終わることのない覚めない夢を、繰り返し繰り返し。 何度も何度も噛み締めるように反芻しながら、繰り返している。 だからこれは、きっと夢なのだ。 何度も何度も。 夜が訪れるたびに、『彼女』は死んで。 朝が訪れて『彼女』は再び目覚めるその、繰り返し。 覚めない夢を、見ている。 終わることのない夢を、見ている。 そして今日も、夢の中で『彼女』は死んだ……。 #30 遁走曲〜]C〜 そこかしこで繰り広げられる戦闘のその様は、まさに地獄絵図と言えよう。それとも、タチの悪い、出来の悪いフィルムとでも言おうか。 繰り広げられる戦闘は、決して心躍るものではなく。むしろ、戦闘の凄まじさは言語を絶するほど、と言えるのに。血の、肉の温もりさえも、ない。そしてそれがかえって、滑稽さを助長していた。 どこにも面白みはないその状況にあって、けれど繰り広げられるのは、所詮鉄塊と鉄塊のぶつかり合いだ。消費される弾薬と同じように命が消費され、爆炎を吹き上げる鉄塊が同時に命の焔を燃やしていることに思い至らなければ、それはただの兵器と兵器の小競り合いだった。 否、だからこそ、滑稽なまでに無情なのだろうか。 それは、戦争と言う広い視野で見て、人の命がいかに容易く消費され、それが目に映らないものであるか。その事実を、いっそグロテスクなまでに誇張しているのだから。 そう。至る所で、命は消費されていた。 蛮勇と言おうか。それとも自己犠牲の極致とも言えるのだろうか。勝算の見込みないと知りつつも、戦闘機でモビルスーツに特攻をかけ、爆散する地球連合兵。 いかに優れた能力を持っていようとも、慢心ゆえか、愛機と言うべきモビルスーツとともに爆炎をあげ、命を散らすザフト兵。 至る所で、死と憎悪と悲哀が大量生産されていた。 ザフトの猛攻は、とどまるところを知らない。 そもそも、ことこのアラスカ戦において、連合の数の優位はなきに等しい。 地球軍の主力部隊はパナマにて展開しており、いまだ増援はない。対するザフト軍は、このアラスカ戦に主力の殆どを投入しているのだ。 数の優位の原則さえ覆されたなら、そこはもとより高い能力を持つコーディネイターだ。ナチュラルが、対抗できるものではない。 「ゲートを突破する!私に続け!」 圧倒的なまでの力を見せ付けて、スピーカーから溢れてくる音の奔流は、一人の少女のもの。 その少女の名を、知らぬ者はザフトにはいない。 彼女の顔を知る者は、少ない。その声を、知る者は少ない。 彼女の父親や兄の顔ならば、コーディネイターである以上……少なくともプラント生まれプラント育ちのコーディネイターならば誰でも、知っている。 けれど、リヒト=の娘であり、=の妹である=の、声や顔を知っている者は、少ない。 彼女は、公の場に立ったことが、ない。 その父や兄のような場所に、少女が在ったことはない。 大事に大事に、まるで人目を憚るように、けれど大切に。彼女は屋敷の奥深くに秘されていた存在。 だから誰も、その顔を知らない。声を知らない。 ラクス=クラインのように、彼女はメディアに露出しているわけでもなく。その父親や兄のような場所に在るわけでもなく。 ただ、屋敷の奥深くで秘され。そうして生きてきた彼女を、知る者はいやしない。 前線に配属された彼女と、同じ隊に配属されたものは、知っていた。 まだ幼い少女であること。 黒い髪に、黒い瞳の。コーディネイターには珍しい地味な色彩の、けれど何よりも鮮やかな少女であること。 そして何よりも。現在、ザフト軍モビルスーツ部隊に、彼女を除いて『少女』はいないのだ。 いかにコーディネイターの身体能力が高いと言えど、向き不向きは存在する。また、女性は男性に比べると、同じコーディネイターと言えどやはり非力だった。 トップ10は赤の着用を許され、小隊の指揮をも時として任されるモビルスーツ部隊に、だから女性は珍しい。どれだけモビルスーツの操縦が出来ても、モビルスーツ部隊は頂点に君臨する戦闘部隊だ。他の、白兵戦技術や爆薬処理といったものも網羅して初めて、モビルスーツ部隊への配属を許される。 男性に比べれば非力な女性コーディネイターに、そこまでを求めるものは、いない。 また、過去も現在もコーディネイターは深刻な少子化に悩まされている。 そのため、女性とは大切にすべきもの、と言う考えが浸透していた。 女性は、彼らの定義に鑑みれば、守るべき存在であり、守られるべき存在であり。 勿論、後方支援など、女性の手が必要な場所は存在する。そのように安全な後方を任せられるのが、女性兵の定番とも言えた。 だから、=を除いて、モビルスーツ部隊に現在、女性兵は存在しないのだ。 スピーカーから溢れる音声を、その声を。女性のものと認識すればそれだけで、その存在の正体へと自ずから行き着く。 彼女――=以外に、前線に立つ女性は、いない。 ビームライフルの正確な一射が、防衛システムの中核を撃ち抜いた。 殺到する戦闘機も、いっそ無造作とも言える仕草で撃ち落す。 「『ヴァルキュリア』……?」 一人の兵士が、呆然と呟いた。 彼の目前で展開される戦闘は、噂に聞いていたものと寸分違わぬものだった。 漆黒と鋼の色が印象的な、“シグー”や“ジン”に比べてシンプルなそのボディ。 それが、“ワルキューレ”であることは、明白だった。 そして、“ワルキューレ”に搭乗して戦う女性など、一人しかいない。 =。 ザフトの『ヴァルキュリア』。 彼女しか、いないのだ。 彼が呟いた呆然とした呟きは、通信機を経由して、その場にいたザフト兵全ての耳に届いた。――否、彼の呟きなど、必要なかったのかもしれない。誰もが、同じ感慨に達していた。 誰もが、同じ答えを脳裏に弾き出していた。 彼の呟きは、そんな答えを、一気に現実のものとして、共通の認識として加速させた。 「『ヴァルキュリア』……『ヴァルキュリア』だ!」 歓声が、爆発した。 彼女の言葉は、熱烈な歓呼で、迎えられる。 ビームサーベルの光刃が煌き、防衛システムが沈黙する。 先陣を切る“ワルキューレ”に、“ジン”が、“シグー”が続き、上空からは“ディン”がそれを援護する。 ゲートは、陥落した――……。 「“ウォンバット”、て――――っ!」 「ミサイルきます!」 「回避!」 JOSH-Aメインゲート付近では、“アークエンジェル”が孤軍奮闘していた。 他にも友軍艦はあれど、一隻、また一隻と、次々に屠られ、海面にその屍の破片を晒している。 最新鋭の艦である“アークエンジェル”は地球軍陣営の最前線に立ち、その矢面となって奮闘しているが、このままでは時間の問題だ。 その時、ミサイルが右舷フライトデッキに被弾した。 艦橋にその揺れが伝わり、誰もが、口には出さないけれど絶望に沈みかけていた。 それを踏みとどまらせていたのはひとえに、そこが地球軍の本部であり。そこを守ることが、彼らにとって至上の命題であったからだ。 初めて軍服をその身に纏った日のことを、覚えている。 誇りとともに、その軍服を纏った日のことを。 その、懐かしくも誇らしい記憶が、このJOSH-Aを、なんとしても守らねば、と言うその決意に結びつく。 「右舷フライトデッキ、被弾!」 悲痛な声が、艦橋に響き渡る。 けれどそれは、艦橋に限ったことではなかった。 むしろ、海上を離れた地上で、絶望は加速している。 “ゾノ”が、“グーン”が海上から姿を現し、そのアームからミサイルを吐き出す。 爆音とともに焔の花が咲き乱れ、戦場を赤く黒く染め上げた。 “ザウート”と戦車が対峙する。 “バクゥ”といった陸戦専用の機体に比べ、やや機動力の落ちる機体ではあるが、戦車などに比べるとまだ、その機動性は高い。 屠られる戦車群を見て、隊長格の男が叫んだ。 「えぇい、“ザウート”など墜としてみせろ!」 戦車のその方向から熱量が迸り、“ザウート”のレッグ部分を撃ちぬく。 歓声は、沸きあがらなかった。それよりももっと恐るべき機体が、撃墜された“ザウート”の背後から現れる。 “バクゥ”だ。 “ザウート”などに比べて格段に機動性が高く、4本足で走行するその機体は、地上をまるで野生の獣のように縦横に走り回って戦車群を翻弄する。 「砲火を“バクゥ”に集中させろ!」 叫んだ男は、次の瞬間紅蓮の焔の渦に飲み込まれた。 サーベルを装備した“バクゥ”が戦車を切り裂き、ミサイルポッドを装備した“バクゥ”が穿つ。 その頭上を、“グゥル”に載った“デュエル”が滑空した。 眼下で展開される戦闘は、まさしくコーディネイターの能力を見せ付けるものであった。 一機、また一機と。地球軍の機体はなす術もなく撃墜され、その屍を晒している。 眺めやりながら、イザークは舌打ちした。 「ちぃっ。面白くない的だなぁ、こんなもんしかないのか?」 しかし、そんな彼の眼前でミサイルポッドを装備し、砲火を浴びせていた“バクゥ”が、その脚部を撃たれた。不意をつかれたとしか、言いようがあるまい。もしくは、驕っていたのか。 足を折り、崩れる“バクゥ”に、イザークは溜息を吐く。 「ぁ?……おいおい」 “デュエル”の方に装備されていたレールガン“シヴァ”が火を吐き、それを追うようにしてミサイルポッドからミサイルが射出される。 崩れた“バクゥ”をこの機会に葬ろうとにじり寄っていた2台の戦車はその鉛の刃に貫かれ、炎を上げて爆散した。 JOSH-A内部を、バイクにまたがって、フラガは疾走していた。 JOSH-Aは確かに、地球軍の本部である。そうであるが故に、平時でもそこに軍人は数多く生活している。 そのため、いつしか店ができ、町ができて行った。 普段ならば、人通りが絶えない大通りであろうその道を、フラガは苦虫を噛み潰しながら疾走する。 脳裏に浮かぶのは、先ほど彼がその目にしたものだった。 「まさか……えぇい、クソッ!」 軍事工廠に到着すると、フラガはバイクを乗り捨てた。 エレベーターを使い、地下へと潜り込む。 その時、彼が向かおうとしていた戦艦――“アークエンジェル”は、まさに死闘を繰り広げていた――……。 「“オレーグ”、轟沈!」 ザフトの猛攻は、とどまるところを知らず。一隻の戦艦が、撃墜された。 報告を聞き、マリューはきっと前方を睨みつける。 「取り舵!“オレーグ”の抜けた穴を埋める!」 “アークエンジェル”は転進し、新たな敵に対峙した。 その間隙を、ミサイルが掠める。 「“ゴットフリート”、て――――っっ!」 密集していた3機の機体が、その光の刃に撃たれて爆散した。 けれど、喜ぶのは早い。 ザフトの機体は、まるで雲霞の如く後から後から沸き起こる。 もともと能力の優れたコーディネイターに対し、地球連合は数の有利で粉砕することはできても、その能力で卓越することはできない。 相手は遺伝子を弄った化け物だから、と言うのは簡単だが、数の有利がなければ、ナチュラルなどコーディネイターの圧倒的な能力の前では、なす術もなかった。 「なおも“ディン”、接近!数6!」 「この陣容じゃ、対抗できませんよ」 報告を受け、ノイマンが艦長席を振り返る。 今現在、残された“アークエンジェル”クルーの中で、マリューに次ぐ上位に位置するのは、ノイマンだった。 ノイマンの言葉に、マリューは唇を噛み締める。 分かっている、そんなことは。 そんなことは、分かっている。この数では、対抗できない。数が互角ならば、コーディネイターに対抗できるものではない。 「クソッ!まんまとやられたもんだぜ、司令部も!」 「主力部隊は、全部パナマなんですか?」 「あぁ、そう言うことだね」 「戻ってきて、くれるんですよね?」 チャンドラが毒づくと、サイが振り返って問いかけた。 けれど今、此処に展開している戦力が全てなのだ。他は全て、パナマに展開している。 ミリアリアの問いに、けれど答えることは誰にも出来なかった。 戻ってくる。きっと、戻ってくる。そう言うのは、容易い。けれど、その保証はどこにもなかった。 彼らにできるのは、それまでの時間を、稼ぐことだけだ。 だからトノムラは、言った。ぬか喜びさせることもできないから。 「こっちが全滅する前に、来てくれりゃあいいけどな!」 「ミサイル接近!」 その言葉に、逃避するように無駄話をしていたCICの4人――チャンドラ・トノムラ・サイ・ミリアリア――は、それぞれの持ち場に戻る。 絶望の戦場はまだ、その火蓋を落としたばかりだった――……。 戦場から少し離れたところで、クルーゼは“ディン”を停止させた。 双眼鏡を覗き込む。 彼の視線の先では、死闘が繰り広げられている。 けれどそれは、クルーゼの感情を何らかの意味で揺さぶるような類のものでは、なかった。 無感動に、クルーゼは呟く。 「生贄はユーラシアの艦隊とアレか。色々と面白い構図だな、地球軍も」 皮肉な笑みが、彼の仮面で隠れていない口元に閃く。 “ディン”に戻ると、そのシステムをオンにした。 機体にパワーが戻る。ギアを握り締め、なおもクルーゼは一人ごちた。 彼の機体には、フレイの姿もある。 気を失っているのだろう。ぐったりと、フレイはクルーゼに凭れかかっていた。 「強固な守り手が立ち塞がるほど、その奥の宝への期待は高まる。頑張ってもらいたいものだな、“足つき”には」 笑みを一閃させると、バーニアを吹かす。 “ディン”は緩やかに飛び立ち、空の人となった――……。 フラガが飛び込んだ工廠内は、酷く荒れていた。 傷ついた兵士が後から後から担架に載せられ運ばれる。 けれど、そうして救出されるのはまだ、ましな方だ。殆どの兵士は、戦場で死の吐息を感じるまで悶え苦しみながら、その生を終結させるのだから。 ぷすぷすと焼け焦げた匂いが、蔓延していた。 どこか鼻をつく臭いに、吐き気を感じる。 肉の臭いだ。人が、焼け焦げる、臭い。 「くそぉ。めちゃくちゃだぜ」 「……隊の支援を要請しろ!」 「分かりました!」 フラガは、すっかりぼろぼろになったそこを走り回った。 上官の命を受け、支援を要請した兵の声が、凍りつく。 「何ぃ!?第11防空隊は……全滅!?そんな馬鹿な!」 「おい、ここの指揮官は?」 悲痛な声をあげる兵に、フラガは駆け寄る。 その時、爆風が吹き荒れた。 黒い風の向こうに、ザフトのモビルスーツの姿がある。 こんなところまで、ザフトの侵入を許してしまったのだ。 「よし、侵入路確保!よぉし、ナチュラルどもはこの奥だ、行くぞ!」 指揮官クラスの“シグー”に搭乗した男の言葉を受けて、“ディン”が、“ジン”が殺到する。 それをみて、“スカイグラスパー”の近くにいた男が、へたり込んだ。その身が纏うのは、黄の整備兵のつなぎだ。多分、彼がその機体の整備をしていたのだろう。 整備兵の元へフラガは駆け寄り、声をかける。 「おい、ここは撤退だ!基地は放棄される!……ほら、しっかりしろ!生き残ったやつらを集めて、早く脱出するんだ!最低でも、基地から10キロ以上は離れるんだぞ。いいな!これは命令だぞ!」 「う……うわぁぁぁぁぁぁ!!」 緊張の糸が切れたらしい男が、顔面蒼白になりながら走り去る。 “スカイグラスパー”に乗り込んだフラガは、それを見てヘルメットを被った。 本当は、避難の指示をし、それを見届けてやりたい。 あの調子では、まともに避難できるかも、危うい。 けれど、“アークエンジェル”もまた、心配だった。 二者択一の状況で、“アークエンジェル”を選んでしまう。愚かな選択だと思うけれど、仕方がない。彼が守りたいと思ったものは、あそこに在るのだから。 「チッ!ヒーローは柄じゃないってのに」 ゲートの出入り口に現れた“ジン”にミサイルをお見舞いする。被弾したその瞬間に、“スカイグラスパー”を加速させた。 海中を潜行する潜水艇のドアが、軽い音を立てて開いた。 そこに立つのは、ウィリアム=サザーランド――本来ならば、基地内部で責任を果たすべき人物が、今在るのは、基地から遠く離れた海の中だった。 彼は、無感動に報告する。 「第4ゲートが突破され、基地内部への侵入が始まりました。……メインゲートもまもなくでしょうが……。最低でも8割は、誘い込みたいところですな」 その顔を醜悪に歪めて、男は言う。 自らなす行為の醜悪さを理解せず、『正義』と言う名の金メッキを施して、自らの行為を美辞麗句で飾り立てながら。 その行為の醜悪さを理解していれば、そもそもそのような行為には及び得ないだろう。 彼は、自らの行為で、自らの言葉を否定した。 彼にとって、彼の命以外の命は、ただの消耗品に過ぎない。 それを、彼は言葉にしないまでも自ら、明かしたのだ。 そして同刻。 ナタル=バジルールは、軍上層部が立てた冷たい作戦を、思いがけず知らされることとなる。 膝を抱えて、ナタルは貨物船の床に腰を下ろしていた。 敷物もなければ、座席さえもない。 冷たい床にじかに座っていると、“アークエンジェル”で過ごした日々が、無性に懐かしくなった。 つかの間の階層に、彼女の冷たい美貌に笑みが閃く。 次の瞬間、それは凍りついたけれど――……。 「え……!?まさかそんな……」 「しぃっ!やばい話なんだからさ、これは」 「しかし、それじゃあアラスカに残った連中は……」 「『奮戦やむなく全滅』だろうな」 「ぇ……!?」 ナタルの顔が、凍りつく。 驚愕に、紫の瞳が見開かれた。 声が小さくて、よく聞こえない。 何だ。何を、言っている。 アラスカ?アラスカで一体、何が?何が起こっているのだ。 あそこには……生死を、苦楽をともにしたクルーがいるのだ。あそこで、戦って。それが……。 「そして本部は、最後の手段に出る。全てドカンさ」 「……おい!その話……」 気づけばナタルは、飛び出していた。 彼女の仲間たちの、生死の話を。耳にして。 彼女の冷徹の仮面が砕けて、もう、聞いても意味のないことと知っていたけれど、聞かずにはいられなかった。 もう、聞いても意味がないのだ。そうだ。分かっている。ここから、アラスカに戻ることはできない。戻ったところで、何もできない。 けれど、知りたかった。 何の慰めにもならないことは、分かっていたけれど――……。 補給のために、は艦に戻った。 イザークの姿も、ある。 どこも、怪我はしていないようだ。 良かった……とは安堵して。それから、首を振った。 何を言っているのだろう、当たり前だ。 ナチュラルが相手ならば、イザークが後れを取るはずがない。それだけの能力を、イザークは有しているのだから。 「、補給か?」 「えぇ、アンタも?」 「あぁ」 イザークが、頷く。 は溜息を吐いて、それから笑った。 これが終わればまたすぐ、戦場に戻らねばならない。効率よく兵士――資源と言い換えてもいい――を運用しなくては、数に劣るザフトは、すぐに苦境に立たされる。 短期決戦が望ましいだろう。パナマに地球軍の主力部隊が展開している、今がチャンスなのだ。 壁にもたれるに、イザークがドリンクパックを差し出した。機体だけでなく、の方の補給もしろ、と言うことなのだろうか。 戦闘になれば、二日三日の不眠は当たり前だし、食事を抜くことも多い。 眠くならないのだ。異様に感覚が研ぎ澄まされて、眠れない。 食事も同様で、抜くことになる。けれど、確かに水分は必要な補給だろう。 有難く、はそのドリンクパックを受け取った。 「幾つゲートを陥とした?」 「……二つ、かしら。支援も含めると、それより多くなるかも」 「俺も二つだ」 「ただ……」 自信に満ちた笑みを返すイザークに、は懸念を口にする。 何だろう、この。この、不安は。 作戦は、うまくいっている。 このまま行けば、パナマに展開しているであろう地球連合の主力部隊がこちらに急行するよりも先に、アラスカは陥ちるだろう。 その意味合いを、知っているつもりだ。 それがどれだけの意味を持つか、は知っているつもりだ。 この作戦の成功如何で、パワーバランスはまた変わるだろう。 アラスカ戦が成功のうちに終わり、その後パナマへ。主力部隊が展開しているだろうから苦戦は予想されるが。そうすれば、ナチュラルはマスドライバーを失い地上に縛り付けられる。 あたかも、この星に住む生命が、地球の重力に縛られるかのように。 そう。分かっているのだ。 「ただ?」 「うん……ただ、幾ら何でも脆すぎるような気が、する」 「そうか?」 「指揮系統は、まともに働いているのかしら。確かに、パナマを急襲すると見せかけてアラスカに展開したわけだから、数の原理がそう働かないのは分かっている。でも、ナチュラルはもともと、コーディネイターより多いのよ?このアラスカ戦にしても、ナチュラルの方がやっぱり多い。なのに、いたずらに兵を分散させて、各個撃破されるに任せている気が、する……気のせいかしら」 「考えすぎだろう。やつらは目標をパナマと信じて主力隊をそちらに展開させている。その目標が、急にアラスカになった。思わぬ攻撃を受けて、虚脱状態に陥っているのではないか?」 「それも、そうかも……」 イザークの言葉に、は首を傾げつつ頷いた。 納得のいくものでは、なかったけれど。 そう言う風に考えることも、できる。 ただ、脳裏で鳴り響く警鐘は、大きくなる一方で。ただただに、危険を知らせている。 脳裏で鳴り響く、この警鐘に。逆らうべきではないことを、は積み重ねてきた実戦の中で知っていた。いつもいつも、ともすれば鳴り響くこの感覚が、彼女をこれまで、死から救ってきたと言ってもいいだろう。 だからこそ、イザークの言葉に納得できないものを、感じる。 本当に、そうなのだろうか。 彼のいうとおり、虚脱状態に陥って、機能していないだけなのだろうか。 何か、大きな見落としをしているのでは、ないか。 そう考えて、は首を振った。 馬鹿馬鹿しい。 そもそも、このアラスカ戦――オペレーション・スピットブレイクの目標がアラスカであったことさえも、その直前になるまで明かされていなかった。 誰も知らないと言うことは、情報の漏洩する可能性が最も低い、ということだ。 「この戦争が終われば、どうする?」 「……気が早いわね。まだ、戦争中なのに」 「お互いの希望を言い合っておくのもいいと思うぞ。簡単に死ねなくなる」 「確かに、それは一理あるかもしれないわね」 は、微かに笑った。 イザークも、小さな笑みを、その口元に閃かせる。 「貴様みたいに死に急ぐような奴には、効果的な提案だと思うが?」 「死に急ぐなんて……信用ないのね、私」 「事実だからな。……それで?戦争が終わったら、何をしたい?」 「そうだね……特に、目標はないの。何がしたいとか、大きな展望も、ない。さし当たって、お墓参りでもしようかしら。兄さんとミゲル兄さん、それからラスティとニコルの」 「墓参り?」 「そう。それで穏やかに生活しながら、その後のことは考えようかしら」 悪戯っぽく笑って、が答える。 イザークは?と。小首を傾げて尋ねた。 「イザークは、どうするの?」 「……カレッジに戻るかな。その後のことは、おいおい考える」 「カレッジ?何をしていたの?」 「文化人類学」 「難しそうだけど……顔に似合わず、結構小市民的な希望なのね」 うんうんと頷きながら、結構失礼なことを言うに、イザークは不思議そうな顔をする。 彼にしてみれば、彼女がどうしてそのようなことを言うのか、その意味が分からないのかもしれない。 「いいわね、カレッジ」 「貴様も、どこかのカレッジに入ってみるといい。結構、色々な経験ができる筈だ」 「私……が?」 「の屋敷は確かに大きいが、人一人の人生を完結させるには、やはり狭すぎる。もっと広いところに行くといい。貴様を呪縛していた『兄』はもう、いないんだ。広い世界に出て行くことも、必要なんじゃないか?」 「そう……か。そうだね。うん、そう言うのも、ちゃんと考える。……いつまでも、箱庭の中では、生きられないのね」 は、少し寂しそうに呟いた。 兄のいなくなってしまった、の屋敷。 今現在、以外血の繋がるものは誰もいないその屋敷。 その狭い箱庭で、は生きている。 狭いけれど……安心のできる、その場所で。 生きている――生きていた。 けれどもう、そこにと在った兄は、いないのだ。彼女も、箱庭から飛び立たねばならない。 外の世界は、箱庭の中ほど安全でも、温かくもないけれど。 飛び立つ勇気は、まだないけれど。 けれど巣立ちのときは、ひょっとしたら過ぎているのかもしれない。 そこまで考えて、は、一つの言葉が引っかかった。 けれど、それが何なのか、それはに分からなかった。 分からないなりに、もやもやしたものが、蓄積されて。 けれど何か、触れてはいけないような気もして、目を逸らした。 何かが、変わろうとしている。 何かが、起こる。 漠然とした予兆を感じて、はすがるものを探して。 蒼氷の瞳を、見上げていた――……。 『鋼のヴァルキュリア』をお届けいたします。 戦闘シーンが死ぬほど苦手です。 あぁ、駄目だ。本当に、駄目だ。 何だってこう……苦手なんだろう。 潤いも全くありゃしない、とか。ぶつぶつ言ってました。 まぁ、もともと私の作品に、潤いや華やぎは、あまりない気がしますけど(笑)。 ここまでお読みいただき、有難うございました。 |