「愚かなことだ……」


彼は、囁く。

愚かしい、愚かしい。

なんて愚かで浅はかな女。

この手の上で、踊っているだけとも知らずに。

愚かしい、愚かしい。


「等しく纏めて、消えてくださいね……小父上……」


囁きを、哄笑が染め上げた。

その目の前には、モビルスーツを格納するハンガー。

がらんどうになってしまった、鉄の塊。

それが、彼の嘲笑をいつまでも反響した――……。










#30 遁走曲〜]B〜









 人事異動を言い渡されたフラガ、ナタル、フレイは、ともに人波でごった返すドックに来ていた。
 どこもかしこも、人で溢れている。
 その誰もが、片手に辞令を手にしていた。

 しかし、この様子は異常だ。
 パナマがカウントダウンとは言え、このままでは本部が手薄になってしまうのではないだろうか。
 そう思ってしまうほど、溢れる人、人、人、人。


「どういうことだ、こりゃあ」
「まだパナマへ出る隊が、あるんでしょうか」


 フラガの言葉に、ナタルがそう答える。
 それから、フレイが手にする辞令を覗き込んだ。


「君の搭乗艦は向こうだな。少佐は、どちらですか?」
「え?……あぁ、俺は、お嬢ちゃんと一緒だよ」
「……そうですか」


 フラガの言葉に、ナタルは瞳を眇める。
 一人だけ、搭乗する艦が異なるらしい。
 軍の決定に否は許されないとは言え、胸に小さな感情が萌す。そう……寂しい。そんな、感情が。結ばれた絆を哀惜するように、心の奥底で、感情が告げるのだ。寂しい、と。理性はそれを、軍人にあるまじき甘えと、押さえつけようとするのだけれど。

 寂しさを振り切るように、ナタルは怜悧な美貌に微かな笑みを浮かべた。
 軍人らしく、敬礼する。


「では、少佐……」


 そうして踵を返そうとしたナタルだったが、目の前に差し出された手を見て、思考がフリーズした。
 軍人家系に生を受けたナタルにとって、軍というものは、軍規に規制されたとおりの、型に嵌ったもので。それは確かに、軍人として当たり前のことだったけれど。こうして、手を差し出して握手を求めてくる上官、など。ナタルの理解の範疇を超えていた。


「あぁ、中尉も。元気で」


 おずおずと差し出したナタルの手を、力強い掌が握る。
 軽く上下に振ると、その手は温もりを残して離れて。
 フラガは、傍らに立つフレイの肩をポン、と一つ。軽く叩いて、促す。
 ゆっくりと踵を返す二人を、ナタルは惜しむように眺めた。
 確かに触れ合った掌を、見下ろしながら。
 それからナタルもまた、踵を返し。彼女が搭乗する艦へと、向かった――……。









「退避の状況は?」
「あと、3隻ほどでしょう」
「間に合うかな?」
「いきなり最深部まで入られたりはしませんよ」


 アラスカから離れる艦の中で、男は尋ねた。
 その階級章は、軍において高位の士官であることを示すもの。
 今回のこの状況に、責任を持つべき立場にある彼らが紡いだ言葉は、『退避』だった。まるで、自分たちも今、この場から逃げ出そうとしていることを、表すように。
 しかし、それを咎めるものは、いない。
 彼らはみな、同じ穴の狢だったから。
 それを咎め、責めるものはいなかった。
 むしろ、それは当然のこと、と。そう考えている節がある。

 その彼らの言葉、そのままに。
 地球軍本部《JOSH-A》陥落の、カウントダウンが迫っていた――……。









「ここ、並んで。自分の番がきたら、それを見せて乗るんだ。いいな?」
「え……?あ……あの!?」
「俺、ちょっと忘れもん」


 フラガ、フレイの搭乗艦の前には、列が出来ていた。
 その最後尾にフレイを並ばせ、辞令を示す。
 それを見せれば、この艦に搭乗できる筈だ。
 そこまでお膳立てをして、フラガは搭乗艦から背を向けた。
 フレイが呼びかけるが、忘れ物、と言い残して、そのまま駆け去る。

 何があるわけでもない。ただ、未練を感じた。
 軍人として、愚かしいことではあるけれど、未練を感じた。洒落で済まされることではないことぐらい、分かりきっている。上からの命令には従う、それが軍人だ。
 しかしこのまま、何かを引き摺って新たな任地に赴くこともまた、許容できなかった。
 そうして、フラガが駆け出したのと時を同じくして。
 基地内に、ありうべからざるアラートが、鳴り響いた。

 アラートは当然、守備軍に配備された“アークエンジェル”の元へも届く。
 彼らが驚愕に瞳を見開いた、まさにその前方。
 ザフトの主力部隊が、展開していた――……。

 輸送ヘリからは次々を“ジン”が、“シグー”が吐き出される。
 地を駆るのは、地上戦の覇者とも言うべき、“バクゥ”だ。
 そして水中では、それぞれの潜水艦が“グーン”を射出していた。

 ザフトの威信をかけて発令された、“オペレーション・スピットブレイク”。その名に相応しい、陣容だった。


「統合作戦司令室より、入電」
「サザーランド大佐!これは……!?」
<守備軍は直ちに発信、迎撃を開始せよ>


 下された指令に、艦橋の空気が凍る。
 この状態で、迎撃など、無理だ。
 主力部隊の殆どを、地球連合はパナマに展開している。しかし、ザフトは手薄になった本部、アラスカにその主力部隊を叩きつけたのだ。
 太刀打ちできないことは、分かりきっているではないか。


<してやられたよ。やつらは直前で目標を、この《JOSH-A》へと変えたのだ>


 滑らかな口調で、サザーランドが言葉を紡ぐ。
 拠って立つ大地が、揺れた。
 攻撃を受けているのだ。
 その揺れは、遠く離れたドッグにも伝播している。

 心細そうにしていたフレイだったが、意を決して走り出した。
 彼女は、軍人ではない。軍服を着ているけれど、彼女のその心のありようは、軍人のものではなかった。だから、軍人とは、上官の命令に決して背いてはいけない、という当たり前のことさえも、彼女にとっては守るに値しないものだった。
 そもそも、“アークエンジェル”という艦に蔓延していた、それが風潮であったといえるだろう。上官であり、最高責任者であるマリュー=ラミアスは、あまりにも目下の人間に甘すぎた。
 だからフレイは、軍人として当たり前のことを、そもそも培うことが出来なかったのだ。話せば、分かってくれる。フレイがそう判断したことを、一体誰が責められるというのか。一体誰が、彼女の過ちに責めを負うというのか。
 それが、彼女がいた『世界』の、当たり前だったのだから。

 大丈夫、分かってくれる。話せば、いい。いかにこの命令が理不尽であるか、話せば分かってくれる。だから、“アークエンジェル”へ。彼女の、箱庭へ。帰ろう、帰ろう、帰ろう。帰らなくては。


「お前たちは搭乗を急げ!」


 フレイの搭乗艦の前で、兵士の一人が叫ぶ。
 しかし、フレイはそれに頓着しなかった。
 誰も、彼女を見咎めない。だから、駆け出した。
 彼女の在るべき、箱庭を目指して。

 揺らぐ大地に、何度も足を取られそうになる。
 けれど、戻りたかったから。
 戻りたかったから、彼女は歩みをやめなかった。


「“アークエンジェル”……どこ?……私の……」


 ふらつく足を叱咤して、少女は、歩き続けた……。





 同刻、同じように搭乗を目前にしてその艦から姿を消した男は、叫んだ。
 揺れる大地の鳴動を、感じながら。
 違和感をそのまま、口にした。


「クソッ、どうなっているんだ、これは!蛻の殻だ!」


 それが、地球連合側が立てた非人道的な作戦の一環であることを知り得ないまま、男は駆ける。
 彼が守りたいと願った、女性の座す、艦に向かって――……。



**




<てぇぇぇぇぇい!>
「はぁぁぁぁぁっ!!」


 イザークが、吠えた。
 彼の抱える激情のままに、肩に備え付けられたレールガン“シヴァ”が火を噴き、ミサイルポッドから射出されたミサイルが、標的を切り刻む。

 最初の戦闘は、相手の防衛線を突き崩すところから始められた。
 地球連合の防衛線――すなわち、かの基地を取り囲む、海の制圧から。
 海上には多数の戦艦が肩を並べて、水をも洩らさぬ布陣を展開している。
 しかし、いかに火力を持つ戦艦とて、モビルスーツの機動性には対抗できない。むしろ図体がでかい分、格好の的となっていた。

 はバーニアの出力を落とした。
 途端に凄まじいGがかかる。地球の持つ引力の動きに従い、彼女のモビルスーツは落下する。
 のしかかるGを物ともせずに、はビームサーベルを抜き放った。
 そのまま、一刀のもとに眼下に展開していた戦艦の一隻を強襲し、その艦橋を潰す。
 爆炎が立ち上げ、青々と広がる海上の一角を、赤々と染め上げた。

 艦載砲を向けてくる戦艦に、今度は代わってビームライフルをお見舞いする。
 大気中では拡散してしまうビームだが、狙い通り正確に、その艦橋を灼いた。


(終わらせる……これで!)


 地球連合軍本部《JOSH-A》。
 その陥落で、全ての戦争が終わる。
 はそう、信じていた。……否、信じ込んでいた。
 この犠牲の果てに、長きに渡った戦争は、終わるのだ、と。この一戦は、地球連合にとって打撃となるだろう。そうすれば、この戦争は終わる筈だ。プラントが求めていたのは自治であって、これはプラントの領土拡張戦争などではないのだから。

 感情の色をなくした作り物めいた一対の漆黒が、束の間虚空を仰いだ。
 それに連動するかのように、のモビルスーツ“ワルキューレ”もまた、だらりとその両腕を垂れたまま、虚空を仰ぐ。
 まるでそれは、祈りにも似た。
 その視線の先を、真珠色の影が、躍った。


<さて、この舞台の主役が、どれほどのものか見せてもらうぞ>


 その低い囁きに、答える者はない。
 真珠色の機体は、戦闘に目もくれずに、基地本部に向かっていった――……。





















 一方、“アークエンジェル”艦長、マリュー=ラミアスは、決断を強いられていた。
 この陣容では、万に一つも勝ち目はない。
 否、勝ち目どころか、自分たちの命を繋ぐことさえも難しい。
 この艦にはもう、艦を守るためのモビルスーツの一機、戦闘機の一機さえも搭載していないのだ。
 勝ち目は、なかった。
 しかしこのままみすみす、基地本部を蹂躙させてよしとするわけにも、いかない。


「これで戦えというのも酷な話だけど、本部をやらせるわけには行かないわ」
「艦長」
「総員、第一戦闘配備!“アークエンジェル”は防衛任務のため、発進します!」


 マリューの決断に、操縦桿を握るノイマンが振り返る。
 現在、マリューを除いたクルーの中で、一番上位に属するのは、彼なのだ。

 しかし彼も、マリューの決断を止めることも、助けることも出来ない。
 “アークエンジェル”は、アラスカ守備隊に組み込まれたのだ。本部を守ることは、彼らに科せられた使命だった。

 その言葉に、通信士の席に座るカズイが、泣きそうな声で呟いた。


「そんなぁ……。キラも少佐もいないのに、どうやって……」


 その言葉は、マリューこそが、軍上層部に向かって投げつけたい言葉であったのかも、知れない。
 どうしろ、というのか。この戦力で、勝ち目はあるのか。
 しかし、むざと指を咥え、本部をやらせるわけには、いかないのだ。

 どちらにも進めぬ、袋小路。
 それに絡め取られながら、“アークエンジェル”は絶望に向けて、碇をあげた――……。



**




「アズラエルの情報は確かなようだな」


 モビルスーツ内の各種システムをチェックしながら、クルーゼは呟いた。
 モビルスーツを停止させると、ラダーを使って地上に降りる。
 そのまま、基地内部に向かって、駆け出した。

 その時、フラガは脳裏にある感覚が蘇るのを感じた。
 あの、感覚だ。
 戦場で、何度も経験した感覚。宿敵、ラウ=ル=クルーゼに見《まみ》えたときに感じる、あの感覚を。急に思い起こして。
 嫌な予感が、した。
 その感覚を拭い去る暇もなく、彼は走った。

 その感覚は、地球軍の心臓部とも言うべき統合作戦指令本部のモニター室で、特に強くなった。
 息を殺し、気配さえも殺して、室内に滑り込む。
 その手に、銃を握り締めて。

 室内を窺うと、中には、フラガの方に背を向けて、純白のザフト軍服が見えた。
 他に人影は、ない。


「ほぅ……」


 モニターを覗き込んだ男が、堪えきれぬ愉悦を滲ませて、吐息にも似た声を、出した。
 隙を窺うフラガだったが、相手の方もあの感覚でフラガの登場を知ったのだろうか。急に振り返ると、銃を向けた。
 そのまま、発砲する。
 慌ててフラガは身を隠し、銃弾をやり過ごした。
 銃声が、室内にこだまする。
 フラガの隙を突いて、クルーゼは身を翻した。そのまま、闇に身を潜める。
 しかし、世界を呪うかのような朗々とした声は、部屋中にこだました。


「久しぶりだな、ムウ=ラ=フラガ。折角会えたのに残念だが、今は貴様に付き合う時間がなくてね。……此処にいると言うことは、貴様も地球軍では既に用済みか?堕ちたものだな、エンデュミオンの鷹も」


 そう言って、クルーゼは顔を顰めた。
 折角楽しい時間が巡ってきたというのに、何ということだろう。もう、あまり時間がない。
 アズラエルの情報が確かだとしたら、此処に長居するのは得策ではないのだ。
 仕方ない、引き上げるとしよう。この宿縁からは、誰も逃れられないのだ。生きてさえいれば、ムウ=ラ=フラガは再び彼の目の前に現れるだろう。それだけで、今は満足しなくては。

 長身を翻し、クルーゼは室外へと踏み出した。
 恐るべき宿敵がいなくなったのを確認し、フラガは伏せていた身を起こし、立ち上がった。
 そして、先ほどクルーゼが覗き込んでいたモニターに目を走らせる。
 その瞳が、驚愕に見開かれた。


「これは……」


 そして、彼は知ったのだ。
 地球軍が立案した、恐るべき作戦計画の、その全貌を。
 ラウ=ル=クルーゼが呟いた、『地球軍では用済み』と言う言葉の、その意味を噛み締めながら。
 戻らなくては、“アークエンジェル”に。戻って、そして伝えなければならない。
 地球軍が立案したこの、恐るべき作戦を。その内容を、その意味を。

 悟り、フラガは“アークエンジェル”に向かった。

 彼が後にした場所では一つの騒動が持ち上がり、何人と言う地球軍の軍人が一人の男に撃たれたことも、知らぬ間に。
 そしてそこに、自分が先ほど、搭乗する予定だった艦の前で別れた少女が佇んでいることも、知らずに……。









「ザフト兵だ!」
「侵入されているぞ!」


 怒号と、同時に鳴り響いた銃声に、フレイは身をすくませた。
 そのまま、震える躯を物陰に押しやって、息を殺す。
 しかしそんなフレイのまさに目前で、一人の地球連合兵が、撃たれた。


「あぁぁぁあぁっっ!」


 悲鳴を上げて、フレイは死体から離れようとするけれど、腰が抜けたように動かない。
 座り込んだまま、それでも手と足を動かして、這うようにして死体から遠ざかろうとする。

 靴音に、フレイは顔を上げた。
 彼女の目の前に、異様な仮面を纏った男の姿が、ある。
 その身に纏う軍服は、純白ではあるけれど。地球連合のものとは、異なる。ザフトの軍服だった。
 男は、フレイに銃を突きつけている。
 恐怖に、フレイの思考が凍りついた。
 身を守る盾を捜して、死体が手放し転がった銃を手にする。
 そのまま、その銃をまっすぐ、敵兵である男に向けた。
 けれど恐怖で、照準が定まらない。男の銃はまっすぐと、フレイに向けられているというのに。


「おやおや……これはこれは」
「パパ?」


 男の声に、フレイはグレイの瞳を見開いた。
 それは、彼女の父親のものと、酷似していた。

 母を亡くしたフレイを慈しんでくれた。大好きなパパ。
 目の前の敵兵の声は、そんな父親そっくりだったのだ。
 フレイの言葉が耳に届いたのか、男はいぶかしんで声を出す。


「ん?」
「声……パパの……」


 パパの、声だ。
 パパの、声。
 死んでしまったはずの、パパの声。

 引き金に指をかけたまま、フレイはそれに力を込めることさえも、忘れた。
 だって、パパだから。
 フレイに、害を加えるわけがない。

 そんな幻想に浸ることを自らに許してしまいそうになるほど、目の前の男の声は、死んだ筈の父親にそっくりだったのだ。



 銃声が一発、鳴り響いた。
 フレイの手に握られていた拳銃が、銃弾を一つ、吐き出す。
 鳩尾に一つ、苦痛を感じて、フレイは気を失った。その衝撃に、彼女が握っていた銃の引き金を、その指が引いてしまったのだ。

 ぐったりとなって、少女の躯がクルーゼの腕の中に倒れこむ。
 その温もりさえも、フレイには在りし日の父親のものに感じられて、仕方がなかった――……。



**




 温室に佇むキラの背後から、ラクスが姿を現した。
 小首を傾げ、彼の名前を呼ぶ。


「キラ?」


 その言葉に、キラはゆっくりと振り返った。
 アメジストの瞳からは、ぽろぽろと、数え切れないほどたくさんの大粒の涙が溢れ、零れ落ちる。
 大きな薄蒼の瞳を、零れ落ちそうなほど更に大きく、ラクスは見開いた。
 泣きながら……キラは、笑っていた。
 その顔に、笑みを湛えていた。


「僕、行くよ……」
「どちらへ行かれますの?」


 キラの言葉に、ラクスは単純な問いを重ねた。
 その言葉に、キラもまた答える。


「地球へ……戻らなきゃ」
「何故?貴方お一人戻ったところで、戦いは終わりませんわ」
「でも、ここでただ見ていることも、もう出来ない……」


 ラクスはただ、事実だけを突きつける。
 そうだ。キラが一人、戦場に戻ったところで、戦いは終わらない。
 それはもう、分かりきっていることだ。
 彼一人戦場に戻っても、それは戦場という広義の地にあっては、ちっぽけな存在に過ぎないのだから。
 それでも、とどまるわけには、いかなかった。


「何もできないって言って、何もしなかったら、もっと何も出来ない。何も変わらない……何も終わらないから……」
「また、ザフトと戦われるのですか?」


 ラクスの言葉に、キラは静かに首を横に振った。
 畳み掛けるように、ラクスは尋ねる。


「では、地球軍と?」


 その言葉にもまた、キラは首を振る。
 そして、言った。


「僕たちは、何と戦わなきゃいけないのか、少し、分かった気がするから……」
「……分かりました」


 キラの言葉に、ラクスは静かに呟いた。
 春の日差しにも似た、おっとりとしたその顔に、決意を載せて。
 彼女は、にこやかに、頷く。

 ラクスはそのまま、キラを屋敷内へと導いた。
 執事の手には、赤のザフト軍服が収められている。それを示しながら、ラクスは言った。


「キラはこれに着替えてください」


 そう言って、ラクスは執事に向き直る。
 そして、決然とした口調で、言った。


「あちらに連絡を。『ラクス=クラインは平和の歌を歌います』と」


 ラクスの言葉に、執事は威儀を正した。
 その言葉の持つ意味合いを、彼は熟知していた。
 長年、クライン家に仕えているわけではないのだ。
 彼は急ぎ、手筈を整えた――……。









 全ての手筈が整い、キラは真紅のザフト軍服を身に着けていた。
 地球軍のものとは形状の違う軍服は、詰襟になっていて、少し窮屈に感じる。
 長い裾は、足に纏わりつく感じに違和感を感じながら、キラはラクスと二人、揃ってエレカの人となっていた。


「あ!こうですからね、こう」


 急にラクスが右手を上げて、キラにも同じポーズをとるようその仕草で示した。
 ラクスに倣って、キラも右手を上げる。


「ザフトの軍人さんのご挨拶は」


 にこりと笑って、ラクスが言った。
 『軍人さんのご挨拶』とは要するに、敬礼のことなのだろう。地球軍のものとは、手を上げる角度といい、若干異なるらしい。
 キラが同じようにポーズをとると、ラクスは更に破顔した。



 エレカは、素晴らしいスピードで目的地へと到着した。
 真紅の軍服を纏ったキラを、見咎めるものは誰もいない。
 もっとも、傍らにラクスがいる効果も大きいのだろう。事情を知らない者いからすれば、真紅の軍服を纏ったザフト兵――要するにキラだ――が、ラクス=クラインを案内しているようにしか見えないのかもしれない。
 実際には、案内する者とされる者が、逆なわけだが。

 ゲートの前には、整備兵だろうつなぎを纏った二人の男が、待っていた。
 ラクスが頷くと、二人は手にしていたカードキーを、リーダーに差し込む。
 閉ざされていたゲートが、重々しい音を立てて、開かれた。


「さぁ、どうぞ」


 暗闇の中、ラクスはゲート内へとキラを誘《いざな》う。
 各所に設置されていた電飾に、光が点された。
 そして浮かび上がったのは、物言わぬ鉄塊の巨神。


「あ……ガンダム……!」
「ちょっと違いますわね。これはZGMF X-10A“フリーダム”です。でも、ガンダムの方が強そうでいいですわね……ふふふ」


 思わず息を呑むキラに、ラクスが答える。
 ラクスが導いたゲートの先――格納庫に収められていたのは、ザフトの新型モビルスーツだった。


「奪取した地球軍のモビルスーツの性能をも取り込み、ザラ新議長のもと開発された、ザフト軍の最新鋭の機体だそうですわ」
「これを……何故僕に?」
「今の貴方には、必要な力と思いましたので」


 思わず、キラは尋ねた。
 最新鋭の、機体。それは、ザフトにとって最大の軍事機密であるはずだ。
 それを、ラクスはキラに与える、という。
 その意味が、分からなかった。
 けれどキラの言葉に、ラクスは静かに微笑み、そう言った。
 今の貴方に、必要な力だから、と。
 それだけを、彼女は言った。


「思いだけでも、力だけでも駄目なのです。だから……キラの願いに、行きたいと望む場所に、これは不要ですか?」
「思いだけでも……力だけでも……」


 ラクスの言葉に、キラは釣り込まれたように、彼女が口にした言葉を口にした。
 目の前に、在る。
 望めば手の届く場所に、力溢れる存在が、確かに在る。
 彼の望みに、願いに必要な力が、確かにそこにあるのだ。
 そして少女は、それを与えるという。
 キラに必要な力だから、キラに与えるのだ、と。

 キラは、目の前の少女を見つめた。
 そして、尋ねる。


「君は……誰?」
「わたくしはラクス=クラインですわ、キラ=ヤマト」
「……有難う」


 その名の持つ意味合いを理解し得ないまま、それでもキラは、与えられた力に向かって手を伸ばした。その手を、力強く手繰り寄せた。
 そして、与えられた力に、感謝の意を伝える。

 パイロットスーツに着替え、ラクスに手を引かれるまま、キラはそのコックピットに乗り込んだ。
 ラクスの小さな手が、キラの掌をそっと握り締める。

 その時になって漸く、キラはそれが、ラクスの生命さえも賭けたものであることに、思い至った。
 この機体は、ザフトの最新鋭の機体なのだ。
 その機密を、ザフト以外のものに洩らすなど、許される筈がない。
 それでもキラに、彼女はその力を託すという。
 それは彼女の、命懸けの願いだった。


「大丈夫?」
「……わたくしも歌いますから。……平和の歌を」
「気をつけてね」
「えぇ、キラも。……わたくしの力も、ともに……」


 キラの労わりに満ちた言葉に、ラクスは微笑み。
 それから、キラの頬にそっと、口付けた。
 その微笑に後押しされるように、キラは頷いた。


「では、行ってらっしゃいませ」


 ラクスはゆっくりと身を翻し。キラは、コックピットに乗り込んだ。
 OSを立ち上げる。


『GENARATION
Unsubdued
Nuclear
Drive
Assault
Module』


 “ストライク”と同じように、システムの頭文字を連ねたら、『GUNDAM』の文字が完成した。
 奪取したモビルスーツのシステムを見た整備兵の、遊び心なのだろうか。
 そんな偶然に、何だか笑みを誘われた。

 一つ一つのシステムを起動しながら、キラは驚愕の声をあげた。


「Nジャマーキャンセラー……すごい。“ストライク”の、4倍以上のパワーがある」


 Nジャマーキャンセラーとは、文字通り。ザフトが散布したNジャマーを無効化することができる。
 言い換えれば、この機体は核エネルギーで以って稼動しているのだ。

 今更ながらに、キラの身は震える。
 もしもキラがこのモビルスーツを奪われでもすれば、否、その扱い如何によっては、全面核戦争をも招き得る、これは諸刃の剣なのだ。
 託された、責任。その、重さ。
 そしてそれをキラに預けるほど、信頼を寄せてくれる、一人の少女。

 スイッチを押すと、アイセンサーに光が灯った。
 同時に、“フリーダム”を戒めていた、鎖とも言うべき拘束が、解かれる。


「思いだけでも、力だけでも……」


 にこやかに手を振る少女を見つめ、キラは力強くギアを入れる。
 “フリーダム”のシステムが稼動し、その頭上に設置された機密シェルターが次々と開かれる。
 異変は直ちに、ザフト軍本部へと通報された。
 施設内を、アラートが鳴り響く。


「おい、何だ!」
「“フリーダム”が!動いている……!」
「エアロックをとめろ!本部へ通報!スクランブルだ!」
<誰だ、貴様!?止まれ!>


 “フリーダム”へも、通信が入った。
 予期せぬ闖入者に、警戒も露わに直ちに“フリーダム”を止めるよう警告する。
 しかし、キラも止まらない。
 バーニアをふかし、“フリーダム”は宇宙へと飛び立つ。

 一瞬の光となって、“フリーダム”は施設から飛び立ち、宇宙へと躍り出た。
 施設周辺を巡回していた“ジン”2機が、“フリーダム”とすれ違う。


「おぉ……!?」
「何だ、あのモビルスーツは!」


 施設から飛び出してきた見知らぬモビルスーツの姿を見て、2機の“ジン”は追いすがり、ライフルを構える。
 その銃撃を交わしながら、キラは苛立ちも露わに叫んだ。


「やめろ……僕を行かせてくれ……!」


 モビルスーツ内に、警戒を閉めるアラートが鳴り響く。
 機体を返し、キラは迫り来る2機の“ジン”に肉薄した。


<コイツ……!?>
<早い……!>


 ビームサーベルを抜き放つと、そのカメラと武装のみを叩き斬り、奪う。

 その時、一機のシャトルとすれ違った。
 シャトルの搭乗していたアスランは、見慣れぬモビルスーツの姿に、腰を浮かせる。
 そこに、そのシャトルに。その、モビルスーツに。それぞれ友と呼び、親友と呼んだ片割れが搭乗していることを、彼らは知らなかった――……。



**




 施設内に鳴り響いたアラートを聞いて、『彼』は走った。
 彼が身につけた白衣が翻り、長く伸ばした髪が背で跳ねる。
 しかしそれに頓着することなく、彼は走る。

 シェルターの向こうに、見知った機影は、なかった。


「……奪われたのは、“フリーダム”、か……」


 惜しむ様子もなく、男はただ、事実を呟いた。


「……やってくれる、あの女……」


 低く、呪詛の言葉を。
 紡ぐように、囁いて。
 彼を監視する男に、言った。


「ザラ議長に緊急に申し上げよ。我らがザフト軍最新鋭の機体が一つ、ZGMF X-10A“フリーダム”は、反逆者の手によって奪われた、と。反逆者は、シーゲル=クライン、並びにラクス=クライン。急ぎこの両名を捕らえるよう、意見具申申し上げる、とな」
「はっ!」
「港を封鎖し、検問を行え!……もっとも、どれだけの兵が従うものが、分からないが……あの魔女が」


 呟く声は、その言葉は、ただ憎悪に染め上げられている。
 別に、惜しむべきものでは、ない。
 必要な技術は全て、継承されている。この機体一つ失ったところで、惜しくはないのだ。
 ただこの機体を奪い、ザフトの機密を他国の人間に譲渡したこと。ただそれだけが許せない。
 独善的で愚かな、けれど影響力だけは一人前以上に持ち合わせた、あの女。捕らえ次第、必ず殺してやる。

 そう考えて。それから彼は、違う、と。溜息を吐いた。
 機密を奪ったことは勿論赦せないが、あの男に譲渡したことが許せないのだ。
 あの男……キラ=ヤマトに。


「ラグが、生じてしまったな……さぁ、世界は、どう動く……?」


 死んだと思った人間が、生きていた。
 それだけではない。
 もっと取り返しのつかないラグさえも、招き得る恐れがある。


「“ジャスティス”はアスラン=ザラに、“フリーダム”はイザーク=ジュールに……それが、当初の計画だったが……」


 男は、溜息を吐いた。
 しかしすぐにまた、その顔に笑みを取り戻す。
 秘密裏に製造していた、もう一機のモビルスーツ。
 それが奪われずにすんで、良かった。
 あの女への制裁は、これから考えよう。
 もしもこのモビルスーツさえも奪われていたなら、ただ殺すだけで済ませるつもりなど、ないが。


「“ヴァルハラ”……そう、お前は無事だった。不幸中の幸いだな……」


 この機体に、あの女が、あの男が。手を触れるだけでも、おぞましい。
 『天上』と名づけられたこの機体に、登場することが出来るのは、ただ一人だけなのだ。それ以外のものが搭乗すれば、美しい機体はたちまち地に堕ち、穢れてしまう。


「イザーク=ジュールへの機体がなくなってしまったが……まぁ、いい。彼が手さえ離さなければ、すぐ傍に力は厳然と存在する。今からそれを恐れるなど、愚かの極みだ。暫らくは、お手並み拝見といこう。もっとも、私以上にあれを愛せるとも思えないが……まぁ、今はいいさ。
 後は全て、当初の予定通りとしよう。“ジャスティス”には、アスラン=ザラを。そして“ヴァルハラ”……愛しい私のもう一人の娘。お前には、予定通り私の娘を」


 男は、笑った。
 この機体に乗るに相応しいのは、彼の娘ただ一人。
 彼女だけ、なのだから。


「私の娘、=を……
 さぁ、帰っておいで、。私の元へ帰っておいで。愛しい私の娘、この世界の殺戮者。さぁ、帰って……帰っておいで。お前の『妹』もまた、お前の帰りを待っているよ……そうだろう?“ヴァルハラ”?」


 物言わぬ鉄の塊が、答えるはずもなく。
 しかし彼は、冷たい鉄塊が確かに答えたように感じて。
 笑みを、深める。

 憎悪に揺らめく金属めいた瞳が、爛々と輝き。狂ったような哄笑が、いっぱいに広がる。

 産声を上げる憎悪に、男は愛しむような視線を一つ、投げかけた――……。



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 何と申しますか。
 『下拵え』としか、言いようがないです……。
 名前変換が久々に少なく、ヒロインさんもイザークも殆ど出番はなく。
 お二人は、見えないところできっと、ドンパチやっていることだろうと思います。

 ラクスがキラにザフト軍服着せたのは、未だに赦せません。ついでに、『僕を行かせてくれ』も嫌い。
 それ、お前の都合。何それが万民にとって等しくまもらにゃならん真理みたいな顔してんだよ、って思ってしまう……。ので、この近辺点数激辛です、ごめんなさい。


 次回あたりは、もう少し二人をしっかり書けたらいいなぁ……フレイ嬢も登場するので、緋月はちょっと楽しいです。
 ここまでお読みいただき、有難うございました。