殺しておいで、愛しい子

『アレ』を、殺しておいで。

敵を殺しておいで。

早く早く。

そうしなければ、『彼』が死んでしまうよ……?










#30 遁走曲〜]〜









「さぁ、目覚めるといい」


 物言わぬ巨神を見上げて、『彼』は呟いた。
 人ならざる、それは神だ。
 たくさんの電熱線に拘束された、『神』。
 殺戮のための、神だ。

 今はまだ、動けない。
 拘束されたその身は、まだ『力』を得ていない。
 けれどもうすぐ。
 もうすぐ、『神』は力を取り戻す。
 そして、世界を染めるだろう。赤く紅く。


「名前をつけなくてはな、お前に……」


 愛しげに巨神を見上げ、男は呟く。
 それが殺戮のための道具であることも、これから数多の殺戮を犯すことさえも忘れ果てた、透明な笑みを浮かべて。
 男は、うっとりと呟く。


「どんな名が、いいだろう……」


 この美しい巨神に、相応しい名を、決めなくては。
 くすくすと、男は笑った。
 楽しげに、楽しげに。
 これから待ち受ける数多の殺戮を、希うように。
 笑って。
 そして、囁いた。


「かえっておいで、……そろそろ、『私』の元へ……」


 その力を誰よりも愛し、必要としているのは。それは、私なのだから、と。
 男は、囁く。


「ずいぶん長いこと、留守にしていたものだね、。早く早く、還っておいで。でないと……」


 『彼』を、殺してしまうよ?
 楽しそうに、男は口ずさむ。
 楽しそうに……けれど致死量の毒を滴らせながら。
 男は、口ずさみ。
 そして華のように、微笑んだ――……。



**




 銃弾が天上のライトに着弾し、ガラス片が降り注いだ。
 無機質な音が、医務室内を響き渡る。
 どこか不吉なメロディを奏でるそれは、どことなく戯画めいた印象さえ受けた。

 フレイは、呆然と天井を見上げる。
 何が起こったのか、分からなかった。
 彼女に分かっているのは、憎いコーディネイターに、銃を向けたということ。ただ、それだけだったから。
 それなのにどうして、がラスが降り注ぐのだろう?
 どうして私は、呆然と天井を見つめているのだろう?
 ミリアリアに圧し掛かられたまま、フレイはそんなことを考えていた。
 胸の辺りが、温かい。
 けれどそれは、胸の辺りだけではなく。自分の頬も、生暖かくて。
 フレイは、自分も涙を流していることを、知った。

 でも、どうして涙を流す必要があるというのだろう。
 憎いコーディネイターは……復讐のために利用したキラはもう、この世に亡いと言うのに。
 それは、喜ぶべきことなのに。

 のろのろと、ミリアリアはフレイの上からその身をどけた。
 フレイは、それよりも滑らかな仕草で起き上がる。
 落ちた銃に気づいたサイが、それを自分の手の中に収めた。
 これを、使ってはいけない。

 身を起こしたフレイは、開口一番にミリアリアを詰問する。
 何故、邪魔をするのだろう。
 何故、邪魔をするのだろう。


「何するのよ。何で邪魔するの!?自分だって殺そうとしてたじゃない!アンタだって憎いんでしょう、コイツが!?トールを殺した、コーディネイターが!」


 フレイの言葉に、ミリアリアは首を横に振る。
 違う、違う、違う。そうじゃない。
 そうじゃ、ない。
 それに、ミリアリアはこれまで思っていた疑問が、氷解したのを感じたから。
 それはきっと、サイも同じだっただろう。

 ジョージ=アルスターが死んで、人が変わってしまった、フレイ。
 もともとは、大輪の薔薇のように艶やかで華やかな少女だったのに。人が、変わってしまった。隠し事なんて出来ない、きわめて陽性の少女だったのに。
 キラを誘惑して、キラを戦わせた。

 考えてみれば、おかしな話だったのだ。
 アレだけフレイは、コーディネイターを嫌っていたのに。憎んでいたのに。
 キラと付き合いだした時、疑問に思わなかった自分が、憎い。
 けれどだからこそ、ミリアリアは思う。
 自分は、フレイと同じ場所には、行かない。

 コーディネイターが憎いわけじゃない。
 それでは、コーディネイターと言う括りで、キラも一纏めにしてしまう。そうじゃない。

 一人完結するミリアリアを尻目に、フレイは立ち上がった。


「何よ……アンタだって、同じじゃない!アンタだって、私と同じじゃない!」
「フレイ!」


 フレイの激情を鎮めるかのように、サイが駆け寄った。
 そっと、その肩に触れる。
 二人の視線が交錯する中、ミリアリアは首を振った。
 力ない声が、言葉を紡ぐ。


「違う……違う……私、違う!」


 違う、と。そう呟くミリアリアを、フレイは睨みつける。
 その時、医務室の扉が、微かな音を立ててスライドした。
 現れたのはパルと、他の地球軍兵士だ。


「おい、何だ。この騒ぎは!」


 医務室の惨状に、彼は一喝した。
 それに、答えるものはなく。
 無言の沈黙が、彼に全てを物語っていた――……。














「彼をいつまでも医務室に置いておいたのが間違いでした」


 事件後、ディアッカは営倉に送られた。
 医務室での惨状を聞き知ったナタルが、マリューを弾劾する。
 厳しい弾劾は、真実だからこそ。マリューも、何も言えない。


「ましてやそこを、一時でも無人にするとは」
「えぇ……」
「銃の管理にも、問題があります。この件も、報告せざるを得ないでしょう」
「そうね、それもツケといて」
「艦長!」


 そのまま歩み去ろうとするマリューの背中に、ナタルは声をかけた。
 これは決して、冗談で済ませていい問題ではない。だからこそ、ナタルは指摘しているのに。
 まるで冗談で済ませようとしているかのようなマリューの態度に、ナタルは眉を顰めずにはいられない。


「私は何も、個人的感情であなたを非難しているつもりはありません」


 そうであったならどれだけ良かっただろう、と。マリューは思う。
 そうであったなら、マリューはナタルを忌避し、嫌悪するだけですむのに。
 彼女の目は、まっすぐで。本当に自分の正義を信じて、まっすぐで。だから迷うマリューは、その瞳の力にたじろがずには、いられない。


「私が申し上げたいのは、我々にとって規律は重要なものであり、野戦任官だろうが、緊急事態だろうが、それは変わらないということだけです」
「分かっているわ……と、言いたいところだけど」
「軍には厳しく統制され、上官の命を速やかに実行できる兵と、それに、広い視野で情勢を見据え、的確に判断できる指揮官が必要です。でなければ、隊や艦は勝つことも、生き残ることも出来ません」
「分かっていても……出来なきゃ一緒よね」


 マリューの言葉に、ナタルは眉を寄せる。
 それでも、マリューは自分には無理だと思うのだ、それは。
 そうやって非常に徹することが必要なことは、わかっているけれど。
 それでもマリューはそれは、自分には無理だと、思うのだ。
 そして分かった上で、マリューは静かに呟いた。


「自分が器じゃないことは、よく分かっているつもりよ」
「艦長!私は……」


 そんなつもりで言ったのではない、と。そう口にするだろうナタルの発言を、マリューは手を上げることで押し止めた。


「大丈夫よ。分かっているわ、ナタル。……色々あったけど、貴女には本当、感謝してる。貴女なら、きっといい艦長になるわね」


 そう言って、マリューは踵を返した。
 その後姿を、ナタルは眺め。
 そして憤然と、呟いた。


「だから甘いと言うのだ、貴女は」


 その言葉に混ぜ込まれていた微量の苛立ちは、誰に向けられたものであったのか。
 自分が本来上官として仰ぐべき艦長の、その甘さゆえか。
 それとも……そんな彼女の意見に、甘さ以外の何かを感じ取ってしまった、自身の揺れる感情にか。
 それは、ナタルにも分からなかった――……。



**




 ディアッカは、営倉のベッドに横たわっていた。
 本来、罪を犯した軍人を、懲罰のために押し込む場所だが、今現在そこに押し込まれる兵はいないため、未だ正式に扱いの決められていないディアッカは、捕虜としてそこに押し込まれていた。
 身じろぐと、傷を負った額が、僅かに疼いた。
 けれど痛むのは、それだけではない。

 思い出すのは、先ほどの彼女の慟哭。
 悲嘆に彩られながら、それでもディアッカを庇って命を救ってくれた、あの少女のことだった。
 そして、自分がそんな少女に投げかけた、言葉。


――――『あぁ、それとも、バカで役立たずなナチュラルの、彼氏でも死んだかぁ?』――――
――――『トールが!トールがいないのに!何で!?何でこんな奴!こんな奴が此処にいるのよぉ!?』――――



 涙ながらに暴れた少女の激情が、ディアッカが冗談めかして紡いだ言葉が真実であると教えていた。
 そう、冗談のつもりだった。
 苛立ちも、あった。
 ナチュラルごときの捕虜となるなど、ディアッカ自信赦せなかったから。
 投降したのは、紛れもなく彼自身の意志であったけれど。それでも、捕虜となるなど、彼の自尊心が赦さなかった。
 かといって、自ら自害することも出来ない、その苛立ちを。あの少女にぶつけてしまった。
 その言葉が。彼が冗談めかして紡いだ言葉が、真実だったなど。
 寝覚めが悪いどころの話では、なかった。


「チッ。ビンゴだったとはなぁ……」


 痛みを押し殺すように、ディアッカは瞳を眇めた。
 彼はこの時、初めて知ったのかもしれない。
 ナチュラルと、コーディネイター。
 彼が侮り、蔑むナチュラルも、同じように大切な誰かを喪えば嘆くのだ、と。哀しいのだ、と。彼はこの時、初めて知ったのかもしれない――……。



**




 静かにドアがスライドして、壮年の男が入室してきた。
 軍隊で、上官に敬意を払うのは当然のことだ。
 起立して、“アークエンジェル”クルーたちは、敬礼をした。
 査問会が、始まるのだ。

 座席を設えられた上座に移動し、椅子の後ろに立つと、入室してきた男三人も、返礼した。


「軍令部のウィリアム=サザーランド大佐だ。諸君ら、第八艦隊“アークエンジェル”の、審議、指揮、一切を任されている。座れ」


 自ら着席すると、男――ウィリアム=サザーランド大佐――は、そこに集う者たちに、着席を促した。
 その言葉に倣い、“アークエンジェル”クルーたちは着席する。


「既に、ログデータはナムコムから回収し、解析中であるが……なかなか見事な戦歴だな、マリュー=ラミアス艦長」


 揶揄するような男の言葉に、マリューはやや、顔をうつむけた。
 それが、彼らのこれまでの戦闘の労を労っているとは、どうしても思えなかったから。


「ではこれより、君たちからこれまでの詳細な報告、及び証言を得ていきたいと思う。なお、この査問会は軍法会議に準ずるものであり、此処での発言は全て、公式なものとして記録されることを申し渡しておく。各人、虚偽のない発言を。――よいかな?」
「はい」


 サザーランドの言葉に、マリューは力強く頷いた。
 此処までの苦難に満ちた戦闘を、誇りこそすれ、瑕になど思っていない。
 そうでなくては、喪われた少年たちの命に対し、申し訳ないではないか。


「ではまず、ファイル1」


 スイッチが捻られ、電源が落とされる。
 スクリーンには、在りし日の戦闘の情景が映し出された。


「ヘリオポリスの、ザフト軍奇襲時の状況、マリュー=ラミアス当時大尉の証言から聞こう」
「はい」


 サザーランドの言葉に、マリューは立ち上がった。
 そのマリューに、サザーランドは尋ねる。


「では君はその時点で、この少年キラ=ヤマトが、コーディネイターではないか、と言う疑念は抱いていた、と言うことだが」
「はい。いくら、工業カレッジの学生とは言え、初めて見る機体を……それも我が軍の重要機密であった“X”ナンバーのOSを瞬時に判断し書き換えを行うなど、普通の子供に出来ることではありません。彼はコーディネイターなのではないかと言う疑念は、すぐに抱きました」
「ふむ。その力を目の当たりにして、君はどう感じたのかね?」
「え……」


 サザーランドの言葉に、マリューは目を瞠った。
 何を言おうとしているのか。何を言わんとしているのか。
 質問の意図が、分からない。
 それでもマリューは、口を開いた。


「ただ、驚異的なもの、と」
「ふん。そしてジン自爆の際、気を失った君は彼と、その友人らに介抱され、その後彼らを拘束した」
「はい」
「これは、的確な判断だったと言えような。君は負傷していたと言うことだし、一刻も早く体勢を整え、状況を把握する必要もあった。だが、本体と連絡のつかぬうちに、フラガ少佐の追撃をかわしたザフトのモビルスーツが、再びコロニー内に侵攻。不運だったとしか言いようがないが、だが“ストライク”はその際、何も知らぬ民間人の、しかもコーディネイターの子供に預けられたままであり、君はそれを十分にコントロールし得なかった。そうだな?」
「いえ!しかし、あの場合……」
「今は事実確認を行っているのだ、フラガ少佐。私的見解は無用に願いたい」


 サザーランドの発言に異を唱えようとしたフラガだったが、軽くいなされてしまった。
 睨むように上官を見るが、上官が堪えた様子はない。


「結果、キラ=ヤマトはその威力も知らぬまま、320ミリ長高インパルス砲“アグニ”を発射し、敵モビルスーツを退却させることに成功はしたものの、ヘリオポリス構造体に甚大な被害を及ぼした。また、この一撃は、ザフト軍奇襲部隊に非常な危機感を与え、彼らの再度のコロニー内侵攻を促したと」
「それは結果からの推測論に過ぎません!」
「認めよう」


 フラガの発言を、今度はサザーランドも受け入れた。
 起立したフラガが、着席する。
 そのタイミングを見計らって、サザーランドは口を開いた。


「だが、君も指揮官として戦場に出る者なら分かるだろう?君がもし、奇襲作戦の指揮官であったとして、そのような敵新型兵器の威力をまざまざと見せ付けられ、それで見過ごすものかね?」
「っつ……いえ……」
「反撃は、誤りだった、と仰るのですか?」


 サザーランドの容赦ない言葉に、フラガは頷いた。
 まったくもって、その通りだから。
 もしも自分が奇襲部隊の作戦指揮官であったら、そのような新型兵器を見過ごさず、再度の侵攻を決定するだろう。
 だから彼は、それ以上何も言えなかった。
 そして彼に代わって、マリューが尋ねる。


「そうは言わんよ。ただ、コーディネイターの子供など、居合わせたのが不運と言うところかな」


 その言葉に、ナタルを除くクルーたちの顔色が変わった。
 もしもあの時、あの場所にキラが居合わせなかったなら。
 “ストライク”はザフトに拿捕され、“アークエンジェル”は轟沈していただろう。
 目の前の男は、そう言ったのだ。あの場にキラなど居合わせず、クルーたちがザフトに攻撃されるままに任せていたら、と。彼らの命を、何の感慨もなく投げ捨てたも同じことを、彼は口にした。


「そんな!?彼がいなければ、我々は……!」
「だがいなければ、ヘリオポリスは崩壊しなかったかも知れん。過ぎた時間にもしも、はないがね。だがもし、彼がOSの書き換えなどできぬただのナチュラルの子供だったら……その時、“ストライク”になど乗っていなかったならば、結果は自ずと違っていた筈だ。だが彼はそこにいた。そして彼を“ストライク”に乗せてしまったのは、君だろう?ラミアス少佐」
「全ては、私の判断ミス、と?」


 指先が、震える。
 この男は、何を言っているのだ。


「我々はコーディネイターと戦っているのだよ、ラミアス少佐。その驚異的な力と。民間人の子供であろうが、コーディネイターはコーディネイターなのだ。それを目の当たりにしながら、何故それに気づかない。やつらがいるから、世界は混乱するのだよ。
 “アークエンジェル”はその後も、ユーラシアの軍事拠点“アルテミス”を壊滅させ、先遣隊を全滅させ、果ては第八艦隊をも失わせている」
「曲解です!我々は……!」
「我々は……何だね?」
「我々は、ただハルバートン提督の……!」


 フラガが立ち上がり、異を唱える。
 その言葉を、マリューが引き取った。

 撃破されてしまった、第八艦隊。
 その第八艦隊を率いていた、ハルバートン。
 その遺志を引き継ぎ、此処まで来た。その自負が、彼女たちにはあったから。
 しかしそれさえも、サザーランドはあからさまに嘲笑した。


「彼の意志が、地球軍の総意なのかね?一体いつ、そんなことになったのだ。――落ち着きたまえ、マリュー=ラミアス。私は全て、諸君らに非があるとは言っていない。過酷な状況の中、実によく頑張ったものだと思う。だが、それだけの犠牲を払い入港した“アークエンジェル”は、肝心のその“ストライク”さえ失っているという有様だ。それで犠牲になった者たちは、浮かばれるのかね?全てを明確にし、この一連の成果と責任を、はっきりさせねばならんのだ。誰もが、納得する形でね」


 そう、サザーランドは言う。
 しかしそれは、『誰』が納得する形というのだろうか。

 『犠牲になった者』そう口にする彼の声は、痛みなどまったく感じさせないほど、乾いていると言うのに。

 一体、何のために戦ったのだろう。
 何のために、少年たちは犠牲になったのだろう。


「では、続けようか」


 乾いた声で、サザーランドは査問会の続行を告げた――……。



**




「これ、フレイに持って行ってくれる?」


 主だった士官は殆ど査問会に出席しているため、人影の疎らな“アークエンジェル”の艦内。
 その食堂で、サイはそう言って、カズイにトレイを差し出した。
 しかしカズイは、身を仰け反らせて拒絶する。


「えぇ!?俺が!?」
「……じゃあ、いいよ」


 憮然として、サイはそう言った。
 少しは、協力してくれてもいいではないか。
 “アークエンジェル”はアラスカに入港し、もう危険はない。仕事も、殆どないのだ。少しは、協力してくれてもいいのに。
 苛立たしさを感じて、そのままサイはぶっきらぼうに言う。
 サイの不機嫌さを感じ取ったらしいカズイが、慌ててトレイを一つ、奪い取った。


「あぁ、いいよ。俺持つよ」
「いいよ」
「部屋までは、持って行くからさ。渡すのは、サイの方がいいでしょ?」


 カズイの言葉に、サイは溜息を吐いた。
 まったくもって、カズイは何も分かっていない。
 それでは、意味がないのだ。

 フレイと顔を合わせることに怯える自分を、サイは自覚していた。
 一時期、婚約していた少女。それだけでなく、彼自身も恋した少女だ。憎めるわけがない。嫌えるわけがない。
 けれどそれでは、キラに申し訳ないとも、思う。
 疼くように痛む心を抱えて、だからどうすることも出来ない、と。サイは思うのだ。

 踵を返し、食堂を出て廊下に向かう。
 小走りで、カズイはサイの後をついていった。
 廊下を、部屋に向かって歩くと、カズイはつい先ごろの事件を小声で尋ねてきた。どうやら、その話が聞きたかったようだ、と。サイは思う。


「でもミリアリアが、そんなことをするとはなぁ……」
「あのザフトの奴が悪いんだよ。何か言ったらしい」
「あ。あいつの名前、ディアッカって言うんだって。ディアッカ=エルスマン。で。何か言ったって、何?」
「知らないよ」


 素っ気無く言うと、カズイは顔を顰めた。
 どうやら、そうやって仲間はずれにされているようで、面白くないらしい。
 けれど次の瞬間には、気を取り直したように呟いた。


「しかし、どうなっちゃってるんだろうね、この艦。もう着いたんだから、終わりだろ?俺たち、除隊できるんだろ?」
「それも知らないよ。そんなことは艦長に聞いてよ」


 サイの語気が、強くなる。
 大体、カズイは一体何なのだ。
 そんなにも除隊除隊と言うならばどうして、あの時残る道を選択したのだろうか。
 そして、まるでサイに全員が入隊したことに責任でもあるかのように、尋ねてくる。
 いい加減にして欲しかった。

 下士官用の部屋の扉がスライドして、サイたちを室内に招じ入れる。
 しかし、入室したその部屋に、求めた姿はなかった。
 息を呑み、サイは少女を探し始める。


「ミリアリア?食事を……」


 どこにも、いない。
 サイが探す少女はその時、とある場所にいた。
 軍機を犯した者たちを懲罰するための、区画。
 営倉に――……。



**




 息を潜めて、ミリアリアは鉄格子越しに中の気配を窺った。
 怖かった。
 あの時の自分が、怖かった。
 あんな恐ろしいことを――人を殺めようとするくらい激情を、自分が持っていることが、信じられなくて。
 そんな自分の激情が、恐ろしくて。でもどうしても、此処に来ずにはいられなかった。

 ミリアリアの気配を察したのか、牢に閉じ込められていた男は、固いベッドから身を起こした。
 恐怖が臨界まで達して、ミリアリアは逃げるように踵を返す。
 そのまま駆け出そうとしたその時、ミリアリアの背中に向けて声がかけられた。


「待てよ!」


 恐る恐る、ミリアリアは男に向かって振り返る。
 相手もまた、ミリアリアから視線を逸らした。


「えぇっと……その……お前の彼氏、どこで……その……」
「“スカイグラスパー”に乗っていたの。島で、あんたたちが攻撃してきた時」
「“スカイグラスパー”?」
「戦闘機。青と白の」
「……俺じゃない」


 不貞腐れたように、ディアッカは呟いた。
 安心した。安堵した。
 この少女の大切なものを奪ったのが、自分でないことに。心から、安心した。
 ディアッカが対峙した“スカイグラスパー”は、被弾はしたものの、撃墜は免れたはずだから。

 けれどそれが、一体何になるだろう。
 戦場に在る以上、敵を撃たねば自分が殺される。
 だが果たしてこれから、自分はその引き金を引けるだろうか、と。ディアッカはふと思った。
 自分が引く引き金の先にあるのは、ただの機械でも何でもなくて。自分と同じ感情を持つ、人間で。
 同じように。ディアッカと同じように守りたいものがあって、愛するものがあって。それなのに、その引き金を引けるだろうか。

 苛立ちは、それ故のものだったのかも知れない。


「どうしたんだよ。殺しに来たんなら、やればいいだろ?」


 自嘲気味に呟く彼から、目が離せなかった。
 どうすればいいのか、分からなかった。
 自分が何をしたいのか、分からなくて。
 それでも、ミリアリアは思う。
 自分は、フレイのようにはならない、と――……。



**




 暗かった室内に、明かりが点された。
 スクリーンからも、映像がかき消される。
 何一つ。マリューたちにとっては何一つ代わらないまま、結局吊るし上げられるかのように、査問会は終わった。
 査問会が終わった今、それがマリューの実感だった。
 結局、何のために戦ったのだろう。
 何のために、此処まできたのだろう。

 “アークエンジェル”と“ストライク”それが、これからの戦局を有利に運ぶために、必要不可欠だと信じたから、此処まで戦ってきたというのに。


「ではこれにて、当査問会は終了する。長時間の質疑応答、ご苦労だったな」


 サザーランドの言葉に、マリューは深く溜息を吐いた。
 上座に座す上官たちが、一斉に立ち上がる。
 そして、口を開いた。


「“アークエンジェル”の次なる任務は、追って通達する。ムウ=ら=フラガ少佐、ナタル=バジルール中尉、フレイ=アルスター二等兵以外の乗員は、これまでどおり、艦にて待機を命ずる」
「では、我々は?」


 サザーランドの言葉に、フラガは尋ね返した。
 上官の命とあらば、否やはない。
 それが、軍人ならば当たり前のことだ。しかし、聞かずには、いられなかった。


「この三名には、転属命令が出ている。明0800、人事局に出頭するように。以上だ」
「あの……アルスター二等兵も、転属というのは……」
「彼女の志願のときの言葉、聞いたのは君だろう?」


 ナタルの言葉に、サザーランドは笑みさえ浮かべてそう言った。
 フレイの志願の言葉。その言葉をきっかけに、軍に残った少年たち。
 その時の言葉を、ナタルは今も覚えている。

 涙ながらに、彼女は口にしたのだ。
 平和のために、自分にできることがあるならば、そうしたい、と。
 自分たちだけ、平和の安寧に浸っていて、いいのか、と。


「アルスター家の娘でもある彼女の言葉は、多くの人々の胸を打つだろう。その志願動機とともにな。彼女の活躍の場は、前線でなくてよいのだよ」


 その口元に浮かんだ笑みを、マリューは睨みつける。
 要するにそれは、アルスター家の令嬢であるフレイをプロパガンダとし、多くの兵を徴兵するということだ。
 その徴兵のため、彼女の言葉を利用するのだろう。
 彼女の父、ジョージ=アルスターは死亡した。
 戦場で死んだ、大西洋連邦の高官を父に持つ娘の運命は、これで決まったのだ。

 彼女の言葉は、確かに多くの民衆の心を掴むだろう。
 そして民衆は、己が息子を、父を、戦場に送り出す。
 しかしそれに一体、何の意味があるのだろうか。
 何のために、戦うのか。
 それさえも見失いそうになっている現在、マリューにはそれが、新たな犠牲を無意味に量産する行為としか、思えなかった――……。



**




 まもなく、オペレーション・スピットブレイクが発動される。
 ザフトの威信を欠けたこの作戦が成功すれば、ザフト派地球軍を地球という青い惑星に封じ込めることが可能となる。
 そうすれば、彼らの生きる宇宙《ソラ》は安全な場所となる。
 漸く、それが叶う。

 モビルスーツの整備は、ほぼ完璧に終わった。
 OSのチェックだって、万全を期している。
 不安に思う必要なんて、どこにあるだろう。


『殺しておいで』
『はい、――』
『敵を、殺しておいで』


 声が、する。
 声が、聞こえる。
 懐かしささえ感じる、声が。
 声が、聞こえて。
 不意に、割れた。
 くすくすと、笑い声が木霊する。
 怖くて堪らないのに、はうっとりとそれを聞いていた。
 けれどその声が、言う。


『でないと、彼が死んでしまうよ?』
『え……?』
『でないと、彼を殺してしまうよ?』
『何……を……?』


 何を、言っているの?
 大丈夫、大丈夫。
 死なせはしない。絶対に、死なせない。
 大丈夫、私がいるから。
 私が、彼を守るから。
 大丈夫、大丈夫。


『死なせない……もの』


 小さく、は呟いた。
 死なせない。
 彼は、死なせない。必ず、守ってみせるもの。


『そう。でも……』
『え……?』
『彼はその足元で、死んでいるじゃないか』


 恐る恐る、足元を見る。
 血溜りが、見えて。
 誰……?ねぇ、誰?誰が死んでいるの?誰が、殺したの?
 だれ?
 だれが、ころしたの?

 駆け寄ろうとした、その時。
 自分の掌を見て、は凍りついた。
 紅い。
 赤い。
 赫い。
 あかい、ちが。
 べっとりと、の掌を、汚して。
 の全身が、朱に染まっている。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
……おい、!?」


 がくがくと揺すぶられ、覚醒を促される。
 決して心地よい感覚ではないけれど、縋りつけるものがそれしかなかったから、縋りついた。
 夢なら、速く覚めて欲しい。この手で、彼を殺す夢なんて。

 縋るように感覚の欠片をかき集めて覚醒すると、すぐ傍に蒼氷の瞳があった。
 どこか怒気を潜ませた……けれどほっとしたようにも見えるその瞳が、まっすぐにを見つめている。


「夢……?」
「夢?じゃない、何を考えている、貴様は!?」
「何……って?」
「一体全体何故、こんなところで寝ているんだ、貴様は!?」


 イザークの言葉に、は辺りを見回した。
 どこか、おかしな場所で寝ているだろうか。
 ぐるり、と見回して。どこも、おかしくなんてない。
 安心して眠れる、場所じゃないか。


「こんなところって、“ワルキューレ”のこと?」
「そうだ!」


 の言葉に、イザークは頷く。
 どこが、おかしいというのだろう。
 此処はとても、安心するのに。

 彼女の兄である=が開発した、その機体。
 そのどこかに兄の温もりが残っているような錯覚を覚えて、ほっとするのに。
 『こんなところ』だなんて、酷い。


「ほら、部屋に戻るぞ。さっさと立て」
「……うん」
「何だ、此処で寝たかったのか?」
「……落ち着くんだもの」


 小さく呟くと、イザークは黙った。
 黙ったけれど、首を振って。


「貴様は落ち着くかもしれんが、こんなところで眠って疲れが取れるもんか。明日は、オペレーション・スピットブレイクが発動されるんだぞ!?万全の体調で臨むのが、当然だろうが」
「……分かっているわよ」


 そんなこと、分かっている。理解している。
 だからは、差し出されたイザークの手を、取った。
 温もりが沁みて、ほっとした。
 先ほどの悪夢で、心が冷えたから。


「おい、どうした?震えているのか。何があった?」
「何も……ない」
「ないわけがないだろう。魘されていたぞ。何があった?」
「何もないって、言っている!」


 優しくしないで。
 優しくしないで。
 優しくしないでよ。
 優しくされたら、強くなれない。
 甘えたら、強くなれない。
 強くならなければ、守れないのに。
 貴方を、守りたいのに。

 イザークは、何も言わなかった。
 出撃前で、気が高ぶっているとでも、思ったらしい。
 何も言わず、ただを彼女の部屋に連行する。

 扉の前で、は暗証番号を打ち込もうと、のろのろと右腕を上げた。
 けれど打ち込むより先に、その視線が、イザークに向かって泳ぐ。


?」
「……っ」
「……俺の部屋に、来るか?」
「なっ……!?何を言って……!」


 イザークの言葉に、は狼狽する。
 もう、あんなことはしなくない。
 優しいこの人を、傷つけたくない。
 でもあの悪夢が、離れない……。


「何もしないさ」
「何、も……?」
「何もしない。ただ、貴様にちゃんとした場所でちゃんと眠って欲しいだけだ」


 イザークの言葉に、は頷いた。
 そう言うならばきっとこの人は、何もしない。
 何もせずに、眠りを見守ってくれる。

 イザークの体調は、いいの?とか。聞こうと思ったけど、やめた。自分のことさえも満足に出来ない人間に、人のことを慮る資格なんて、ない。

 触れた温もりに、ほっとして。
 同時に、胸が痛くなって。
 それなのに、彼が傍にいてくれることが、嬉しくて。
 互いの手を、しっかりと握り締めた。



 オペレーション・スピットブレイク発動前夜。
 その夜が、静かに更けていった――……。



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 『鋼のヴァルキュリア』をお届けいたします。
 何やら何やら。
 ジュールがとても、赤服時代の嫌味ジュールに見えなくて、申し訳ない。
 私、やっぱりジュールに夢見すぎているんだと思います。
 私が書くジュールっていっつも、何か年齢にそぐわなくて、ごめんなさい。
 でも、ジュール絶対にフェミニストだと思うんですよねー。
 『女』には冷たくても『女性』には優しいと思うの。

 イザークに関しては夢見る乙女ばりに夢見すぎている観のある『ヴァルキュリア』ですが、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。
 此処までお読み戴き、有難うございました。