願ったものがあった。 けれどこの手は何一つ……何一つ、守れなかった。 愛する人さえ、守れなかった。 大切な友人さえ、守れなかった。 ならば私は戦い続けよう。 例えこの世を、戦火で赤く染め上げても――……。 #30 遁走曲〜Z〜 穏健派で占めるクライン派は、その意気に押されていた。 無理も、あるまい。 戦火はなおも、拡大の一途を辿っている。 多数の兵士が戦場で斃れ、訃報は毎日途切れることがない。 戦いたくなど、ない。誰だってそうだ。 しかし戦わなければ何一つ、守れない。それが彼らの現実だった。 「オルバーニの譲歩案など、今更そんなものを持ち出してどうしようと言うのです」 「スピットブレイクは既に可決されたのだぞ」 「私とて無論、これをこのままと言うつもりはない」 ザラ派の議員たちから浴びせられる質問に、シーゲル=クライン前議長は答えた。 『オルバーニの譲歩案』それは、当初この戦争を、地球連合側の圧勝と楽観していた理事国側が纏め上げた案だ。 要するに、戦局の膠着を懸念して、プラントとの間に和解を成立させようと編み出した譲歩案と言える。 しかし、その内容はというと、『譲歩案』などという冠詞がついているのがいっそおかしくなるほどの案件が、並んでいた。 コーディネイターとしてはとても、容認できるものではない。 「だが戦えば、必ず犠牲がでる。回避できるものならば、そのほうが良いではないか」 シーゲル=クラインの言葉に、ユーリ=アマルフィは顔を顰めた。 彼は、“ストライク”との交戦において殉職した、ニコル=アマルフィの父親だ。 もともとは穏健派であったが、ニコルの死が、彼を変えた。 まだ、少年と言うのが相応しい息子を失った彼は、これ以上の犠牲を出さぬため、主戦派に転向した。 これ以上の犠牲を、出さぬため。そして息子が命がけで守ったプラントのために。彼は主戦派に転向したのだ。 そんな彼からすれば、シーゲルの言葉など所詮、口先だけの綺麗事だ。 喪った事のないものに、喪った痛みが分かるとでも言うのか。 大切なものを、喪った。その贖いをさせようと思うのは、当然のことではないか。 「だからと言って、こんな愚にもつかぬ講和条件が飲めるものか!」 秀麗な美貌を顰めて、彼女――エザリア=ジュールはそう言った。 ジュールの姓から分かるとおり、彼女はイザーク=ジュールの母親だ。 彼はその美貌と気性の激しさを、母親から受け継いでいた。 ぱしぃっと、白い指が講和条件を弾く。 このような屈辱的な講和条件を受け入れるなど、できるものではなかった。 まして……。 「彼らは、勝った気でいるようではないか!」 「初めから突っぱねていては、講和への道などない」 エザリアの怒気を諌めるように、穏健派に名を連ねるアイリーン=カナーバがそう、口を開いた。 その冷静な面に、エザリアは冷たい一瞥をくれてやる。 この女に一体、何が分かると言うのか。 怜悧な美貌に、息子とよく似た灼熱を抱えた彼女は、そう心の中で呟く。 目の前で賢しげに平和を訴え、戦火の縮小を訴える女に、一体何が分かると言うのか。 何も喪った事のないものに、喪った痛みなど、分かるはずがないではないか。 あの絶望を、あの痛みを、あの孤独を。この女は、知らない。だからこそ、その唇は綺麗事を紡げる。 友人を、失った。 大切な友人を、失った。 愛する人を、失った。 最愛の人との間に儲けた、最愛の一人息子は今、前線にいる。 プラントを守るのだ、と。そう口にした息子の横顔は、顔は自分とそっくりだと言うのに、愛する人の面影が、あって。胸が、痛くなった。 あの人も、そう言っていたから。 殺すために戦うのではない、と。ただ、プラントを……愛する人を守りたいから、戦うのだ、と。 そう口にしていた彼は、間違うことなく戦いの場でその若い命を落とした。 あの喪失感を。あの孤独感を。あの絶望を。何も知らないくせに! 「この時期にこんなもの!下手な時間稼ぎですよ」 「オルバーニとて、理事国側全ての意向を纏め上げているわけではなかろう?話し合うと言っても、これではな!」 カナーバの言葉にザラ派議員が反論し、それに更にエザリアは言葉を加えた。 他の議員が、彼女の言に賛同する。 オルバーニの譲歩案。『譲歩』という言葉がおこがましいほどの、その内容に、コーディネイターは怒りを隠せない。 そこに記されている内容は、相も変わらずプラントはその理事国の意向に寄って独立するという、従来のものと変わらないものだった。 それとも、何か。 これでもナチュラルどもにとっては、大きな『譲歩』だとでも言うのか。 怒り心頭に達するザラは議員たちに囲まれ、クライン派議員は顔を顰めた。 確かに、この譲歩案を受け入れることは、出来ないのだ。世論は決して、そうは動かない。この譲歩案を知れば、世論は荒れるだろう。なお一層主戦派に傾くのは、目に見えている。 消沈するクライン派議員を鼓舞するように、シーゲル=クラインは口を開いた。 「では、我々は今後、言葉は全て切り捨て、銃のみを取っていくと言うのかね。そのようなものなのか、我々は!?」 「クライン前議長殿。それはお言葉が過ぎるでしょう。我々は総意で動いているのです。個人の感情のままの発言は、お控えいただきたい」 立ち上がり、なおも訴えるシーゲルの言葉を嗜めるように、立ち上がったパトリックはそう言った。 あえて『前』議長にアクセントを置く。 もはやシーゲル=クラインは、何の力もないただの文官に過ぎないのだから。 さすがに言葉が過ぎたと思ったのか。それとも他の理由か。 シーゲルは謝罪すると、着席した。 「失礼した」 「貴重なご意見の提示は、有難く受け取らせていただく。が、あとは我ら、現最高評議会が検討すべきこと。使者としてこられたマルキオ導師には、私からも礼を、と」 「伝えよう。先を見据えた、正しき道の選ばれんことを……」 そう口にすると、シーゲルは議場を後にした。 彼には、パトリックを止められなかった。 苦い悔恨が、彼の唇を飾る。 彼の視線の先にあるのは、巨大な化石――エヴィデンス・01。 この化石の発見が、全てを変えた。 まだまだ人は、先にいける。 そう夢見たことさえも、人のそもそも持つ闘争本能に根ざしたものだったのだろうか。 遠くへ。 より遠くへ。 果てない未来を願うのは、それも人の業なのか。 「すまない、リヒト。ルチア……」 亡き友人の名を、呼ぶ。 プラントを愛し、死んだ男。 主戦派と穏健派の仲を取り持ち、より良い道を願った男。 彼の死が、パトリックの暴走の引き金となったのは、何て皮肉な運命の悪戯だっただろう。 「おやおや。貴方に、謝る資格などないというのに……」 悪意に満ちた呪詛の言葉は、シーゲルの耳には届かなかった。 シーゲルを見つめるその瞳は酷く冷たく、乾燥して。 その言葉を紡いだ彼の、空虚な心に反響した――……。 議会が終わり、エザリアは嘆息した。 今日は、息子からの通信は届いているだろうか。 大切な一人息子は、オペレーション・スピットブレイクに参加する。 無事であればいい、と思う。無事であって欲しい、と。祈る。 彼を死地に追いやる決定を下したのは、確かに彼ら主戦派であり、彼女もそれに賛成票を投じたのだけれど。 「エザリア」 「あぁ、どうした、パトリック」 議場を後にしようとした彼女の背に声をかけた男に、エザリアは振り返った。 本来なら、『議長』の呼称をつけるべきかもしれない。しかし声の調子はどうも、公人としてのパトリック=ザラではなく、私人としてのパトリック=ザラであるように、感じた。 だからあえてファーストネームで呼んでみたのだが、彼にそれを咎める様子はない。 どうやら、私人として用があるらしい。 まったく。彼は一人息子にもそのような姿を見せればいいのだ。 その不器用さを、見せてやればいい。 もっとも、それは彼女にも言えることかもしれない。 愛している、と。言葉ではいくらでも言える。 しかしそれを示すのは、酷く難しい。 彼女がそう思うようになったのは、イザークの女性関係を知ったときだった。 紳士たるもの、フェミニストたれ、と教えた。 事実、彼は女性にも幼子にも老人にも、優しかった。 ただ彼は、『女』には手酷い仕打ちを繰り返していた。 愛している。 言葉にするのは、簡単なことなのに。それを示すことは酷く、難しい。 いつからイザークは、あんな冷たい目をするようになったのだろう。 そしてこの戦争は、一人息子の性質をどのように変質させてしまっただろう。 それを思うと、怖くて堪らなかった。 「彼女が、見つかった」 「彼女?」 「…… = だ」 「 が!?見つかったのか!?本当に!?」 パトリックの言葉に、エザリアは嬉しそうに微笑んだ。 大切な友人の、大切な忘れ形見。案じていた、勿論。その行方を、捜していた。 「 は?それで、 は、どこに?」 「クルーゼ隊、だ」 「クルーゼ隊、だと?では……」 では彼女は、イザークに逢ったのだろうか。イザークも、 と出逢ったのだろうか。 思ってもみなかったことを突きつけられて、エザリアは混乱した。 何故、出逢うことに、なったのだろう。 出逢っては、いけなかったのに。 「では、イザークは全てを、思い出したのか?」 「それは分からん。だが、イザーク=ジュールは無意識の内に、 = を揺さぶる。このままあの二人を同じ隊においておくのは、非常に危険だ」 「ならば、どうする?」 「オペレーション・スピットブレイクが終われば、クルーゼも隊を引き連れてプラントに戻ってくる。全ては、それからだ」 パトリックの言葉に、エザリアは頷いた。 あの二人を、共に立たせるわけには、行かない。 思い出させては、いけないのだ。 まだ、そのための舞台は整っていないのだから。 思い出すことが、必ずしも当人の幸せとなるとは、言い切れまい。 少なくとも、 = が封じた記憶は、思い出してはいけない類の記憶だ。思い出させては、いけない。 少なくとも、今は。 彼女が記憶を取り戻すのは、全ての舞台が整った、その後でなくては。 そう結論付けて、それからエザリアは、パトリックに向き直った。 その瞳に、怒りの色を宿して。 「それはそうと、パトリック。今まで私に、黙っていたのか、 の居場所を」 「それは……」 「そうなのだろう、パトリック!」 案じていた。 彼女が、『事故』に遭って。 記憶を失って。 そして兄を、喪った。 アカデミーに入学したことは、彼女の兄である = から聞いていたが、それより後のことは、一切エザリアの耳に入ってこなかった。 軍人養成学校であるアカデミーに入学したのだ。軍人には、なったのだろう。 しかしよもや、クルーゼ隊とは。 「それで? はクルーゼ隊で、何をしている?彼女の、役目は?」 「……『ヴァルキュリア』だ」 「何?」 「お前とて、話は聞いているだろう。ザフトの戦女神、『鋼のヴァルキュリア』のことは」 「それは勿論、耳にしている。……まさか!?」 エザリアの瞳が、みるみる険しさを増す。 彼の息子の持つ瞳よりも濃く、温かい色調を見るものに訴えるその瞳に今あるのは、明確な怒りだけだった。 「まさか を、MSに乗せて戦わせているのか、お前は!?」 そう言って、それからエザリアは、言い直した。 「お前たちは、 を戦わせているのか!?」 エザリアの声は、悲鳴じみていた。 秀麗な美貌が、激情に染まる。 何故、オペレーターではないのだ。 何故、整備ではないのか。 何故、あの娘をMSに乗せて戦わせるのだ。 そんな言葉が唇から零れ落ちそうになるのを、エザリアは懸命に堪えた。 大切な大切な、愛しい娘。 亡き友人の、大切な忘れ形見。 そんな少女を、パトリックは戦わせているというのか。彼女は、彼の友人だったリヒトの、血族だというのに! 「仕方がなかろう!あの娘がそう望んだのだ!」 「パトリック……」 「リヒトとルチアの娘を…… の娘を、前線に出したいなど、誰が思うものか!」 パトリックの言葉に、エザリアは唇を噛み締めた。 そして、先の発言を撤回する。 言い過ぎたかも、知れない。 あの事件で傷を負ったのは、エザリアだけではない。 パトリックもまた、傷を負った。ひょっとしたら、エザリアよりも深い傷を。 あの事件で、エザリアは友人を喪った。大切な人を、失った。 パトリックは、友人を喪った。 本来ならば、彼が赴く筈だった地へ旅立ったことで、彼の友人だったリヒト= は、その生を終えてしまった。 パトリックが自身を呪ったのは、彼の感情の行き着く当然の帰結だったのかもしれない。 「見守るしかないのだ、今は……」 「一刻も早く、舞台を整える必要があるな、パトリック。……あの娘…… が、記憶を取り戻しかけているならば。一刻も早く舞台を整え、あの娘に記憶を与えねば。……真実を知れば、あの娘を我々は失ってしまう」 「分かっている。……アスランが、もうじき戻ってくる。彼女のことは、息子に聞こう」 「分かった。……これからは、隠し事は一切しないでもらおう。あの娘…… のことは、私に第一の権利があると言うこと、忘れないで戴きたい」 「……分かった」 エザリアの言葉に、パトリックは頷いた。 それに頷き、エザリアは今度こそ踵を返す。 知らないうちに、世界が動いていた。 自分で把握できない方向にまで動き出す前に、何としてもその動きの全てを把握せねば。 決然たる表情が、彼女の秀麗な美貌を飾った――……。 日の光が、酷く優しく降り注ぐ。 陽光の眩しさに、彼は一瞬眉を顰め。 それからゆっくりと、その睫毛が震えた。 瞼に隠されていたのは、印象的なアメジストの瞳。 「あら……?」 枕元にいた少女が、小首を傾げ。 それから柔らかく、微笑んだ。 「おはようございます」 と――……。 『鋼のヴァルキュリア』をお届けいたします。 おかしい。夕暮れかーペンタリアまでいけませんでした。 いきなり舞台がプラントに移るなんて……なんでだ? いえ、いきなりアニメでママンが喋ったから、ですけど。 エザリアママン大好きなのですー。 此処までお読みいただき、有難うございました。 |