「アスラン!」


漆黒の……偽りの対を成す瞳を輝かせて、君がその名を呼ぶ。

浮かぶしずくに、感じる焦燥。

けれど同じだけ、安堵も感じていたんだ――……。










#30   遁
〜W〜










 施された通信に、艦長は眉を寄せた。
 通信は、オーブからのもの。
 浜で倒れていたザフト兵……それもレッドを救助したと言うものだった。

 ザフトにとって、深紅のパイロットスーツを纏うザフトレッドは、特別な存在だ。
 それは、ザフト全体の誇り。
 ザフト全体の……軍事的高揚をも刺激する存在。
 それが、ザフトの赤。

 一目で分かる生贄の色をその身に纏い、やがては幹部にも成り得る、稀有な存在。
 それが、レッド。


「どうしますか、艦長」


 通信士の言葉に、彼は眉を寄せた。
 本来であるならば、その時決断を下すべきは、ザラ隊隊長であるアスランである。
 しかし今、彼はいない。
 彼は、MIAだ。


「イザーク=ジュールを呼べ。彼の判断を聞くことにしよう」
嬢でなくとも、よろしいので?」


 =と言う存在は、ザフトにとってはレッドよりも重い。
 その理由の大半を占めるのは、勿論彼女の特異な出生にもよるだろう。
 副議長の呼び名も高かった、リヒト=の娘にして、天才の呼び名高かった=の妹。
 彼女自身の能力も、確かにその認識に寄与しているのだが、彼女を取り巻く家庭事情もまた、彼女をして周りにその重要性を認識させていた。


「いや……=には知らせないほうが、賢明だろう」


 艦長はそう言って、イザークを呼び出すことにした。

 =
 ザフトが誇る、鋼のヴァルキュリア。
 しかし彼女は、その精神に何やら屈託を抱え込んでいる。
 通信が、事実であればそれでいい。
 しかしそれが、悪意に満ちた罠であったとしたら……?
 仲間思いのヴァルキュリアは、何が何でも仲間を助けることを主張するだろう。その命と引き換えにしてでも。
 しかし、彼らにとって何よりも重きを成すのは、自らの命と引き換えに他者の命を買うような、ヴァルキュリアだった。
 彼女に、そのようなことをさせてはいけないのだ。
 それが、ザフトのトップ――隊長・艦長クラス、そしてその上のエリート――共通の認識だった。

 個人的な能力の上で、彼女は申し分ない。
 しかし、この手の話題は、彼女には向かない。
 それを、艦長は知っていた。


「イザーク=ジュールのみに、通信の内容を伝達しろ」
「はっ!」


 艦長の言葉に、オペレーターが頷く。

 さて、オーブはどう出るのか……果たして今回の知らせは、事実なのか。
 艦長職を勤める男は、束の間の思索に、沈んだ――……。















 サウンド・オンリーに設定された、個人用通信機が作動する。
 その時、イザークはまだ、の部屋にいた。

 別に、何がどうと言うわけではない。
 ただ二人、今後の問題について話ていただけだ。
 間近に迫っている不安を……喪失を焦燥を。その感情から、逃れるように。
通信が入ったのは、まさにそんな時だった。


「イザーク=ジュールだ」
「イザーク=ジュール。艦長がお呼びです。至急艦橋に出頭してください」
「イザーク=ジュール、了解した。直ちに艦橋へ向かう」


 サウンド・オンリーとなった通信機を切ると、少女に向き直る。
 バツの悪そうな表情で、少女は彼を見つめていた。
 バツが悪いのは、きっと彼に全てを曝け出してしまったから、だろう。
 彼女は、良くも悪くも自分の弱みを晒すことを、嫌う。
 何でも、自分で解決しようとするきらいがある。
 それは、別に彼女が誰も信頼していないわけでは、ない。
 ただ、強くあろうとする彼女の精神は、他者に不必要に――彼女の主観で、不必要に――依存することを、どこかで拒否するのだ。


(イザークには、でも……依存しているな、私……)


 そっとその顔を伏せて、は一人ごちた。
 間近にある彼の秀麗な顔は、本当に兄にそっくりで。
 大好きな兄に、そっくりで。
 兄ではないと分かっているのに、全てを曝け出して。依存して、甘えて。傍にいて、と。喚きたくて堪らなくなる。


「艦長に呼ばれた……艦橋に行って来る」
「分かった」
「何か、分かったのかもしれない。……本当に、貴様は何も思い悩むな。貴様が思い悩むと、ろくなことにならない」
「失礼ね、あんたは」


 気遣う彼に、悪態をつく。
 気遣われていることを、知っている。
 だから、可愛くない態度を、とるのだ。

 気遣われることは、本当に嬉しくて。
 胸が詰まって、いっぱいになるけど。やはり彼女は、どこかで苦手意識を感じるのだ。そうやって、大切にされる、と言うことに。
 彼女を大切にしてくれたのは、彼女の兄たちだけで。
 勿論、他の人たちだって彼女を大切にしてくれていることを、彼女は知っていたけれど。
 不特定多数から、与えられる感情は現実感が伴わない。
 彼女に対して、一対一で感情をぶつけてきたのは、彼女にとっては彼が、初めてだったのだ。それも、『兄』の範囲にとどまらない感情、など。彼が、初めてだった。


「事実だ」
「煩いわね、本当に。さっさと艦長のところに、行ってきなさいよ」


 つん、と顎を上げて。
 わざと高慢な態度をとると、彼を押しやる。
 くっと、苦笑を洩らしながら。
 彼は艦橋へ向かった――……。



**




「オーブからの通信だ。救助したザフト兵の返還につき迎えをよこすよう言ってきている」
「オーブが!?それは……罠ではなく?」
「分からん。こちらとしては、罠でないことを願っているが……こちらに、それ以上の情報は入ってきていないのが現実だ」
「なるほど……」


 艦長の言葉に、彼は頷いた。
 そして同時に、理解する。
 だから、自分だけが呼ばれたのだろう、と。

 彼とて、エザリア=ジュールの息子だ。
 主戦派が権力の大部分を握る現在、彼の存在もまた、ザフト政界内外に及ぼす影響力は計り知れない。
 しかし、=という少女が齎す影響は、それさえもはるかに凌駕する。
 =。彼女の持つ影響力は、計り知れない。
 そうである以上、彼女を危険に晒すわけには、いかないのだ。それが、ザフトの総意と言ってもいい。

 彼女はきっと、そうやって大事に大事にしまいこまれることを、よしとはしないだろうが……。


「分かった。俺が出向く。輸送ヘリの準備を、頼む」
「分かった」
には、黙っていたほうがいいだろうな……。それが事実だったときは、こちらから通信を入れる。そのときは、あいつに教えてやって欲しい」
「あぁ」


 彼の言葉に、艦長は頷いた。

 くるり、とイザークは踵を返す。
 もしも、事実だとしたら。
 それは、彼女にきっと、何よりの喜びを齎すものとなるだろう、と。

 自分のせいで、自分が親しくしていた人たちは、死んでしまう。そう思い込んでいる彼女にとって、何よりの吉報となるだろう、と。彼は信じて……そして期待していたのだった――……。



**




「迎えが到着した」


 やってきたキサカの言葉に、カガリは座っていたソファーから立ち上がった。
 そして、空ろな眼差しで沈んだ目をするアスランに、声をかける。
 その肩を、乱暴に揺さぶった。


「アスラン、ほら、迎えだ。ザフトの軍人では、オーブに連れて行くわけにはいかないんだ」


 その手を引いて、立ち上がらせる。
 彼は、されるがままに任せていた。
 今、自分の身に起こっていることも、彼には、リアリティを伴って認識できないようだった。


「お前、大丈夫か?」
「……やっぱり、変なやつだな、お前は。……有難うっていうのかな、こういう場合。今、ちょっと分からないが」


 低く呟かれたその声は、直面した現実に、すっかり疲れ果てているようだった。
 だからこそ、胸をつかれる。
 彼が直面した傷を理解できなくとも、それは彼に同情することを阻害する要因には、なりえない。


「ちょっと待て!」


 歩み去ろうとするアスランを、カガリは呼び止めた。
 その胸に下がるペンダントを、握り締める。
 それはオーブでは有名な……ハウメアの守り石。
 オーブの民ならば、誰もが持っている、ポピュラーなお守りだ。
 自分の首に下がるそれを外して、カガリはアスランの首にかけた。


「ハウメアの守り石だ。お前、危なっかしい。守ってもらえ」
「キラを殺したのにか?」
「もう、誰にも死んで欲しくない……」


 押し殺したようなアスランの言葉に、彼女はそう呟いた。
 結局彼女に、彼と理解しあうだけの時間は、なかった。
 否、例えあったとしても、彼と彼女が分かり合うことは、難しかっただろう。
 彼と彼女が見つめ続けてきたものは、あまりにも、違いすぎた――……。



**




 オーブの母艦のすぐ傍に停泊した輸送ヘリに向かって、小型のボートが差し向けられる。
 毛布に包まったアスランの姿が、そこにはあった。

 ヘリの扉部分に寄りかかっていたイザークは、その姿を見て、身を起こした。
 そして、怒鳴りつける。


「貴様ぁ!どの面下げて戻ってきやがった!!」


 イザークの傍らに立つザフト兵が、アスランに向かって手を差し出す。
 その手をとってヘリに上がろうとしたアスランに、不満そうな顔をしてイザークもまた、手を差し出して。
 その身を、支える。
 そんなイザークに、アスランはすれ違いざまに囁いた。


「“ストライク”は、撃ったさ……」


 その時、アスランは見た。
 参った、と。そう言いたげに。イザークが確かに、柔らかく微笑んだのを。
 それを見て、そして……それは夢だと、思った。
 一人の少女を巡って、二人はともに並び立っていた。
 そうであるからこそ、ありえない、と。彼は思って。
 そのまま、ヘリにしつらえられた簡易ベッドに、横になったのだった――……。














「アスラン!」


 合流した彼に、体当たりしかねない勢いで、少女が飛び込んできた。
 描いた深紅の残影と、触れた温もり。そして少女らしい丸みを帯びた肢体に、彼はそれがであることを、知る。


……?」
「アスラン……アスラン……アスラン……良かった!無事で、本当に良かった!」


 その漆黒の瞳に涙の雫を浮かべて、彼女は囁いた。
 強い力で、抱きつかれて。
 それが余計に、彼女の彼への思いを連想させた。
 それだけ彼女は、彼を案じていたのだ、と。


……」
「帰ってきてくれて、有難う。有難う、アスラン。生きていてくれて、有難う……」


 胸が詰まって、アスランはの名を、そっとその唇に乗せた。
 しがみついてくる少女は、ただ、彼の無事を喜ぶ言葉を、紡ぐ。
 それは彼女にとっては、ごく当たり前のことであったのかも、知れない。
 彼女はただ、自分自身の安定のために、彼の無事を喜んだのかも、知れない。
 の気持ちなど、誰にも推し量ることは、出来ないのだから。

 それでも彼女の言葉に、彼は胸を詰まらせた。
 そうやって彼女は、自分の生を肯定してくれている。そう、思えたから。

 親友殺し。
 そんな、おぞましい罪。
 犯してしまった彼を、それでも少女は、受け入れようとしてくれているから。
 だから彼は、胸を詰まらせて。
 ただ、嬉しかったのだ。彼は。

 消耗しきった躯は、自身の身さえも、満足に支えきれなくて。
 抱きつかれることは、多大な負荷を、彼に与えた。
 それでも、嬉しくて。


、アスランの状態を考えろ」
「イザーク……そうだね、ごめんなさい、アスラン。身体……大丈夫?」
「大丈夫だ、。有難う」


 横合いからイザークが声をかけると、はシュン、と項垂れた。
 少し可哀想になって、アスランが安堵させるように囁く。
 すると少女は、ほんの少し、笑顔を浮かべた。

 それに彼は漸く、自覚する。
 帰ってきたのだ、と。
 漸く、帰ってこれたのだ、と。
 そう思って、胸を詰まらせて……。





 その心に滲んだ、暖かい感情のままに。
 彼は、泣きそうな顔で微笑む少女の髪を、そっと撫でたのだった――……。







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 『鋼のヴァルキュリア』をお届けいたします。
 アスランとの絡みって、あまりないのですが。
 書いてみました。
 如何でしょうか。
 しかし、イザークが本当に……。
 アタシ、無印のときの嫌味満載な隊長、大好きなのですが。
 どうして、そんな隊長が書けないのだろうか……。
 隊長に夢を見すぎているから、ですか。そうですか。
 イザークがアスランを迎えにいくまで何があったか、その動向が分からなかったので、その辺は想像でカバーしました。
 ちょっとありえないんじゃない?って思われた方もいるかもですが……公式が存在していない部分、ですので。
 まぁ、楽しんでいただけましたら、幸いです。

 ここまでお読みいただき、有難うございました。