血を流したように、赤い赤い空。

嗚呼、今日ものこの空のどこかで

血みどろの戦いが繰り広げられている――……。










#30   走曲
〜X〜









 “アークエンジェル”は、地球軍本部アラスカ――ジョシュアにようようの思いで辿り着いた。
 数え切れぬ戦火に晒され続けてきたクルーたちは漸く安全な場所に辿り着けたと、一様に安堵している。
 しかし、そのために払ってきた犠牲を思えば、暗澹とした気分に陥った。
 キラ……そして、トール。
 年若い少年たちの命を犠牲にして、此処まで辿り着いたのだから。


「Xαα《エックス・アルファ・アルファ》、チャンネル、オメガ・スリーにて、誘導システムオンライン。シークエンス・ゴー」
「入港管制局より、入電。オメガ・スリーにて、誘導システム、オンライン。シークエンス・ゴー」
「シグナルを確認したら、操艦を自動操縦に切り替えて、少尉。後は、あちらに任せます」


 粛々と行われる報告に耳を傾けながら、マリューはそう指示を出した。
 長かった、此処まで。
 しかし此処まで来れば、あとはもう何も恐れることはない。
 たった一艦で太平洋を航行していたのとは、その安心感が違う。
 けれどやはり、拭いきれない痛みが、あった。

 あと少し、だった。
 こうして今、自分たちが安全な味方の元へ還って来ることが出来たからこそ余計に感じる、死んでしまった年若い少年たちへの罪悪感が、余計にマリューにそう思わせた。
 あと少し、だった。


「誘導エンジン、確認。ナムコムエンゲージ。操艦を、自動操縦に切り替えます」


 シグナルを確認して、ノイマンは操艦を自動操縦に切り替えた。
 端正な顔にはやはり、安堵の色が濃い。

 此処まで、“G”と“アークエンジェル”を持ち帰ること。
 それが、彼らの任務だった。
 それが、この疲弊した戦局を打開するもの、と。彼らは、当たり前のように信じていた。
 だから、彼らは知らない。
 その上で――所謂地球連合のトップたちが交わしている会話の、その内容を。
 それは彼らにとって、余りにも想像を超えるものだったから。

 滝を模したゲートが、開く。


大天使は、帰還した。





「“アークエンジェル”か……よもや辿り着くとはな」
「ハルバートンの執念が、守っているとでも言うんでしょうかね」
「ふん……守ってきたのは、コーディネイターの子供ですよ」


 憎々しげに、男は手元の書類を見下ろした。
 『MIA』
 顔写真の上に、大きく朱で描かれているのは、その少年がおそらく戦死したであろうことを示すたった3つの文字。
 ただ、それだけだ。


「そうはっきりと言うな、サザーランド大佐。だがまぁ、土壇場に来て、“ストライク”とそのパイロットがMIAと言うのは、何と言うか……幸いであったな」


 サザーランド大佐と呼ばれた男を嗜めるようでいて、同じような侮蔑を死した少年にくれてやる彼らには、死者に対し悼むと言うことはない。
 まして、死んだのはコーディネイターの少年だ。
 彼ら地球連合が本来、戦う側の人間が紆余曲折を経てこちら側につき、死んだだけの話。それ以外の感情など、なかった。


「“GAT”シリーズは今後、我らの旗頭となるべきものです。しかし、それがコーディネイターの子供に操られていたのであっては、話にならない」
「……確かになぁ」


 重々しく、彼らは頷いた。
 彼らに共通している点があるとしたら、それは年齢でも階級でもなく、コーディネイターに対する本能的な嫌悪、それに尽きるのかもしれない。
 此処まで、そのコーディネイターの少年に戦わせてきたことさえ、彼らは完全に失念している。
 もっとも、彼らにしてみれば、ただそのコーディネイターの少年が、勝手に戦っただけの話、になるのだろうか。
 死した少年を語るその口調は、余りにも無味乾燥に過ぎた。


「所詮奴らには敵わぬもの、と。目の前で実例を見せるようなものだ」
「全ての技術は既に受け継がれ、さらに発展しています。今度こそ、我々のために」


 そう言って男が示したデータに現れたのは、3機のモビルスーツだった。
 その特徴は、Xナンバーと非常に似通っているが、それぞれの特性をさらに特化した武装が施されていた。
 それが戦争を助長するものであることも忘れ果て、男たちは会心の笑みを浮かべあう。
 命が消費されゆく戦場という現実を忌避するそぶりなど、彼らには欠片たりともなかった。
 どうせ、彼らは戦場には出ず、安全な後方に居座るのだ。
 だからこそ、彼らにはその痛みなど、分からない。
 だからこそ、彼らはどこまでも戦争を助長させることが出来る。
 自らの行いが、恥知らずなことである、など。彼らは毛ほども感じていなかった。


「アズラエルには、何と?」
「問題は全て、こちらで修正する、と伝えてあります。……不運な出来事だったのですよ、全ては。そして、おそらくはこれから起こることも。全ては、“青き清浄なる世界のために”……」


 『青き清浄なる世界のために』そう口にして、男たちは会話を締めくくった。
 その言葉が、彼らの立場を克明に明かしている、と言えるだろう。
 彼ら地球軍のトップは、間違いなくブルーコスモスの思想に侵されている、と――……。



**




<統合作戦本部より、第8艦隊所属間、“アークエンジェル”に通達する。軍令部、ウィリアム=サザーランド大佐発、『長きに渡る、激戦の労を労う。事情聴取せねばならぬ事態でもあるため、貴艦乗員は別命あるまで、現状のまま、艦内待機を命じる』>
「え……?」
「現状のまま……でありますか?」


 納得がいかず、マリューは問い返した。
 軍令に背くことなど考えたこともないであろうナタルでさえも、与えられた命に怪訝な顔をしている。
 確かに、事情聴取の必要な事態では、あるだろう。
 Xナンバーは“ストライク”を除いて全て奪われ、その“ストライク”でさえも失ってしまったのだ。
 何がしかの聴取があるのは、当然のように考えていた。
 しかし、『現状のまま』と言うのは、どういうことだろうか。
 こちらには、捕虜としたザフト軍兵も、いる。彼の処遇についてさえ、通達していないではないか。


<そうだ。パナマ侵攻の噂のおかげで、此処も忙しくてな。とりあえず、休んでくれ>


 その言葉をもって、通信は切れた。
 最後の言葉は、サザーランドより軍令を預かった、彼自身の言葉であったのだろうか。そこに彼の気持ちが込められているような気がした。
 しかし、その彼を介してサザーランドから与えられた命令は、到底納得のいくものではない。

 マリューとナタルは思わず、顔を見合わせた――……。



**




 ザフト軍カーペンタリア基地でも、“オペレーション・スピットブレイク”に向けた準備が進められていた。
 無数のモビルスーツが行きかい、整備兵は機体の整備に明け暮れている。
  やイザークも、それぞれの機体の整備や修理に余念がなかった。

 コックピットの中で、 は軽く伸びをした。
 調整は、順調だ。
 整備兵の手によって完璧に整備された機体は、それが殺戮の道具と分かっていても、美しいと思う。
 愛しいと思う。
 兄が遺してくれた、大切な機体。

 ふっと、 はその口元に笑みを刷いた。
 伸びをした瞬間に、緩めた軍服の襟元からチェーンが零れ落ちる。
 ロケットペンダント。認識票のドッグタグ。ミゲルから贈られたピアスの片割れ―― 一つは、耳につけているから――、そして……イザークから贈られたリングも、彼女はチェーンに通して首から提げていた。
 その指に嵌められているのは、自害用の毒を仕込んだリングのみだ。


「兄さん……兄様……」


 ちゅっと、 はリングに口付けた。
 以前ならば、存在しないはずの兄の存在を感じ取ることが出来る気がして。とても幸せな気持ちになれたのに。
 今、感じるのは不安だけだ。

 兄は一体、何を隠していたのだろう。
 敬愛する兄を、疑うわけじゃない。けれど……不安、だった。
 不安は、それだけじゃないけれど。


「イザー……ク……」


 名前を、呟いてみる。
 どうして、だろう。

 兄とイザークは良く似ているし、それは だってとっくの昔に認識しているけれど。
 どうして、兄ではなくて『彼』が思い起こされるのだろう。

 嗚呼、これはきっと、罪悪感だ、と。 は思った。
  もイザークも、それぞれ幼い時から決められた婚約が、ある。婚約者が、いる。
  もイザークも、互いに相手に婚約者がいることを知っている。
 それに、それが『当たり前』だ。

 コーディネイターは、数が少ない。
 更に追い討ちをかけるように、子を成すのが難しく、第三世代の誕生は容易でないと言われている。
 少しでも子を成せる確率の高いもの同士が婚姻を結ぶのは、だから当然のことだ。幼い時からプラントで生を受けていれば、嫌でもそれは常識になる。
 婚約者がいることは、二世代目コーディネイターにとっては、当たり前なのだ。

 それなのに……。
  は思わず、目を伏せた。
 婚約者がいる男性と、関係を持ってしまった。たった、一度ではあるけど。純潔を、失った。

 一応両家の子女である彼女に、兄は言っていたのに。
 結婚まで、純潔を失ってはならない、と。

 どこまでもどこまでも、兄の言葉に背いて生きている気が、する。
 それでも、後悔はしていないのだ。

 寂しいから、縋りついた。
 寒いから、抱きしめて欲しくて。
 縋りついた腕の心地よさが、行為に踏み込ませてしまった。
 愚かしい過ちでは、あったのかもしれない。
 それでも、後悔はしていなかった。
 しているとするならそれは、自分を想ってくれた彼を、きっと傷つけてしまったと言うこと。


「何で……優しくするのよ……」


 優しくなんて、しないで欲しい。
 縋りついたことを、蔑んで、侮蔑してくれれば、いい。
 そうすれば、こんなにも悩まなくてすむ。
 そうすれば、あんな酷いことをした自分を、赦せるだろうに……。


「あぁそれも結局、赦されたいから、ってことね」


 罰を与えてもらって、それで罪を償った気になりたいだけ。ていのいい保身だ。最低。
 どうしてイザークは、そんな女にあそこまでしてくれるのだろう。
 そんなの……。


「馬鹿みたい、じゃない……」


 彼だって、傷ついているのに。
 彼だって、罪悪感に押しつぶされているだろうに。
 それなのに、どうして。
 嗚呼どうして、彼はあんなに優しいのだろう。
 優しくされる資格なんて、ないのに。

 血塗れの手。
 彼を利用して。
 罪を、押し付けた。

 両家の子息である彼ならば、両家の子女との婚姻は、当たり前で。
 どのような教育を受けるかも、おそらく知っているだろう。きっと、彼の母が教えている。

 適性さえ合わなければ妊娠の心配のないコーディネイターは、割合性に対しては奔放だ。
 けれど良家では、純潔が重んじられる。悪しき風習と分かっていても。
 そして は……イザークに、奪わせてしまった。


「……最低だ、私……」


 彼を、傷つけてばかりだ……。
 傷つけたくなんて、ないのに。
 死なせたくない。
 守れる力があるなら、守りたいのに。
 それなのに、傷つけてばかり……だ。

 彼は、『 』に『 』を愛せと言った。
 こんな女を愛する方法があるなら、教えて欲しい。
 愛せるわけが、ない。
 あんなにも優しい人を苦しめる、女なんか。


 狭いコックピットを、呪詛の言葉だけが埋め尽くしていった――……。



**




 基地内が、暮色に染まりつつあった。
 宇宙からモビルスーツもどんどん投下されているらしい。暮れなずむ基地内は、慌しさに染められていた。
 そんな慌しい喧騒とは無縁の場所で、アスランは静かに外を見ていた。

  は時々病室に訪れて、取り留めないお喋りをして帰って行く。
 多分、彼を励まそうとしてくれているのだろう。
 彼女の好意はとても有難くて……同時に、時々重荷だった。
 彼女は、アスランを『赦し』てしまうから。
 親友を殺したアスランを、彼女は『赦す』から。
 だから時々、彼女の好意は、重い。

 自らの手で大切なものを奪ったその代償は、やはり同じくらい大切なものを自ら切り離すことのように思えて、ならなかった。
 ニコルを殺した代償に……それまで非常に徹し切れなかった自らへの断罪に、大切な幼馴染を自ら殺すことを決意したように。
 大切な幼馴染を自ら殺してしまった代償を、愛する少女からの拒絶に、彼は知らず求めていた。
 けれど彼女は…… は、『赦し』てしまうから。

 彼女は、一度懐に入れた相手は決して、捨てない。
 断罪を求めてもだから、彼女は赦してしまう。
 殺したことを正当化して赦すのではなく。彼女は、ただ彼の無事を喜んでくれた。
 そうして生きるアスランの命を、彼女は赦す。
 罪を赦すのではなく、そうしてアスランが生きて帰ってきたこと、そして生きながらえていることを、彼女は喜び赦すのだ。
  = とは、そんな女性だ。



――――『アスラン……アスラン……アスラン……良かった!無事で、本当に良かった!』――――

――――『帰ってきてくれて、有難う。有難う、アスラン。生きていてくれて、有難う……』――――




 そう言った、彼女のその優しい声音を、覚えている。
 痛いぐらいに抱きついて、彼女はまず、彼が無事であったことを喜んだ。
 責めたりは、しなかった。

  だって、キラを知っている。
 敵を知ってしまったことで、撃つことに躊躇いを覚えていたのだって、知っている。

 アスランとキラほどの交流――もしくは、アスランと ほどの交流が、キラと の間にあったとは、思わない。
 けれど は元来、優しい少女だ。
 アレだけナチュラルを恨んでいると口にしながらも、彼女は民間人は殺せない――例え、ナチュラルであっても。
 けれどもしも……もしもそうせねば大切な人が傷つく、となったら。彼女は自らの魂に傷を負ってでも、大切なものを守り抜く。
 だから、愛しいと想ったのか。自分は……そして、イザークは。






 見上げた空は、赤い。
 まるで……あの日の、オーブの空のように……。
 血を流したかのように、赤い。





 アスランが滞在する病室に来客があったのは、そのすぐ後のことだった――……。







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 お久しぶりです。
 『鋼のヴァルキュリア』をお届けいたします。
 本当に、今回はお久しぶりになってしまいました。
 こちらの更新、もっと頑張ってまいりたいものです。

 此処までお読みいただき、有難うございました。