さぁ、いい子だから。

目覚めなさい、=

起きるんだ。

君は敵を『破壊』するために生まれた。

この世界で最も忌まわしい、鬼子なのだから――……。






#29   狂曲〜前〜






燃える朝日を背に、アスラン=ザラ率いるザラ隊は、ニコル=アマルフィの雪辱戦に乗り出した。
“バスター”がその長大な砲を構え、発砲する。
それが、この戦いの狼煙となった。


「敵影3。5時方向。距離3千!」
「同方向より熱源接近!」
「回避!取り舵!」


“アークエンジェル”の艦橋を、緊迫した空気が包む。
あと少しで、味方の元へ辿り付ける。
期待に沸き立っていたその心に、冷や水が浴びせられたのだ。
唯一の救いは、敵影が4ではなく3であったことか。
しかし、欠けたのはどの機体だ?

昨日の戦闘を振り返ってみる限り、敵の機体にそれほどのダメージを与えられたとは思えない。

考え込むマリューだったが、齎された報告に即座に頭を切り替える。
考えても仕方がない。
それよりは、今ここで出来る最善のことをしなくては。

マリューの指示に従い、操舵士のノイマンが舵を切る。
間一髪のところで、“アークエンジェル”は危険極まりないその攻撃を回避することが出来た。
それでも、放たれた砲は海を割き、もうもうと白い煙を立てる。


「艦尾ミサイル発射管、“ウォンバット”装填!“バリアント”、“イーゲルシュテルン”起動!」


ナタルの指示に合わせ、“アークエンジェル”の武装システムが次々と起動する。
しかし、艦砲だけではモビルスーツの機動力に対抗することは出来ない。
早々にこちらも、モビルスーツ並びに支援機の出動を促さねばならなかった。


「フラガ少佐、ヤマト少尉は?」


ナタルが確認の意味を込めて尋ねる。
フラガの搭乗する“スカイグラスパー”一号機は、発射シークエンスを待つのみとなっていた。
そのコックピット内で、彼が密かに毒づく。


「くそっ!このまますむとは思わなかったがな……」
<一号機、フラガ少佐、出ます!“ストライク”は後部デッキへ!>


ミリアリアの管制に従って、カタパルトが開く。
発進前に、フラガはもう一度だけ少年に尋ねた。
もしもまだ昨日の一件を引きずっているのならば、少年を待ち受けるものは『死』それだけだ。


「キラ!」
<はい……>
「大丈夫だな?」
<はい>


キラは、確かにそう答える。

しかしそれ以外に、キラに一体何と答える術があっただろうか。
結局キラは、『はい』としかいえないのだ。
彼は、それでもなお、守りたいと思ったから。
仲間を、そして友人たちを。

キラの駆る“ストライク”が後部デッキに降り立つと、“スカイグラスパー”はカタパルトデッキから発進した。

レーダーに映る機影は、3。
“イージス”、“デュエル”、そして“バスター”だ。
そこに、キラを圧倒する鋼の死神の姿は、ない。


「えぇぇ〜いっっ!!」


イザークの唇から、激情の欠片が零れ落ちる。
それはそのまま攻撃へと発展し、ビームライフルを掲げて“アークエンジェル”を攻撃する。


「“バリアント”、て――――ッッ!」


ナタルの指示で、“バリアント”が発射されるが、所詮は艦砲だ。
小回りのきく、機動性に優れたモビルスーツを掠めることさえ出来ない。
続けて“ウォンバット”が撃たれたが、それでも導く結果は変わらなかった。

“イージス”と“デュエル”は連携を見せ、交互に立ち回っては“ストライク”を翻弄する。
その隙に、“バスター”が艦への攻撃を担当して“アークエンジェル”に砲火を浴びせた。
初期の頃と違い、彼らパイロットも、それぞれの機体の特性を活かす道を見つけたのだ。

艦への攻撃を加え続ける“バスター”に、フラガの乗る“スカイグラスパー”が啖呵を切って接近する。


「今日そこ叩き落してやる!」


そう言ってランチャーを装備した“スカイグラスパー”の“アグニ”を発射する。
しかしそれは難なくかわされ、逆に“バスター”による砲火に曝された。








互いの生死を賭けた残酷なゲームは、まだその果てを知らない――……。



**




とろとろとしたまどろみが、の思考を支配していた。
広がる、穏やかな風景。
それは、『外』の世界だ。


『――――』
目の前の少年がそう言って、手を差し出す。
逆光で、顔がよく見えない。
けれど、知っている。『彼』を、知っている。


『――――は、――の―――だから』
『うん。――――は、――――の―――ね?』
『そう。約束。だから、指切りしよう』
『うん。約束ね』


笑顔で言うに、少年は嬉しそうに笑う。
知っている。『私』はこれを『識』っている。


『ねぇ、“ついのいでんし”って何?』
『何故――――はそんなことも知らない?“対の遺伝子”って言うのは、――――と――みたいなものだよ』
『――――と、――――?』
『そう。――――と――みたいなものを、“定められた者同士”って言うんだ』


笑って、少年が言う。
だから、は言ったのだ。
そう。覚えている。
言ったのだ、は。
そして少年は……。


『だったら、――――が――――に、いつか母様みたいな指輪をくれるの?』
『ルチア女史?』
『うん。母様が父様から貰った、きらきらの。――――には、――――がくれるの?』
『いつか……な。今は、この指輪をあげるよ』


そう言って、少年は足元の草花を摘んだ。
そしてそれでくるりと輪を作って、の指に嵌めて。
そして、言ったのだ。

綺麗な花の指輪を嵌められて、幼いは笑みを浮かべて。



どうして、今まで忘れていた?

あぁでも、この少年は、『誰だった』だろう。
思い出せない。その顔も、名前も。
しかしそこは、禁じられてきたはずの『外』だった。
が知るはずもない、『外』の世界だ。
なのに何故、こんな記憶が存在する?
何で?









思った次の瞬間には、場面は変化していた。
焔が見える。
そして記憶に存在していない筈の母が、を抱きしめた。


『逃げなさい、!――――隊長のところに、走って!』
『いや……嫌だ、母様。母様も、一緒に……母様……父様……』
『逃げるんだ、!』
『貴女はまだ、――には幼すぎるわ、
『ルチア!リヒト!!』


熱い。
天を焦がさんばかりに燃え上がる紅蓮の焔。
熱くて、熱くて堪らない。
ジリリとした痛い痛い感触は、皮膚が焼けたもの。
人の肉を焼くような悪臭が充満して、呼吸さえもままならない。


『――――隊長、を!』
『何を言っている、リヒト!ルチアも!早くこっちへ!』
『いいから。私たちはいいから、その子を……その子をプラントへ……プラントへ連れて帰って!』
『父様!母様!』


銀の髪の女性と漆黒の髪の男性が、優しく微笑む。
手を伸ばして、そちらに駆け寄ろうとするを、男性が抱きとめる。


『やっ!離して!おじ様、離して!』
『……ご命令は、我が命に代えても死守します。議員』
『頼む、――――隊長』
『その子を……を……――――と――――を頼むわ』
『はっ!』
『嫌……嫌、離して!離してよ、おじ様!父様!母様!』


なおも両親の元へ行こうとするを、抱えあげる。
暴れるが、びくともしない。
びしっと両親の元にザフト式の敬礼を施す。
微笑んで、両親は頷いた。

咄嗟に、分かった。
理解した。
もう、両親には会えない。
両親は、此処で死ぬ気だ。


『父様ぁ……!母様ぁ……!』
の言うことをよく聞いて、良い子でいるのよ、
『元気で。幸せになるんだよ?』


涙で滲んで、顔も見えない。
煤で汚れた両親の顔は、それでもなお美しかった。
その身をかけて、の命を救おうとした、その姿は。
美しくて、慕わしくて。だから涙が、出る。


『――――にごめんなさいって言っておいて、――――隊長』
『分かった』
『――――にも。シーゲルとパトリックにも、よろしく』
『……あぁ』


踵を返す。
どんどん、両親は遠くなっていく。
逢えない。
もう、逢えない。


『父様―――――!母様―――――!!』














「父様……!母様……!」


自分の声で、目が覚めた。
はぁはぁ、と息を吐く。
簡易ベッドには、だけだった。


「夢……?」


小さく、呟く。
見回した部屋は、記憶にそのまま存在するものだった。

セピア色をした、日差しの優しい『外』でも、赤と黒が支配した『闇』でもなかった。




ゆっくりと、は身を起こした。
腰に響く鈍痛に、顔を顰める。
肌寒さに自分の身を見下ろすと、シーツを纏ったままのしどけない姿だった。


「ッッ……!」


恥ずかしさに、その顔が一気に朱色に染まる。
身は、綺麗に清められていた。
シーツも清潔なものに代えられていて、情事の痕跡はどこにも残っていない。


「とりあえず、シャワー……かな」


一人ごちて、シーツをその身に纏ったまま、備え付けのシャワールームに向かう。
簡易的なシャワールームの、そこに備えられている鏡に映る自分を見ると、肌の各所に赤い華が散っていた。
イザークの唇が刻んだ、それは彼の口付けの華。

今のにとって、現実感の伴わぬ彼との情事の唯一の証が、彼女の肌に刻まれた刻印だった。
それだけが、何よりも現実的だった。

それが、の罪の証だ。


イザークを傷つけた、への。
は、イザークを傷つけた。
彼の想いを知っていながら、その想いを利用した。
それは何よりも、許されてはならない、罪。

刻まれた刻印は、だからこそ重い。
囁かれた睦言も、その唇が刻んだ情熱も、躯中に残された痕跡も、この身に残る痛みさえ。
重い。


「ゴメンね、イザーク……ゴメンなさい……」


弱くて、ゴメンなさい。
縋りついて、ゴメンなさい。
その想いに、言葉に応えられないことが、痛い。
あまりにも、痛い。


「臆病者の『ヴァルキュリア』。あんなに優しい人を傷つける、卑怯な


鏡に向かって、呟く。
漆黒の眸。蒼穹の眸。
異なる色の眸が、鏡越しに真っ直ぐとを見つめ返してくる。
唇を噛み締め、睨むように。

バン、と鏡を叩きつけると、シャワーカーテンを引いた。
コックを捻って、頭から冷水を被る。
滴り落ちる水が、の髪を湿らせていく。

肌寒さを覚えるほど、その水は冷たい。

瞳を、閉じる。
その眼裏に蘇る、一面の緋色。
転がる、歪な屍骸。
優しい、少年。

はっとして、は瞳を見開いた。
そして、今まで気付かなかったことに、気づいた。
この艦を襲う、異変に。


「揺れてる……?この艦、揺れてるの……?……戦闘?」


気づかなかった。気づけなかった。
何故?
今まで、アラートがなれば目が覚めた。そう言う風に、体内時計は出来上がっている。
それなのに、反応できなかった?


「行かなきゃ……行かなきゃ……守らなきゃ……」


――――『さぁ、目を覚まして。』――――
――――『戦うために、お前は生まれた』――――
――――『さぁ、戦って。敵を破壊しておいで』――――
――――『イイコの=?』――――



頭が、がんがんとなる。
まるで鈍器で殴られているかのように、鳴り響く。
その音に、眉を顰めて。


――――『目覚めなさい』――――
――――『この世で最も忌まわしい鬼子。『鋼のヴァルキュリア』、=』――――
――――『戦って戦って戦って。敵となるものを全て滅ぼすために、お前は生まれた』――――



「ぐぅっ……!」


襲い来る吐き気に、蹲る。
それでも、軍服を纏った。
そのまま、室内を出る。
エマージェンシーによる喧騒に包まれた艦内が、の姿に騒然となった。
それにも、構ってはいられない。

行かなきゃ。早く、行かなきゃ。
戦わなきゃ。
戦って、戦って、戦って。
守らなくては、今度こそ。守らなくては。行かなくては。行かなくては。行かなくては。行かなくては。
戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って。
戦わなくては。

パイロットスーツなんて、要らない。
戦えれば、いい。
MSさえあればいい。それさえあれば戦える。

戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って。


=!?どうして貴女が此処に!」
「説明は後だ、そこをどけ」


――――『目覚めなさい。「私のヴァルキュリア」』――――



「どけといっている!」
「いけません!」


コックピットに収まったが、ハッチを開放しない整備員に焦れて命じる。
そこにいるのは、厳密に言えば「」ではなかった。
それは、「ヴァルキュリア」。
彼らザフト軍にとって戦乙女にも等しい、少女。
その姿が、あった。
噂でしか聞いたことのない少女を、彼らは初めて目の当たりにしたのだ。


「どけと言っている!早くハッチを開放しろ!!」
「いけません、=!貴女の出撃の許可はでていません!」
「御託はいい!どけ!早く!私は……私は……私は……!」


守るのだ。
守るのだ、今度こそ。
今度こそ、彼を守るのだ。彼だけは、守らなくては。


<整備兵は緊急着艦用意!“デュエル”帰還!被弾あり!>
「“デュエル”!?イザーク!」
=。貴女への出撃要請は貴女の隊の隊長であるアスラン=ザラのみが下せます。……この意味が、お分かりの筈です、貴女は」


分かる。痛いぐらい、よく分かる。
その意味も、アスランの想いも。
分かる。分かるけれど、納得できない。

ただ、喪いたくないだけ。
喪いたくないだけなのだ、もうこれ以上、何も。
それだけなのに……。

それだけなのに、それが出来ない。
それが、何よりも悔しい。
皆の思いは、分かる。
それほどまでに思われることは、誇らしささえも感じる。しかし思われていると思えば思うほど、かけられる期待が重い。
重くて、痛い――……。


「オイ、誰か担架を持って来い!」
「負傷しているぞ!医療班!!」
「イザーク!?」


あわてて、はイザークの元へ駆け寄る。
朝は……正確に言えば夜中だったのかもしれないが、その時は確かにイザークは生きていた。
生きていて、話をして。
の躯を気遣ってくれた。

それなのに今、担架に横たわっている。
切ったのか、強打したのか。その額からは赤い物が垂れて、宛がわれたガーゼを濡らしていた。

朝は確かに、存在していた。
確かに話をして。
それなのに、今はこうして担架に横たわっている。
それが、例えようもない恐怖に直結した。


「イザーク……?」


声をかけても、返事が返ってこない。
荒い息を繰り返すだけだ。

その顔には、びっしりと細かい汗をかきながら。


「イザーク……イザーク……イザーク!?」


呼びかける。
躯を動かしてはいけない、とか。そんな、アカデミー在学中の生徒でも分かるような軍人の応急処置に対する『常識』は、この時完璧に彼女の頭から飛んでいた。
ただ、少年の名を呼び続ける。

一人は、嫌だった。
置いていかれたくなんて、なかった。


起きて、起きてよ、と。
ただそれだけを繰り返す。
置いて逝かないって言ったじゃない、と。死なないって言ったじゃない、と。
それだけを繰り返すに、医療班の青年が力づけるように言った。


「彼は大丈夫です、=
「……本当に?」
「はい。彼は大丈夫です。額を強打したようですので、一応検査はしますが……それでもここまで自力で辿りつけたほどですから心配は要りません。仲間の元へ帰ってきたことで、気が抜けたのでしょう。気絶しただけです。心配は要りません」
「そうです、嬢。貴女は、どうか艦橋のほうへ。艦長がお呼びです」
「分かりました。艦橋のほうへ向かいます。取り乱してしまってゴメンなさい。謝ります。本当に、申し訳ありませんでした」


言って、は頭を下げた。
例え「ザフトのヴァルキュリア」と呼ばれようが、家の人間であろうが、礼を欠いてはいけない。
一人の力で、こうして戦っているわけではない。
たくさんのクルーに支えられて、漸く「ヴァルキュリア」は戦えるのだから。
過ちを犯したなら、謝罪しなければならない。
逆に言えば、それを自然に行えることが、彼女が「ヴァルキュリア」として多くの兵士からの信望を勝ち得た理由であろう。


「いえ、仲間のことで、貴女も気が動転していたのでしょう。無理のない話です」
「どうか、お気になさらずに」
「……有難う」


クルーの言葉に、礼を言う。
それから、踵を返した。

少なくともアスランは。彼女の舞台の隊長であるアスラン=ザラは、この戦場には不要、と。そう判断したのだ。ならばそこに、の役目などない。
隊長の命令は、絶対だ。
が隊員である以上、厳守せねばならない。


(帰ってくるよね……アスラン。ディアッカ……)


祈るように、眸を閉じる。
帰ってきてほしい。
喪いたくなんて、ない。
これ以上、何も喪いたくない。
そのための力が、欲しい。


――――『さぁ、目覚めなさい。「ヴァルキュリア」』――――
――――『いい加減、真実を直視せねば』――――
――――『さぁ、思い出すんだ。お前が生まれてきた、本当の意味を』――――




ズキン、と頭が痛んだ。


「い……たい……」


格納庫を離れた廊下に、蹲る。
幸い、誰もいない。
涙が、溢れた。
苦痛にでは、ない。
ただ、涙が零れた。


「教えてよ……兄様……」


傍には、誰もいない。
そんなこと、分かっている。
分かっているけれど、言葉が。
言葉が、溢れてくるから。


「兄様……ミゲル兄さん……私は……」


がんがんと鳴り響く、警鐘。
気持ちが悪い。
あまりの頭の痛みに、そのまま吐き気さえ併発していく。
それでも、言葉が止まらない。

誰か、誰か教えて。
『私』は一体……。


「私は一体、『誰』なの……?」


冷たい床に膝を付いたまま、呟かれた言葉。
それはただ、誰もいない廊下に空しく響くだけだった――……。



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少しずつ、種明かしをしていきたいと思います。
少しずつ。加減が分からないせいか、今回かなり大出ししてしまった気はしますが。

何かもう、みんな種本編と性格違いすぎないか?というツッコミは、この際無しの方向で。

ここまでお読み戴き、有難うございました。