嗚呼、いけない。

いつの間に世界は、『私』の手を離れてしまったのだろう。

嗚呼、いけない。

災いの種は、消えたのだから。

此処から世界を、再構築しなくては。










#30 遁走曲〜[〜









 話は、それよりもほんの少し以前に遡る――……。



 手負いの大天使に、“ディン”が接近した。
 搭載するモビルスーツは既になく、“スカイグラスパー1号機”でさえも、整備の途中で出撃することは叶わなかった。

 格納庫に響く重々しい振動に、フラガは艦が離床したことを、知った。
 かかるGはおそらく、最大推力で戦闘空域から離脱するための、もの。


「離脱するのか、艦長……」


 フラガは小さく、呟いた。
 それがおそらく、この局面において最も重要なことだっただろう。
 現在、とてもではないが3機の“ディン”と渡り合うことは、出来ない。
 そうなれば、艦それ自体が沈められてしまう。

 生き延びなければ、ならなかった。
 そのために命を落とした者たちに、答えるためにも。
 けれどその決断をせずにいられなかった艦長を思うと、フラガはどうしても、その口内に苦いものがこみ上げてくるのを、抑えることが出来ないのだ。

 そして、彼は見た。
 格納庫に設置されているシュミレーターに、ふらふらとした足取りで歩み寄る少女の姿を。
 辿りつくと、少女は小走りになりながらシュミレーターを覗き込む。
 その存在を、確かめるかのように。
 それに気づいて、フラガは声をかけた。


「おい!」
「トール?」


 ミリアリアの躯は、小さく震えていた。
 声をかけると、太陽のように明るい彼女の瞳には、はっきりと涙の筋が幾重にもわたって、描かれていて。
 彼女の慟哭を、思い知る。


「お嬢ちゃん……」
「トールが……」


 紡がれた名前に、フラガは顔を顰めた。
 こうして、彼はまだ、戻っていなくて。
 酷い、爆発が、あって。
 シグナルを、ロストして。
 そこまで条件がそろえば、軍人として長く戦場にあった彼の冷静な部分が、その結論を弾き出す。
 口に出さないまでも、彼とて認識していた。

 あの二人のパイロットは、戦死したのだ、と――……。

 口を紡ぐフラガに、ミリアリアは向かい合った。
 必死の形相が、彼女の想いの深さを物語っていた。


「そんな筈ないんです!M.I.Aだ何て、そんな筈……だから……だから……!!」


 あとはもう、言葉にならなかった。
 少女の華奢な肢体が、格納庫の冷たい床に崩れ落ちる。
 涙を零すその肩を、慰めに触れようとして、フラガの手は凍りついた。

 一体自分に、触れる資格があるのだろうか。
 年若い少年たちを、戦場に駆り立てた。それは彼も、変わらないというのに。
 その手は、失われた少年たちの血によって、汚れてしまっていると言うのに。触れることなど、出来よう筈もない。

 伸ばされた手が、格納庫の壁を、殴りつけた。


「くっそぉぉぉ!!」


 握り締めた拳よりも、少年たちを喪った、その喪失の痛みの方が、大きかった――……。







 “ディン”と追いかけっこを続けていた“アークエンジェル”はその日の夜半、アラスカの防空圏に到達した。
 此処まで“アークエンジェル”を追いかけていた3機の“ディン”は、慌てて撤退していく。
 アラスカ防空圏を守る守備隊が、“アークエンジェル”の守備についた。

 そして、翌朝。
 安全圏に到達したことを確認し、守備隊から通信が入った。


「守備隊、ブルーリーダーより入電。『ワレ コレヨリ離脱スル』」
「援護を感謝する、と伝えて」
「あっ!第18レーダーサイト、より、船籍照合」
「アラスカへの、初入港ですものね。データを送って。問題はないと思うわ」


 通信士に指示を出すと、カズイが声を上げた。
 マリューが答えて、データを送るよう指示を出す。
 アラスカへの、初入港だ。
 第8艦隊と合流した“アークエンジェル”には、極秘裏に開発されたこと・進水式より以前に戦場に放り出されたことで有していなかった識別番号を、今ではしっかりと所有している。
 そのデータを送れば、アラスカ側も迎え入れてくれるはずだ。

 長かった。此処まで。

 不眠不休で機体の整備に明け暮れ、日々極限状態に陥っていたクルーたちは、ある者は床に座り込み、ある者は壁に身を凭れさせてぼんやりとしていた。
 艦橋では、トノムラがチャンドラに話しかける。


「しかし助かったぁ……。あと少し守備隊が遅かったら、やられてたなぁ」
「でも、ずいぶんあっさり引いてくれましたね、“ディン”」


 チャンドラではなくサイが、疑問に思っていたことを口にした。
 今までの粘着的な攻撃からは想像できはいほど、あっさりと3機の“ディン”は、撤退していったから。


「3機で防空圏突っ込んで、アラスカとやりあおうって気はないだろ?向こうも」
「アラスカってそんなに……」
「いつまで喋っている。まだ第二戦闘配備だぞ」


 サイの疑問に、チャンドラが答えた。
 思わず感嘆の声を洩らすサイに、怜悧な声が割って入る。
 ナタルだ。

 彼女の言葉に我に返って、マリューは微笑みながら戦闘配備の解除を口にした。


「あ……ごめんなさい。もう、大丈夫よね。半間休息とします」
<第二戦闘配備解除。半間休息>


 マリューの言葉に合わせて、パルが艦中にその通信を伝達した。
 ナタルは、溜息を洩らす。


 その矢先。
 格納庫から、通信が繋がった。
 通信の相手は、マードックだ。

 何があったのだろう、と。思う。
 戦闘配備は解除され、整備兵たちがこちらに通信を入れるような用事など、何も思いつかないというのに。


<艦長!>
「はい?」
<艦長から止めてくださいよ。フラガ少佐、とにかく機体修理しろって。増装つけて坊主たちの捜索に行くって言って、聞かないんですよ>
「え……!?」


 通信を聞いて、マリューは愕然とした。
 冷静なナタルさえも、動揺を隠せない。
 マリューは慌てて、格納庫に向かった。


「ほら、頼むよ」


 格納庫に辿りついたマリューが見たものは、整備兵たちに指示を出しながら“スカイグラスパー”の整備に当たる、フラガの姿だった。
 駆け寄りながら、そんな彼に声をかける。


「少佐!発進は、許可しません。整備班を、もう休ませてください」
「オーブからは、まだ、何も言ってきてないんだろう?」
「えぇ……でも」
「艦はもう大丈夫だ。なら、いいじゃないか」
「いえ、認めません」


 マリューの言葉に、彼女に背を向けて作業を続けていたフラガは、振り返った。
 その瞳には、二人とも、同じ悲しみがある。
 それを、二人は悟った。
 しかしだからこそ、自分の意志を変える気もまた、フラガにはなかった。


「けど!あいつら、もし脱出してたら!」
「分かります。私だって出来ることなら、今すぐ助けに飛んで行きたいわ!でも!それは出来ないんです!」


 血を吐くようなマリューの言葉に、苛立っていたような表情をしていたフラガの顔に、苦い悔恨が取って代わった。
 彼らは、同じ悲しみを、背負っていたから。
 同じ悲しみを背負って、少年たちの身を、案じていたから。


「艦長……」
「この状況で、少佐を一機で出すようなことも、出来ません!それで貴方まで戻ってこなかったら、私は……!」


 はっと、マリューは口を噤んだ。
 感情に任せて、言わなくてもいいことまで、口にしてしまうところだった。
 秘めていようと願ったことまで、口にしてしまうところだった。
 冷静に、ならなくては。


「今はオーブと、キラ君たちを信じて、留まってください」
「ラジャー」


 黙りこくり、俯くマリューの肩に、フラガの手が触れた。
 肩に触れた手の温もりが、涙が出るほど嬉しくて。
 触れ合う温もりが、愛しかった――……。



















「アーガイル二等兵」


 艦内の廊下を歩いていたサイを、後ろからナタルが呼び止めた。
 その手の中には、小さな箱が二つ、ある。
 それを、ナタルは差し出した。


「ケーニヒ二等兵と、ヤマト少尉の遺品を整理しろ」
「遺品!?」


 ナタルの言葉に、サイは食って掛かりそうになる。
 遺品とは、どういうことなのか。
 二人は、かえって来る。そうに決まっている。
 それなのに、何故!?何故、遺品だなどと、そんなことを。そんなことを、口にするのか。


「だって、まだ……!」
「艦長がM.I.Aと認定したんだ。これが決まりだ。縁を見つめて悲しんでいては、次は自分がやられる。戦場とは、そう言うところだ」


 冷たく言い放つナタルの後姿を、サイは黙って見つめるしか、出来なかった。
 分かっていたはずだった。
 分かっていて、それで覚悟を決めたはずだった。
 けれど彼らは、何も分かっていなかった――……。



















 キラの姿を探して艦内を歩き回っていたフレイの耳に、信じられない言葉が飛び込んできた。
 整備兵たちが、食堂で話しこんでいる。
 何を、話しているのだろう。
 キラは、どこにいるの?


「しかし、“ストライク”なしでアラスカに入ることになるとは」
「まさか、ヤマトがやられるとはね」


 この人たちは、何を言っているのだろう。
 分からずに、フレイは混乱した。
 本当は、分かっているけれど。認めたくない言葉ばかり、話すから。
 それが音としての連なりでしか、認識できない。その言葉の意味が、フレイには分からなかった。

 すると、目の前からカズイが歩いてきた。
 そうだ、彼に聞こう。
 彼は、艦橋にいるし、キラの友人だ。きっと何か、知っている。


「カズイ。ねぇ、キラは?」
「M.I.A……戦闘中行方不明。未確認の、戦死のことだって、軍では。トールもだよ。詳しいことは、他の奴に聞いてよ。俺が知ってんのは、それだけだよ」
「ちょっと待ってよ!だから!キラはどこ!?」


 尋ねているのに、答えてくれないなんて何て酷い奴だろう、とフレイは思う。
 キラを、探しているのに。
 それが、分からないのだろうか。
 何よ、M.I.Aって。
 そう、思って。食堂に入ろうとするカズイの肩を、掴んだ。


「だから分かんないんだよ!生きているかどうかさえ!」
「ちょっと、何よ、それは!」
「多分、死んだんだよ……もういいだろう!」


 苛立ったようにフレイを見て、カズイは食堂に姿を消した。
 その後姿を、フレイは呆然と見詰める。

 戦慄く唇が、色をなくして。
 ただ、呆然と呟く。


「死んだ……?キラが……?」


 帰ってきたら、優しくしようと、思っていた。
 今までの偽りの分も、優しくして。もう一度、最初から始めていこう、と。
 キラは優しいから、きっとフレイを受け入れてくれる。
 大丈夫。キラが、帰ってくれば。
 そう、思っていた。
 その、キラが……。

 グレイの瞳が、潤んで、揺れた。
 それがいかなる感情に起因するものなのか。それは当事者たる彼女さえも、把握できないまま――……。



















 下士官用の部屋に足を踏み入れたサイを迎えたのは、ベッドに蹲り膝を抱える、ミリアリアの姿だった。
 慌ててサイは、その手に持った小さな箱を自分の背中に隠す。
 彼女には、とても見せられないから。


「ミリアリア」
「トールから、連絡は?」
「いや……でも、大丈夫だよ。きっと。艦長が、オーブに捜索を頼んでいる。本部に行けば、何か分かるかもしれないし」
「そう、そうよね」


 力づけるように笑って、希望的観測を述べるサイに、ミリアリアも果敢ない笑みをその口元に浮かべた。
 そしてまた、蹲る。


「そんな筈ないもの……」
「食堂行こう。こんなところに、一人でいちゃ駄目だ」


 箱を、ベッドの見えないところに押しやって、サイはミリアリアに声をかけた。
 そして、食堂に誘う。
 暗い室内とは対照的に、廊下は明るかった。
 そして、普段ならば考えられないほどの兵が、廊下に溢れている。
 何か、あったのだろうか。


「何だよ!そうつつくなよ。怪我人だぞ、俺は!ったく。いつまで放っておく気だったんだよ!
「煩い!」


 サイたちから見て、廊下の置くから人が歩いてくる。
 後ろ手に拘束され、銃口を向けられているところを見て、投降したザフト兵だろう。
 浅黒い肌に、アメジストの瞳が印象的な、精悍な少年だ。

 隣にやってきたサイとミリアリアに、ノイマンが言った。


「“バスター”のパイロットだ。……若いな」
「へぇ〜。この艦てこんな女の子も乗ってんの?」


 俯くミリアリアに目を留めたディアッカが、その顔を覗き込む。
 兵が銃を突きつけるが、それに頓着した様子はない。
 何故なら彼は、コーディネイターだから。
 ナチュラルなど束になってかかってきても、彼らには、敵わない。まして、彼は赤服だ。
 ナチュラルを意に介する必要など、なかった。

 戸惑うミリアリアに、ディアッカは吐き捨てるように口にする。


「ばっかみたい。何泣いてんだよ。泣きたいのはこっちだっつぅの」


 ディアッカの不用意な言葉に、ミリアリアの表情が凍りつく。
 だって、ディアッカは、知らないから。
 ミリアリアが今、どれだけ切羽詰った状況であるか、など。ディアッカは知らない。
 けれど知っているサイはそれに、目の色を変えた。
 何て奴だ!そう、憤らずにはいられない。
 思わず掴みかかろうとしたサイを、ノイマンが止める。


「止せよ!捕虜への暴行は、禁止されている」


 ノイマンは、サイを諌めた。
 しかし、それよりももっと色濃い憎悪を宿して、二人の少女がそれを睨みつけているのを、彼は知らない。
 ミリアリアと、フレイ。
 二人の感情は今、一つの同じ軌跡を描きつつあった。
 それは、身近に『敵』がいることで、よりいっそう鮮明に、憎悪を描いて――……。



**




 カーペンタリアを、夕闇が赤く照らしている。
 黄昏時であったとは言え、まだ先ほどまでは、昼の支配下にあった空は、今黄昏を経て夜にその支配者を移しかけていた。
 その時間。
 アスランはシャトル発着所に向けて、長い廊下を歩いていた。
 まだ折れた骨が接合しておらず、ザフトの真紅の軍服を纏うことは、叶わない。
 いや、纏うには纏うのだが、折れた左腕を、袖に通すことは出来なかった。
 片腕を吊るし、右手には、最低限の私物を詰めたトランクを、握る。

 見送りには、行かない。
 そう宣言したとおり、の姿は、今此処にはない。
 らしいと、思う。

 長い廊下を歩いていくと、長身を壁に凭れさせた、少年の姿があった。

 腕を組み、何気ない仕草でこちらを見ている。
 大して用などない。そう言いたげではあるけれど、人影も疎らな此処にいるということは、彼はひょっとしたら、見送りにきてくれたのかも、知れない。

 あの、イザークが。

 らしいような、らしくないような。そんな気持ちになって、アスランは小さく、笑った。

 アスランが近づくと、イザークはゆっくりと壁から身を起こした。

 間近で対峙すると、強いアイスブルーの瞳が、アスランを睨みつける。
 らしいと、思った。
 ニコルを、喪って。大切なものたちを喪って漸く、互いを知りえた気がして。
 その皮肉が、哀しい。
 こんな運命が待ち構えていると知っていたなら、もっと皆仲良く時を過ごせばよかった。
 互いを信頼して、互いのために尽くして。そんな当たり前の友人にだって、なれたのかもしれないのに。

 立ち止まるアスランに、イザークは力強く、口にした。


「俺もすぐにそっちに行ってやる。貴様などが特務隊とはなぁ……」


 ぶっきらぼうな態度に隠された優しさを、知っている。
 彼ならば、を任せられる。を守ってくれると、信じる。

 彼らは同じ水平上に、並び立っていた。
 或いは、彼らはコインの裏と表だった。
 ただ一人の少女に、同じ少女に、彼らは同じだけの感情を傾け、ただ、彼らの結びつく行為だけが一致しなかった。
 だからこそ、互いを認めることも、できるのだろう。

 アスランはゆっくりと、トランクを地面に下ろした。
 そして手を、差し出す。
 驚いたようにイザークは、差し出された手を、そしてアスランを、見て。


「色々と、すまなかった。今まで、有難う」


 差し出された手を、イザークは無言で握る。
 睨むような、挑むような眼差しであるが、その手に込められた力が、全てを物語っていた。

 やがて握った手を、離して。
 アスランは再びトランクを手にする。
 振り返るでもなく、イザークは口にした。


「今度は俺が部下にしてやる!それまで死ぬんじゃないぞ」


 イザークの言葉に、アスランは驚いた顔を、して。
 それから、ふわりと笑った。


「分かった……」


 そのままアスランは、まっすぐとシャトル発着所へ、向かう。
 その後姿を、イザークは見ていた。
 そして、声をかける。


「おい、そこの意地っ張り。そんな所にいないで、こっちにくればどうだ?」
「煩いわね、おかっぱ!」


 の姿が、そこにあった。
 寂しくなるから、声はかけられなくて。
 でも、会えなくなるから、もう一度だけ会いたくて。
 意地っ張りなヴァルキュリアは、身を隠すようにしてアスランの見送りにきていた。

 多分、アスランは気づいていないだろう。
 でも、大丈夫。
 そう、は思う。
 伝えたい言葉は既に、伝えた。


「食堂に行くぞ、
「一人でいいわよ」
「ほうっておいたら、貴様の方が抜きかねん。アスランも心配するだろうが、それでは」
「……分かった。食べれば、いいんでしょ!」


 寂しさを払拭するように、お互い怒鳴りながら。
 期せずして二人は、同じ方向を向いていた。
 彼らの戦友の向かう先を、見つめて。
 それから、踵を返した。








 夜が、近づいていた――……。






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 『鋼のヴァルキュリア』をお届けいたします。
 名前変換少なくて、すみません。
 AAを全然書いてなかったなぁ、って思って。
 次は、オペレーション・スピットブレイクの前に、査問会、でしょうか。

此処までお読みいただき、有難うございました。