かちゃかちゃと、キーボードを叩く音が、静かな室内を温くかき混ぜていた。

膨大な量の資料を、大して何の感慨もなく通り過ぎていく。

そこに表示されているのは、戦績のデータ。

トリコロールの色彩を持つ機体について記された資料には、はっきりと明記されていた。


Pirot : Kira Yamato




大して何の感慨もなく眺めていた男の唇から、今度こそはっきりと呪詛の言葉が零れた――……。






#28    間曲7〜後〜





ヒトは、ヒトであることから逃れることなど、叶わない。
どれだけ遺伝子を弄ろうと、ヒトの持つそもそも根源的欲求を奪うことは、出来なかった。
どれだけ優秀であろうと、ヒトの持つそのものの本質は、変わらないのだ。
だからこそ、彼らは欲した。

――未来を。
他者に屈服することなく得られる未来をこそ、彼らは求めた。
まさしく屈従の歴史を長く強いられてきた彼らだからこその、それは渇望にも似た欲求だった。
故に、彼らは旧人類と嘲笑する『ナチュラル』と戦い続ける。
その行為そのものが持つ暗い意味合い――『親殺し』――を払拭しながら。


「難しいな」


ポツリと呟かれた言葉に、彼は顔を上げた。
メタリックな色をした眸が、真っ直ぐと彼を見つめて溜息を一つ。


「何が?」


尋ね返すと、彼は笑いもせずに告げる。


「この機体のことです」


最初の頃の、あの素人同然の動きは一体、何であったというのか。
ザフト軍内でも『黄昏の魔弾』の異名を取っていた人物を撃破したとはとても思えない、お粗末な戦いぶり。
それが短時間で、かくも成長するものなのか。


「よもやアレが地球に下りるとは……。計算違いもいいところだ」


髪をかき上げ、一人ごちる。
計算違いもいいところだ。
そもそもこの戦場は、彼が計算を施したものの産物に過ぎぬというのに。


「アレが死ねば『彼女』が壊れる。彼女が死んでも『アレ』に影響はないが……。つくづく厄介なことだ。巡り会うなど、思ってもいなかったというのに」


高を括っていた。巡り会うことなど、想定していなかった。
それでも、巡り会ってしまったのだ。戦場で。
それはなんという運命の悪戯……なんという皮肉だろう。


「邪魔だな、本当に。キラ=ヤマト」


憎悪に歪んだ声が、はっきりとその名を呟く。
“アークエンジェル”に所属する、“ストライク”のパイロットである彼の名を。
そしてを傷つけたパイロットである少年の名を、呟いて。


「これこそが全ての歪みの原因だ。これこそが、計算違いを引き起こす。……観察用の実験動物としての価値は高いが、これほどまでのバグを引き起こすなら早々に消したほうが良い」
「そう生半なことで達成できることではないぞ、それは」
「だからこそ、『アレ』を使うんですよ」


いっそ冷酷なまでに言い切れば、肩先までの髪がさらりと流れて空気をかき混ぜる。
その表情は、計り知れない。


「『アレ』が死ねば『彼女』が壊れる。『彼女』のほうも、それはよく認識しているはずですよ。
所詮感情などコンピューターのプログラムと同じもの。いくらでも複製は作れるし、いくらでもプログラムできる。そして『彼女』の『感情』という名のプログラムで一番の位置を占めているのが『アレ』だ。それさえ上手く使えばいいだけのことです」
「果たしてそううまくいくかな。お前の計算通りに」
「“ストライク”……アレさえ削除(デリート)すれば、計算通りに進みますよ。アレこそがこの世で最大のバグ……不要なものだ。パイロットとともに……ね。消してしまわねば」


悦に入ったように呟いた後、彼は言いなおした。
それでは手緩いと思ったのか。
しかしそれを判じることが、男には出来なかった。


「邪魔なんですよ、このパイロットは。所詮試験管の中から生まれたモルモットに過ぎない存在だ。だが、それが邪魔をする。ならば不要なものはさっさと消してしまわねば。……いえ、殺してしまわねば。アレは、死ななくてはならないんですよ。新しい秩序のために」


そのために必要な駒は、彼の手の内にある。あとはそれを有効に利用して。
邪魔はさっさと消去してしまわねば。
不要なのだから、この世に未練を残すことなくさっさと消えてしまえばいい。
所詮間違った存在なのだ、アレも。自分と同じく。

それなのに、全く自分とは異質な存在。だからこそ、赦せない。
闇を知らず、光しか知らない。
ならばアレにこそ、絶望を見せてやらねば。


「本当に。
……さっさと死んで、その間違った生を終わりにしてくれよ……キラ=ヤマト?」


呟く視線の先にある、明確な殺意。
憎悪に歪んだ視線を、画面上の“ストライク”に叩き込むと、男はまた作業に戻った。





彼にとって邪魔なものを。
彼にとって無用なものを、滅ぼすために――……。





その時、訃報は齎された。
ニコル=アマルフィ死亡、と――……。



**




ラダーを伝って“ストライク”から降りたキラを待っていたのは、整備兵たちからの歓呼の声だった。
口々に、キラを讃えるその言葉。
その笑顔さえも、キラには歪んで見える。

みんな、忘れている。
キラがコーディネイターであることを。
本来であれば、彼らと敵対する側の人間であることを、忘れて。
キラを、称揚する。


「よっしゃあ、お疲れさん!」
「遂に一機やったって?」
「あぁ、“ブリッツ”だって?」
「よくやったなぁ!」
「何かここんとこすごいじゃねぇかよ、坊主……じゃねぇか。少尉はよ」


キラの髪をかき回しながら、周りは口々にキラを讃える。
同胞を殺したことを、褒めるのだ。
人殺しを、称揚するのだ。

虚ろな眼差しのまま、それを受けていたキラだったが、遂に耐え切れなくなった。
大声で、喚き散らしたい。
何故、殺さねばならない。殺したくなんかなかった。彼は……彼はコーディネイターだ。
そして彼が撃ったのは、本来であれば彼と同じ組織に属する者たち――本来ならば同胞である者たちなのだ。
殺したくなんか、なかった。
撃ちたくなんか、なかったのに……。


「この調子で、これからも頼むぜ」


箍が外れたのは、その一言によるものだった。
これからも殺せ、と。
これからも殺し続けろ、と。そう言うことか。

ヘルメットを掴むキラの手が、小刻みに震えだす。
異変を察知したフラガがキラの元へ歩み寄るが、それよりも先に。
キラの感情が、爆発した。


「やめてください!……人を殺してきて、そんな……よくやった、だなんて……」
「……今までだって、散々やってきたくせに」


小声で呟かれた言葉に、キラは大きくアメジストの瞳を見開いた。
その言葉がそのまま、からの糾弾として、響く。

捕虜となった時、彼女は言った。


――――『ねぇ、教えてくれない?キラ君。何で君は、ナチュラルの味方をするの?』――――



漆黒の、眸。
苦痛に歪めながら、それでも紡がれた言葉。


――――『あの女の子、コーディネイターを『誤った存在』だといった。たったそれだけのことで、私を殺そうとした』――――



誤った存在などではなかったはずだ。
コーディネイターは、ナチュラルたちの夢。
ナチュラルの夢を具現化したはずの存在だったのに……。


――――『君はまだ、あの子たちを守って戦うの?私たちを……同胞を殺すの?』――――



殺すつもりは、なかった。
殺したくなんか、なかった。
けれどキラは、殺した。
あのパイロットを……ブリッツのパイロットを。
殺して……。


――――『ニコル――――――――――ッッ!!!』――――
――――『嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!』――――


喉も裂けんばかりの、悲痛な慟哭。
通信機越しに突き刺さった声は、決してキラを赦さないだろう。
敵、なのだ。
アスランも、も。


「よせよ!キラも、疲れてるんだ。ほら、キラ」


差し出された手を、取ることも出来なかった。
今まで、自覚さえ、してなかった。
けれどまぎれもなく、同じ血で汚れた、その手。
嫌悪が先にたって、取れない。仲間と認められて、本当だったら嬉しいはずなのに。


無言で踵を返すキラに、整備兵たちの間からも不満そうな声が洩れた。
マードックとフラガは視線を交わし、アイコンタクトで役割を割り振る。
こう言うときは、フラガが行ったほうが恐らくキラにとってもいいだろう。

キラの元へフラガが歩み始めると、マードックは整備兵たちを振り返った。


「ほら、作業開始だ!まだ油断できねぇからな!急げよ!」


マードックの言葉に、整備兵たちは己が職責をまっとうせんとそれぞれの作業に入る。
まだ、油断は出来ないのだ。
いくら“ブリッツ”を一機屠ったとはいえ、まだあちらには3機の]ナンバーと、そして『ヴァルキュリア』がいる。
生きるためには、今を戦わなくては、ならない。
それが、『戦場』なのだ――……。







フラガは漸く、キラに追いつくことが出来た。
その傍らに駆け寄ると、声をかける。


「悪気は、ないんだ。みんな、お前を仲間だと思っている」
「……分かっています」


低く絞り出すような声が、キラの唇から零れ落ちる。
その言葉が、声が、キラの傷の深さをフラガに思い知らせた。
キラは、殺したのだ。仲間のために、『同胞』を。


「キラ、俺たちは軍人だ。人殺しじゃない。戦争をしているんだ!撃たなければ撃たれる!俺も、お前も、みんな!」
「知ってます!」
「なら迷うな!命取りになるぞ」


ここは、『戦場』なのだ。
些細な迷いが、そのまま死に直結する。
そう言う場所に、キラたちは放り込まれたのだ。

自覚なしの、あまりに考えなしの志願動機。志願理由。
けれど、志願すると言うことは、そう言うことなのだ。

味方のために、敵を殺す。
それでも、戦わなくてはならない。仲間のために。
殺す覚悟を、そしてその罪を背負ってでも生きる覚悟をしなければならない。
彼らは、あまりにも幼すぎたのだ。

その志願理由も、志願動機も美しい。しかし覚悟が、足りなかった。



**




「代わります」
「有難う」


当直の時間きっかりに現れたナタルに、マリューは礼を言って艦長席から退いた。
その椅子に腰掛けたナタルが、殆ど事務的にパルに尋ねる。


「アラスカとのコンタクトは?」
「通信状況悪く、まだ取れません」


その言葉に、マリューとナタルはあからさまに落胆する。
Nジャマーキャンセラーの影響で、地上では電波の状況が良くない。分かっていても、大洋に浮かぶただ一隻の艦を預かる身としては、心許ないことこの上ない。
それでも、まだ希望はあるのだ。
あれだけの行軍を続けてきた彼らだったが、今ではもう、目的地までの明確な航路に思いを巡らすことが出来る。
それがせめてもの、希望だった。


「このまま行けば、明日の夕刻には北回帰線を越えられるわ。そうなれば、連絡もつくでしょう」
「ボスゴロフ級は、高速艦です。あのあと、こちらをロストしていてくれればいいのですが」
「因縁の隊ね。確かにしつこいわ」


ここまでの彼らの動向を思うと、容易に引き下がるようにも、このまま有耶無耶の内にロストしてくれることも、期待できそうにない。
だからこそ、マリューの口調も知らず知らずの内に苦々しくなる。
しかし、ナタルの言葉に耳を疑った。


「フラガ少佐が、あれはクルーゼ隊ではないようなことをおっしゃっておられましたが?」
「え?だって、あれは……」
「私は知りません。そう呟かれるのを、耳にしただけで」


あの機体は、ヘリオポリスで奪われた機体だ。
それとも、乗り手が代わったのか。
……『ヴァルキュリア』を除いて。
そもそも何故、フラガにはそれが分かるのだろう。
一流の軍人ともなれば、用兵術を見ただけでそれが誰の指揮するものなのか、分かると言うのだろうか。

疑問だけが、マリューの中に蓄積されていった――……。



**




廊下を歩いていたフレイは、食堂が喧騒に包まれていることを知った。
キラを探しているのだが、見つからないのだ。

喧嘩別れのように別れたきり、キラはフレイの待つ部屋に帰ってこなくなった。
それを、謝りたかったのだ。
せっかくのキラの好意を、フレイは踏み躙った。
そのことを謝って、優しくしてあげよう。
始まりは間違えたかもしれないが、きっとやり直せるはずだから、と。

それが、いかなる感情によって導き出されたものであるのか、フレイは知らない。
けれどこのままではいけない、と。そうフレイは思うのだ。


「いやぁ、最初はもう、びびったよ。発信してすぐ、一発目のビームが来た時はさぁ。でも、あぁいうのもシュミレーションやってたからさぁ。もう咄嗟にこう、スティック引いて……」


得意満面に離すのは、初陣を終えたばかりのトールだ。
それに、周りのクルーたちも笑顔を向ける。


「いやぁ、でもあれは凄かったよ、ホント。いつの間にあんなこと出きるようになったんだか」
「大分やってたもんねぇ、シュミレーション」
「サイだって、色々勉強してるじゃないか。ミリィだって、凄い出来るようになったし。カズイだって」


サイの賞賛の言葉を受けてトールがそう返すと、まぁな、とサイも得意そうに答えた。


「俺たちだってもう、お客さんじゃないんだから」
「さすがに慣れたわよねぇ。でも、トールは調子に乗りすぎ。凄く心配だったんだから。トールが出るって聞いたときは」


膨れたように言うミリィに、トールは胸が温かくなる。
恋人の少女は、そう言いつつトールの無事を誰よりも願ってくれていたのだろう、と。
それだけで分かってしまったから。


「大丈夫だって、支援だけなんだからさ。ミリィは心配しすぎ」


明るい喧騒に包まれるそこに、フレイは入っていくことが出来なかった。
フレイはずっとキラの部屋にいて、キラだけを相手にして生活していた。
しかしその間、他のメンバーたちは、それぞれ別の世界を開拓していたことを、思い知らされて。
そしてトールとミリアリアの姿に、自分たちとは明らかに異質の……本当に恋人らしい姿に、胸をつかれて。
あんな、あからさまに相手を信頼する空気なんて、フレイとキラには存在しない。
それがより一層、胸を抉る。



キラにかける言葉など、何も浮かばない。
それでもフレイは、キラに謝りたかった。
キラに、伝えたかったのだ。




その感情の意味さえも、気づかないまま――……。














フレイの探し人であるキラは、格納庫にいた。
そのアメジストの眸が、真っ直ぐと巨神を見上げる。
ディアクティブモードの、グレイの“ストライク”。
見上げるたび浮かぶ情景は、先ほど彼が殺めたばかりの“ブリッツ”の姿だった。

襲い掛かってきた“ブリッツ”に、戦士として研ぎ澄まされたキラの躯が咄嗟に反応した。
そのまま真っ直ぐと、コックピットを貫いて。
そして――……。


――――『ニコル――――――――――ッッ!!!』――――
――――『嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!』――――



思い出を遡行すると、笑顔しかないのに。
笑って。笑顔で。また逢おう、と。
そんな彼と戦って。彼の友人を殺して。

人目で、心惹かれた。
漆黒の瞳も、その毅い精神も。
今まで見たことのないタイプの女性で、心惹かれて。フレイへの気持ちが憧れの域でしかなかったことに、気づいて。

そんな二人を、キラは傷つけて。


――――『戦うしかなかろう?互いに敵である限り。どちらかが滅びるまでな!』――――


今は亡き、敵将の言葉も。繰り返し、キラの脳裏を木霊する。


「敵……。僕は、君たちの『敵』……?そうだね、アスラン。さん……」


膝を抱えて、蹲る。
明確な意味で、今度こそ本当に、彼らの敵になった。
だからこそ、彼らはキラを許しはしないだろう。
それは、確信にも似た現実。

キラを探していたフレイは、格納庫で彼を発見した。
膝を抱えて、蹲っている。
その姿に、痛々しさを覚えて。
その姿さえ、自分が引き起こした事象の結果に過ぎないと言う事実に、その罪の重さに、震える。
自分が恐ろしくなる。
間違いなく、キラを傷つけてきたのは、彼女自身の罪だった。
彼女の行いが、キラを傷つけた。
分かっている。キラを傷つけた。傷つけるために始めたことなのに、いざそう言う結果に陥ってみると、我が身の罪に震える。
謝ることも、出来ない。
どこまでも重い、それは罪。

を愛する、キラ。
温もりに縋りつくキラを、フレイは利用した。利用して……。
そして今、キラは傷ついている。



その時、上昇する“クストー”に、“アークエンジェル”のセンサーが反応した。
センサー担当のトノムラが、焦った声を出す。
あと少しで味方の元へ辿り着けると言うのに……。


「センサーに感!ボスゴロフ級潜水空母です!」


あと少しで、味方の元へ辿り着ける筈だった。
やがて、艦内にアラートが鳴り響く。
生き残るためには、ここを突破しなくてはならない。
アラートに、キラは顔を上げた。
艦内放送が、敵に発見されたことを告げる。


<総員、第一戦闘配備!総員、第一戦闘配備!>


立ち上がって、キラは駆け出した。
そのキラに、フレイが声をかける。
けれど、何と声をかければいいのか。その言葉さえ、見つからない。


「キラ……キラ……私……」
「ゴメン……後で……。帰ってから……」


そんなフレイに、キラは微かな笑みを向ける。
その笑顔を抱きしめるように、フレイはきゅっと瞳を閉じた。

帰ってくる。キラは必ず、ここに帰ってくる。
そして帰ってきたキラに、今度こそ優しくするのだ。
今までの偽りの分、優しくして。
今度こそ、本心のままに優しくするから。
だから、帰ってきて、と。フレイは思う。







帰ってきて。
帰ってきて、と。







世界は、動き続ける。
その世界を動かす、存在。
裏側から戦場を動かす存在を、まだ、誰も知らない――……。



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AAサイドを書くとどうしても少なくなる名前変換。
恐らく退屈だと思われた方が殆どだと思いますが。
次回からはまた名前変換を増やしますので……と言うか、もともと名前変換少ないですよね、私の小説って。
あぁぁぁぁ。申し訳ないです。
次回は戦闘シーンですが……少しでも早くお届けできるように頑張ります。

ここまでお読み戴き、有難うございました。