さぁ、愛しい『ヴァルキュリア』。

いい子だから、戦っておいで。

お前は、我らの敵を薙ぎ払う為に、生まれたのだから――……。










#30 遁走曲〜Y〜









 室外から鳴り響く呼び出し音に、アスランは反応した。
 近い過去を遡行していた瞳が、はっと我に返る。

 ころしあいを、した。
 いっぱい、ころした。
 ゆうじんを、ころした。

 帰ってきてくれて、嬉しい。生きていてくれて、有難う。
 愛しい少女は、そう言ってくれたけれど。けれどアスランにとってみれば、何をどうしたってその事実は変わらないのだ。
 彼のその手は、親友を殺した血に濡れている。

 考えれば考えるだけ、自分が忌まわしい存在であるような気がして、心が冷えた。
 呼び出し音は、まさにそんな時に響いたのだった。


<クルーゼだ。入るぞ>
「隊長……」
「そのままでいい」


 扉が開いて、その顔を奇怪な仮面で覆ったその人が、入室して来た。
 仮面に隠れた、その表情は分からない。
 しかし口元には、確かな笑みが滲んでいた。

 身を起こそうとするアスランに、彼は声をかけた。
 彼の上位者たる隊長の前で、ベッドに身を横たえたままでいることが非礼であることは、分かっている。
 しかし、その言葉に甘えることにした。
 身を起こそうにも、自分ひとりの力では容易にそれが叶わぬほど、今のアスランは疲弊していたから。

 そのままクルーゼは、ゆったりとした動作で、アスランの横たわるベッド付近にまで歩み寄る。


「申し訳、ありません……」


 近づいてくるその人に、アスランは謝罪した。
 建前上、アスランはクルーゼより隊員を預かる形で、隊長となった。
 そして、ニコルは殉職。ディアッカは行方知れずとなってしまった。
 隊を預かるものとして、それはかなりの失態だ。
 喪った命は、もう戻らないのだから……。


「いや、報告は聞いた。君は良くやってくれたよ」
「いえ……」
「私こそ対応が遅れてすまなかった。確かに犠牲も大きかったが……。それも已むを得ん。それほどに強敵だったということだ。君の友人は」


 クルーゼの言葉に、それまで憔悴の色を隠しきれなかったアスランの瞳が、大きく見開かれた。
 その傷ついた眼差しを眺めながら、クルーゼは口元にゆったりと笑みを刷く。
 まるでその傷から流れる血を、味わうかのように。


「辛い戦いだったと思うが……ミゲル、ニコル、バルトフェルド隊長、モラシム隊長、他にも多くの兵が、彼によって命を奪われたのだ。それを撃った君の強さは、本国でも高く評価されているよ。君には、ネビュラ勲章が授与されるそうだ」


 クルーゼの言葉に、アスランは顔を上げた。
 それは、思ってもみないことだったから。

 勲章が、授与される?
 ニコルを犠牲にし、ディアッカの行方も知れないというのに?
 この手は、『親友』を殺したというのに?


「私としては残念だが、本日付けで、国防委員会直属の特務隊へ転属との通達も来ている」
「そんな、隊長……!?」
「トップガンだな、アスラン。君は最新鋭機のパイロットとなる。その機体受領のためにも、即刻本国へ戻って欲しいそうだ」
「しかし……!」


 クルーゼの言葉に、アスランは異を唱えようとした。
 そんなこと、許されるものではないことぐらい分かっている。
 軍隊では、命令に服従することは、当たり前なのだから。
 しかしそれでも、他に言葉が浮かばなかった。
 彼が殺したのは、彼の『親友』だ。
 それが称揚されているという現実に、彼の優秀な頭さえもついていけなかった。


「お父上が、評議会議長となられたのは、聞いたかね?」
「あ……はい」


 急に変わった話題についていきかねて、アスランはただ頷いた。
 アスランの父、パトリック=ザラは評議会議長に選出されたらしい。
 それまで議長の座に就任していた、シーゲル=クラインを退けて。
 長引く戦争は、穏健派であるクライン派と急進派であるザラ派の間に、大きな溝を生み出すこととなった。
 そして、民衆はザラ派を支持した。そう言うことだ。


「ザラ議長は、戦争の早期終結を切に願っておられる。本当に早く終わらせたいものだな、こんな戦争は……。そのためにも、君もまた、力を尽くしてくれたまえ」


 ポン、とクルーゼは、アスランの肩に手を置いた。
 励ますようなその仕草を、アスランはただ、見つめることしか出来ない。

 そして小さく、頷いた――……。



**




「隊長、もう行っちゃった?」


 クルーゼが退出したあとのアスランの部屋を、微かにノックする音がした。
 応えを返すと、ひょこり、と漆黒の頭が覗く。
 ―― だ。


「あぁ、隊長はもう行ったぞ」
「そっか。じゃあ、アスラン。お邪魔してもいいかな?疲れちゃった?」
「いや、大丈夫だ、 。どうぞ」


 アスランの返事に、 も嬉しそうに笑う。
 小さな紙袋を片手に、アスランのベッドまで歩み寄ってきた。


「食事はちゃんと……また、残してる」
「……」
「残しているって言うか、手付かず?……アスラン?」


 アスランの食事として饗されたトレイを見やると、 は溜息を吐いた。
 腰に手を当てて、居丈高にアスランを見やる。
 それが心配しているからこその行動だと分かるから、アスランは苦笑した。


「点滴を受けている。食事の心配は要らないよ、 。有難う」
「点滴が、食事の変わりになるわけないじゃない。確かに、栄養は足りているでしょうよ。でも、ちゃんと食べなきゃ。いつまでたっても、元気になれないよ?」


 案ずるように言う に、苦笑した。
 まったく、これではどちらが年上なのか、分かりはしない。


「私にはあんなに、ちゃんと食べろって言うのに!」
は、食べなさすぎだ。……ちゃんと最近、食事はしているのか?」
「してるよ。うっかり抜かすと、あのおかっぱが煩いんですもの」


 アスランの言葉に、 はそう答えた。
 一瞬、その頬に朱が上ったことに、アスランは気づいたけれど。
 それは彼の心に痛みを齎すものでしかないから、見ないふりをした。

 少し、 の雰囲気が変わったような気が、する。
 気のせいなのかもしれないけれど。


「フルーツだったら、食べられるかなぁ……?林檎、買ってきたの。食べる?」


 紙袋をがさがさと揺すって、 は得意そうに笑った。
 悪戯っぽい笑みに、アスランも笑みを誘われる。
 彼女は彼女なりに、彼を気遣ってくれていることが、分かって。それが、ほんの少し嬉しかった。


「……分かった。食べるよ」
「そ。じゃあ、切るね。特別に、ウサギ林檎にしてあげる」


 笑顔で答えると、 は室内に置かれた椅子に腰掛けた。
 簡易机を使用して器用に林檎をカットすると、するすると皮に切れ込みを入れてむく。
 皮をウサギの耳に模したウサギ林檎に、フォークを刺した。


「はい、どうぞ」
「有難う、


 差し出された皿を、受け取った。
 ニコニコと笑顔で、 はアスランを見つめている。
 苦笑して、アスランはその指を林檎に伸ばした。
 そしてフォークを、摘む。
 林檎を口に含むと、シャリとした歯ごたえとともに、甘味が口いっぱいに広がった。


「美味しい?」
「あぁ。有難う、
「いいの。アスランが食べてくれて、私も嬉しい」


 そして、笑顔。
 思わずアスランの頬も、緩む。


は、隊長が苦手なのか?」
「私?」
「そう」


 ふと、アスランは疑問に思っていたことを、尋ねた。
 先ほど入室の際も、 は隊長をしきりに気にしていた。
 もともとクルーゼ隊のメンバーではなく、他の隊からやってきた彼女であるが、クルーゼ隊にもともとからいるメンバーともうまくやっている。
 ただ、隊長とだけは、それも上手くいっていないようだった。 が、避けている。


「そう……ね。苦手。悪いって思っているんだけど……苦手なの」
「何故?クルーゼ隊長は、その作戦指揮も素晴らしいし、クルーゼ隊は作戦成功率の高い隊として有名だ。それでも?」
「そう……ね。作戦指揮とか、そう言うものに関しては、隊長を尊敬しているわ。でも、苦手なの」


 そう、答えて。
 それから は、小さな声でポツリ、と。
 本当に小さく、呟いた。


「……隊長が、怖い」
「怖い?」
「うん。……怖い」


  の言葉に、アスランは瞠目した。
 怖い。
 どう言うことだろうか。
 あの奇怪な、仮面のせいだろうか。
 しかし、クルーゼが仮面を着用していることは、有名な話である。
 今更それに怯えるとも、思えない。


「隊長、目が見えない、でしょう?」
「あぁ」
「何を考えているのか、分からない。……怖い。時々、ぞっとするくらい冷たい視線を感じる。でも、その理由も分からない。だから、私……」


 隊長が、怖い。

 小さく、 は呟く。
 イザークも、怖いけれど。
 彼が内に秘めた情熱は、それだけで を慄かせるけれど。
 ラウ=ル=クルーゼという男に対する恐怖は、それとは異なる、もっと根源的な恐怖を感じるのだ。

 まるで、憎まれているような気さえ、する。

 だから、地球に墜落して宇宙と地上とに分かたれたとき、安堵さえした。
 ミゲルの仇を討ちたくて、クルーゼ隊への転属を希望したのは、 自身であるけれど。けれどそれでも、怖いと思う。


「それだけで苦手だと思うなんて、隊長に失礼だってことくらい、分かってる。でも、何て言うんだろう……蛇に睨まれた蛙みたいな、そんな気持ちになるの」
「そうか……」


  の言葉に、アスランは小さく頷いた。
 確かに、人を拒絶することは良くないことだ、と。それくらいは誰だって知っている。
 知っていて、それでも他人を排斥しあうものだけど。
 嗚呼、きっとそれが、この戦争の縮図だ。
 何某かの理由を捏ねて、他人を排斥しあう。
 ナチュラルであること。コーディネイターであること。
 それが単純に、他者を排斥する理由となりうる。それが、戦争なのだろう。


「あ。アスラン。特務隊に転属って、聞いた。おめでとう」
?」
「最新鋭機も、受領されるんですってね。議長閣下もきっと、お喜びね。アスランの、お父様だもの。アスランの無事を、きっと心からお喜びだわ」
「何で君が、そんなことを!?」


 ぐっと、アスランは の肩を掴んだ。
 点滴を繋ぐ管が引っ張られて、中身の液体が、ちゃぷりと揺れた。
 突然のアスランの激情に、しかし に驚いた様子はない。
 漆黒の瞳はまっすぐと、アスランを見つめ返していた。


「俺が何を撃ったのか、君は分かっているだろう!?」
「……知っているわ」
「だったら、何故!?何故、勲章とか、特務隊への転属とか、そう言うことを……そう言うことを、言うんだ!?」
「アスラン……」


 漆黒の瞳が、厳しい色を宿している。
 ポン、と。 の手が、彼女の肩を掴むアスランの腕に触れた。


「アスラン、私は、知っている。アスランが何を撃ってしまったか、知っている。彼がどんな人だったかも、知っている。……ごめんね、アスラン。私が、撃てればよかった」
……」


 アスランが苦渋の決断の末にその親友を撃った時、 はただ、彼らに守られていた。
 確かに、薬を盛られていたのだから、致し方ないと言えるかもしれない。
 けれど は、逃げた。
 ニコルを失った現実から逃避したくて、イザークを傷つけて。そして、逃げた。
 現実から、目を逸らした。

 そんな をそれでも、アスランにイザーク、ディアッカは守ろうとしてくれた。
 そうであったが故に、 は束の間の安逸に沈み込んでいた。
 何てそれは、愚かなことだろう。
 あの時の自分が……弱い自分が、赦せない。


「私は、守られてた……ね。アスランとイザークとディアッカが、私を守ってくれていた。私ね、イザークを責めたの。何で?って。何で私を、おいていったの?って。酷いね。私は、逃げたの。逃げて、イザークはそれを責めなかった。アスランとディアッカも、責めなかった。私を守ってくれた。それなのに、私はイザークを責めたの。酷い、酷い、酷い、って」
……」
「知っているよ、私は。アスランが誰を撃ってしまったのか。その人はアスランにとってどんな人だったのか。私は、知っている。彼が優しい人だってことも、知っている。でもね、アスラン。私にとってキラ君は、仇でもあるのよ」


 大好きな、『兄』を。
 愛してくれた、もう一人の『兄』を。
 彼は、殺した。
 彼はその手で、殺した。
 そして、イザークの額には、刻まれた醜い傷跡。
 優しい、ピアノを愛した少年は、戦場に散った。


「アスラン。もしも貴方が死んで、キラ君が生き延びていたら……私は絶対に、キラ君を殺すわ」

「キラ君が死んだことが嬉しいんじゃないの。仇がいなくなったことが嬉しいんじゃないの。アスランが生きていてくれることが、嬉しいの」
「俺が……?」


 アスランの言葉に、 は頷いた。
  の指が、アスランの頬に伸ばされる。
 そっとその頬に触れて、 は笑った。


「ミゲル兄さんとニコルを殺した仇が消えたことは、嬉しい。でも、キラ君が死んだことは、僅かだけど哀しい。でも、アスランが生きていることの喜びのほうが、キラ君の死よりも、私の中でははるかに比重が重いの」


 それが、真実。
 アスランが生きていてくれて、嬉しい。
 それで彼がどれだけ傷ついているか、分かるけれど。
 その傷を癒してあげることは、出来ないけれど。
 それでも、生きていてくれた。その命が、愛しい。


「アスランが自分をせめても、私は何度でも言う。生きていてくれて、有難う。生き残ってくれて、有難う。アスランの命を、私は愛しく思っている。私は、そう言うわ、アスラン」

「離れ離れに、なっちゃうけど。それは、忘れないで」
、は……」
「私は、イザークと一緒に、地球でオペレーション・スピットブレイクに参加する。そう、指令が来てた」
「そう、か……」


  は立ち上がって、小さく笑ったアスランの頭を、ちょうど胸の辺りで抱きかかえた。
 どうしてそんな行為をしようと思ったのか、それは彼女にも分からない。
 ただ、傷ついている彼が、余りにも哀れだったから。
 慰めてあげたい、と思ったのかも、知れない。

 少女らしく丸みを帯びている躯も、ふくよかさとは程遠く。
 むしろ痩せぎすの観もあるけれど、優しく髪を梳くその指の心地よさに、アスランは目を閉じた。

 彼女は、アスランよりも年下で。
 それなのに、まるで年上の姉のようにアスランを精一杯慰めようとするから。


「今は、辛いだろうけど……前を、見ていこうよ。殺めた命に、恥じないようにしよう?今は、無理かもしれないけれど……いつか。ね?」


 答える、アスランの言葉は、なかった。
 けれど、 は答えなんて望んでいなかった。
 優しく髪を梳く、その指の温かさだけを、アスランは感じていた――……。



















「今日付けで、転属?」
「ああ。最終のシャトルで、本国へ向かう」
「そう。……見送りには、行かないから。……寂しくなるもの」
「分かった」
「でも、祈っているから。私は、私なりに。アスランの無事を、祈っているよ」
「ああ、俺もだ。俺も の無事を、祈っている。……オペレーション・スピットブレイク、気をつけて」


 アスランの言葉に、 は笑顔で頷いた。






 別れの時が、近づいていた――……。







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 『鋼のヴァルキュリア』をお届けいたします。
 ……イザーク夢、じゃなかったんですか、緋月さん。
 今回王子、殆ど欠片も存在しないなんて……。
 出張っているのが、アスランでした。
 て言うか、さんが攻めっぽく見えるなんて……。
 この会のアスランの、あの犯罪なまでの可愛らしさは、一体何なんでしょうか。
 あぁ、あんなに傷ついたアスラン、私だったら絶対に抱きしめて『君は私が守るから』って言うなぁ……。
 が。如実に現れてしまいました。
 でも、書いていて楽しかったです。
 アスラン抱きしめたい!って方に、楽しんでいただけたら幸い。
 ……あ、でもこれ。ちゃんとイザーク夢ですよー。

 此処までお読みいただき、有難うございました。