。 彼らの内一人を選ぶなど、あの優しくも残酷な少女は、出来ない。 それは少女の優しさであり。 そうであるからこそ、少女は誰よりも残酷な存在なのだ。 けれどそんな存在に、彼ら二人は、ほぼ時を同じくして、焦がれた。 だからこそ、無言の了承さえも、成立するのだ。 「副作用はないんだろうな、その薬」 「軍で普通に配給されているヤツだ。常用さえしなければ副作用はない」 「効果は?」 「“足つき”沈めて帰ってくるには、十分だ」 見せては、ならない。 には、ここから先を見せてはならない。 何故なら……何故ならそう。例えここで命を落としても、“ストライク”を墜とすと決めたから。 だから、見せてはならない。 脆い少女に、ここから先を見せるのは忍びない。 死ぬ気などない。勿論。 けれど認めたくはないが、“ストライク”の技量は計り知れない。 それと恐らく対等以上に張り合えるを欠くことは、作戦の実行上多大なリスクを伴うことなど、認識済みだ。 それでも、彼女は外す。 死なせるわけにいかない。上層部への報告は、それだけで十分だろう。 彼女は遺されたただ一人の、『』の血を引くものであり。 そして何者にも代え難いザフトの至宝。『ヴァルキュリア』なのだ。 彼女自身が持つ『価値』。それはこんなにも重い。 それでもそれが今、彼女を救う。 「“足つき”はまだ見つからんか?」 「まだ見たいだ。艦長たちもあぁやって、一生懸命探してくれてはいるけど、中々……Nジャマーの影響で、レーダーが当てにならないからな。地球は」 「ならば……ならば俺たちは俺たちなりの役割でも決めておくか。作戦行動上の」 「イザーク?」 イザークの言葉に、アスランは面食らったようにイザークを見つめた。 彼がそんなことを言うとは、思ってもみなかった。 いつもいつもアスランに突っ掛かって、食って掛かって。 そんなイザークが……。 「アレを墜とすためだ。ニコルの……ミゲルの仇。俺たちの仲間の仇、取るために手段など選んでいられるか」 低い声が、喉から絞り出される。 さまざまな葛藤を呑み込んで。そして紡がれる、言葉。 だからこそ、その言葉は重い。 「そうだよな。手段なんて、選んでられないよな。……隊長?俺は、どうすればいい?」 いつの間にか艦橋にやってきたディアッカが、真面目な調子で尋ねる。 『隊長』と。アスランを呼ぶその言葉には、揶揄の欠片さえなかった。 必死なのだ。皆。 誰かが欠けるなど、思ってもみなかった。 今は戦争中なのに。 それでも、心のどこかで信じてた。慢心してたのだ。 自分たちが、死ぬことはない、と。 慢心して、安心してた。 それは、何と言う傲慢だったのだろう。 喪った今となっては、悔やむしか出来ない。 そして彼らの想いに報いることしか、出来ない。 もしくは……その嘆きに、代償を求めることしか出来ないのだ。 だから、斃す。 あの機体のパイロット。 赦せない。 仲間を、殺した。 そしてこれからも、殺し続ける。 だから、斃す。 「俺たちの機体、それぞれの特性を利用するんだ」 静かな声で、アスランは言った。 感情を抑制した声だが、抑制しきれない激しい感情が、透けて見える。 それだけ、アスランの嘆きもまた、深い。 「機体の特性?」 「そうだ、ディアッカ。俺たちの機体はそれぞれ、何かに特化した部分がある。例えば“バスター”は、強力な砲を持つ機体だ。対艦戦を意識した機体と言えるだろう。そして……」 「“デュエル”が得意とするのが近接戦。だが、“アサルトシュラウド”を装備した今、大気圏内では重量の拘束を受ける、だろう?」 「そうだ、イザーク」 だが、“アサルトシュラウド”を装備することによって、“デュエル”は中距離戦をもカバーできるようには、なった。 その特性を、活かさねば。 機動力に優れた“イージス”は、対艦、そして対モビルスーツの両方をカバーすることにして……。 今までは五人で戦ってきた。 けれど連携もしなければ、各々が勝手に行動をしていた。 それでは、一対一で戦っていたのと変わらない。 けれどこの敵は、一対一ではとても敵わない。 ならば数の有利で、叩き潰すしかないのだ。 そのためには、連係プレーが欠かせない。 綿密に打ち合わせをする彼等モビルスーツパイロットたちに、索敵担当オペレーターが緊張の滲んだ声を発した。 レーダーに、反応があったのだ。 喪われてしまった年若いパイロットの仇を取るのだと息巻いていた彼らの、執念の為せる業だった。 「センサーに艦影!“足つき”です!」 「間違いないか?」 「ありません!」 オペレーターに確認をし、その確証を得ると、彼らはパネルの前に集まった。 パネルに送られてきたデータを見ながら、艦長が言う。 「小島だらけの海域だな。日の出も近い。仕掛けるには有利だが……」 「今日でカタだ!“ストライク”め!」 イザークが声を荒げると、ディアッカもそれに続いた。 「ニコルの仇も、お前の傷の礼も、俺が纏めて取ってやるぜ!」 激昂する二人の仲で、アスランは恐ろしく冷静だった。 その眸が、静かな決意を宿して耀く。 「出撃する!」 そう。冷静でなくてはならない。 そうでなくては、ニコルの仇は討てない。 『アレ』は友ではない 。 友人なんかじゃない。ニコルを殺した、地球連合軍のパイロット。敵だ。 だから、殺す。殺さなければ、ならない。 一度は友であった以上、殺すなら必ずそれは、自分の手で――!! パイロットスーツに着替えると、それぞれ愛機のコックピット内に納まった。 沸き立つものが、ある。 親友を――親友だったものを、撃つ。 それなのに心は、こんなにも高揚している。 それはどこまでも暗い、激情。 沸き立つ心に、冷静になるよう命じる。 オペレーターが、発射シークエンスを開始した。 <トリムそのまま。海面まで20。対空防御スタンバイ!射出管制オンライン!> <警報発令!> 艦長が命じ、警報が鳴り響く。 それに更に、オペレーターの言葉が重なった。 <浮上します!> 振動は、ない。 けれど確実に、艦は浮上を開始する。 カタパルトが垂直に開いて、モビルスーツの射出を開始した。 続いて、“グゥル”が射出される。 昇る太陽を背に、三機のモビルスーツが現れた。 “バスター”が、艦をめがけてビームを発射する。 それが、この戦場を彩る悲劇の、幕開けとなった――……。 喪いたくない、という想い。 手放したくない、という願い。 漸く縋れた温もりを、後生大事に抱え込んでしまうほど溺れてしまう。 それも、ありなのかな、と。 そう思います。 ここまでお読みいただき、有難うございました。 |